2012年7月13日金曜日

三上満

隔月刊の「社会保障」のページ裏の「歳時記」の文章はいい話が載っている。今回は教育学者の「三上満」さんの文章である。以下、紹介する。

今年は、石川啄木没後100年の年に当たる。私が23歳から40歳まで18年も勤めていた中学校は、啄木終焉の地のすぐ近くにあった。そのこともあって、啄木は何かと私の授業の教材になった。


いじわるの大工の子ども呼び出され
いくさに出でしが生きてかへらず


こんな歌も日露戦争の授業の教材になったし

しんとして幅広さ街の( )の夜の
とうもろこしの焼くる匂いよ


といった歌は地理の気候学習の教材になり、( )の中に入る季節を考えさせたりした。(答えは秋)
啄木といえば忘れられないことがある。ある時のテストで、歴史上の人物の名を答える問題で、正解が「石川啄木」だった。ところが間違えて「石川五エ門」と書いてきた子がいた。その子が、都知事選の時の私への応援で語ってくれた。(1999年都知事選)
「満さんは、私の答えを×にしなかった。丁寧に五エ門を消し、石川だけ残して、そこに半丸を付けてくれ、点数も半分くれた。そのことを一番よく覚えている」
教育とは、子どもの中に埋もれ、隠れている小さな“よさ”を見つけ出し、光を当ててやる仕事である。教育の醍醐味は、「いいとこ探し」であって「あら探し」ではない。
橋下市長(前知事)が、大阪でやろうとしている“教育改革”とは、いったい何物であろうか。知事の方針に従わない学校、教職員への徹底した監視と「あら探し」である。そのあら探しは、ついに「君が代」を歌っているかどうかを調べる“口元検査”にまで及んだ。
しかし、どんなに統制がのしかかかろうと、子どもとじかに向き合い、子どもの“いいところ”を見つけ励ますのは教師たちだ。大阪の教師たちは、この原点を決して失いはしないだろう。

三上さんは、大阪で行われている「教育改革」とはなにか、「教育はあら探しではない」と言っている。まさにその通りである。橋本徹のパフォーマンスに騙されていけない。

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