2012年7月25日水曜日

野呂邦暢

今、山梨では、地元出身で芥川賞を取った女性の本が話題となっている。芥川賞作家で「野呂邦暢」(のろくにのぶ)を知っている人は、少ないであろう。1980年に40才で急逝した作家である。ほのぼのとした随筆で有名だ。その一つを紹介しよう。
貸借
私は友人の家から手ぶらで戻った。
どうしても「あの雑誌を返してくれ」といえなかった。せんだって遊びに来た彼が、肩のこらない雑誌を貸してくれといって、私の書斎から持ち去った二冊の雑誌である。
「映画の友」の一九六〇年二月号と三月号。これは十数年前に廃刊になった。いま、古本屋にべらぼうな値段で出ている。「なんだ、映画雑誌か」というなかれ。
あの頃の「映画の友」は、充分に大人の鑑賞にたえる雑誌であった。グラビアページの紙質がよくて、写真が鮮明だった。今のは、まあいわないでおこう。「映画の友」の編集長は当時、淀川長治氏であったと記憶している。
一度はあきらめようかと思ったのだが、その二冊はめったに入手できないしろものである。古本屋でさがしてみたけれども、この号だけ見あたらない。
で、私はふたたび勇気をふるって友人宅へ出かけて、それとなく貸した雑誌のことをほのめかすのだが、友人にはてんで通じない。困ったことに私は「先日、おまえさんが借りてった雑誌を返してもらいたい」といい出せないのだ。まるで巨額の借金を申しこむような心境になる。彼の本棚にあれば、「これ、ちょっと要るから」とさりげなく抜きとろうと考えて、本棚を点検してみた。影も形もない。ボナールの「友情論」というのが目に入った。
借りた本を返してくれるのも友情のうちではないかしらん。友人は「このごろ何か面白い本があったかね。読んだらおれに貸してくれ」などと涼しい顔をしてのたまう。「それにしても、本は高くなったなあ。おれみたいな本好きは弱ってしまう。せいぜい、お前さんから借りて読むとするか」
どうぞ、ご勝手に。
私はとうとう雑誌のことを切り出せずに友人の書斎から出た。玄関のわきに古新聞が紐でたばねられて積んであった。「朝日ジャーナル」や「現代」もまざっていた。屑屋に払い下げるのだろう。
「リヤカー一台分でちり紙一束にしかならないよ」と友人はいった。見覚えのある表紙が私の目をとらえた。私が貸した雑誌は「エコノミスト」といっしょにくくってあった。「おや、それは要るのかい」私が抜きとった雑誌の埃を叩いていると、友人はけげんそうにたずねた。
同じようなことを経験したひとは多いと思う。人それぞれ、大切にしているものは違うということをほのぼのとした文章で表現している。

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