2012年7月23日月曜日

フランクル「夜と霧と」とヒトラー

日経の一面の下欄の「春秋」に「夜と霧」が紹介されていた。日経に載っているのにびっくりした。フランクルの「夜と霧」は旧版と新版は訳者が違う。新版の池田香代子氏の訳が読みやすい。旧藩の霜山氏の訳は少々難解である。以下、日経の文章である。

人々は貨車に詰め込まれ、アウシュビッツに送られた。その耳に鋭い汽笛が薄気味悪く響く。「大きな災厄に向ってひかれていく人間の群れの化身として、不幸を感づいて救いの叫びをあげているかのようであった」。フランクル「夜と霧」の1節である(霜山徳爾訳)
収容所に着くや、ユダヤ人らは2組に分けられた。ナチスの親衛隊将校が右を指せばガス室へ、左を指せば強制労働へ。が、それ以前に、列車が着いたときには常におびただしい男女が息絶えていた。そんな貨車に人々を乗せる役割を果たしたとされる97歳の最重要戦犯が先日、ハンガリーの首都ブダペストで拘束された。
スロバキア東部の町で警察幹部だった1944年春、ユダヤ人l万5700人をアウシュビッツに送るのに協力したというのが、この男の容疑だ。戦後、本人不在で死刑を宣告されながらもカナダに逃走するなどして行方をくらましていたという。それでもついに悪運は尽きたというべきか、長い長い潜伏生活は終わった。
「夜と霧」とは、ヒトラーが出した特別命令の呼び名だ。夜陰に紛れて市民を捕縛し、霧のかなたへとその存在を消し去る・・。少なくとも600万人以上が犠牲になったといわれるホロコーストはこの名のもとに遂行された。人類の犯した極限の罪に関わった者への追及は、現代史の霧を晴らすあくなき営為でもあろう。2012・7・21日経(春秋)


フランクル「夜と霧」、ヒトラー、ホロコーストと関連付けて覚えておいて欲しい。

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