2013年2月22日金曜日

若き内科医の3・11

 
 3・11からもうすぐ2年が経過する。仏の世界では「三回忌」である。忘れないために、あらためて本を読んでみた。河北新報出版センターの「寄り添い支える」(公立志津川病院―若き内科医の3・11)である。著者は2011421日に発表された米国タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」(2011年度)菅野武志医師である。あとがきの一部を紹介したい。

今回の東日本大震災を経て、私自身たくさんのことを知った。私がこの本を通して残したかったものは、まさに私が味わった体験と思いである。震災で失われたもののうち、建物やインフラなどは、時間は掛かるかもしれないが必ず戻るし、そのために多くの人が力を出し合っている。また、科学や技術の分野においてもさまざまな角度から今回の出来事を検証し、次に備える動きが出てきている。私自身の医学研究もそうだが、いずれはそれらも必ずや実を結び次の災害への備えとなると思う。
けれど、目の前に津波が押し寄せ、まさに死を覚悟したときやその後の壊滅的な状況の中で「そこにいた人が何を思い、どう動いたか」ということはやはり経験した人間が記録しなくてはならないことなのだと思う。先人たちが「津波てんでんこ」の教えをわれわれに伝えたように、私たちは次の世代に苦難との闘いの記録を残さなくてはいけない。河北新報出版センターの皆さんにはこの本の執筆について声を掛けていただき、本当に感謝している。
石巻赤十字病院で、災害医療コーディネーターとして陣頭指揮を執り続けた石井正医師とは、私がヘリコプターで放出されたとき以外にも、いくつかの機会でお会いしたり連絡を取り合ったりしているが、その中で石井医師も以下のように述べている。
「今回の震災におけるわれわれの体験は、広く共有すべきです。それが今後起きる災害の減災につながるはずですし、ご支援いただいた方や、わが国に対する僕らの義務ではないでしょうか」
これは、震災後から急に注目され、講演や発表、執筆など、医師としての仕事以外の慣れない生活に右往左往していた私に活を入れてもらったときの言葉だ。 
石井医師の強靭な精神力、一貫して命のために向き合う誠実さは同じ医師から見ても簡単にできることでなく、それをずっと継続していることはまさに尊敬に値する。そんな石井医師であっても、もちろん一人きりで頑張り続けたわけではなく、多くの協力を得て難局を乗り切って来られた。ましてや私は、日々不安と葛藤の繰り返しであった。
けれど、 私が自分の抱える弱きや不安を、周りの人々の力を借り決断し乗り越えられたことが、多くの皆さんの共感を得たのではないかとも思う。押し寄せる津波のときには、支えるべき患者がいることが逆に私の支えとなった。絶望の淵でも、明日への希望を信じて必死にもがくことで未来が開けること。弱い人間でも大切なものを見据えて、みんなで手に手を取り合えば大きな希望の力となること。これはこの本の中で繰り返し書いた、次の世代へ伝えたい体験である。
苦難のとき、ピンチのときには、必ずそこに大きなチャンスがある。日本全体が、閉塞感と不安感に覆われて久しいが、この東日本大震災の経験を、私たちが今までよりもよりよい社会をめざすチャンスに変えなくてはならない。
予算がない、人がないという問題はあろうが、第二次世界大戦敗戦直後の状況に比べればずっとましなスタートラインではないか。今度は高度成長期のような経済発展を追うことではなく、新しい形でのよりよい社会を考え育む時期なのだと思う。私たち日本人の持つ、支え合うことで力を発揮する成熟した精神、そして今回気付かされた絆の力があれば必ず復興を成し遂げられると思う。
東日本大震災ではたくさんの命が理不尽に奪われ、積み上げてきた生活が水泡に帰し、私も本当に悔しい思いを何度もした。そのたびに多くの友に助けられ、何とか乗り越えてきた。この本を読んでくださった皆さんにも感謝し、そして伝えたい。私たちは一人ではないことを・・・・。
201112月 菅野武
それにしても、今の安倍政権の浮かれ方は何だ。円安、株高誘導が今の日本を再生するかのような・・まさにいつか来た道である。震災、原発、沖縄は頭の中になく、アメリカのご機嫌取りだけである。今、あらためて3・11を考えたい。

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