2013年2月26日火曜日

3・11 診療内科医の奮闘


 桑山紀彦氏は、心療内科医になって24年、その間多くのカウンセリングをし、国際協力ボランティアとして災害時の緊急医療支援をしてきた人である。「救命」(東日本大震災、医師たちの奮闘)に紹介されている9人の医師の一人である。NHKのテレビで紹介されていた。一部紹介する。

 もちろん僕も医者として、象牙の塔を目指したこともあるし、大学医師という肩書きに憧れたこともあります。でも、大学にはじかれ、学会にはじかれ、自分にはそういう世界は合わないことに気がついたんです。と同時に、実は僕は人間が大好きなんだということにも気がついた。人間が好きというのは、自分の心の中に潜んでいるコンプレックスをひっくり返したいという思いもあるんです。本当は自分を好きになりたいんですよ。いまはその長い道のりを辿っているところ。究極は自分を好きになりたいんだけど、まずは他人を好きになることを精一杯やりたいと考えているんだと思います。
大震災から二カ月半で、延べ千人の被災地の方々がウチのクリニックに来院されました。その間、何度僕は泣いたことか。そして心療内科医としても少し変わりました。心の傷をケアするのは、薬の処方を考えるのではなく、患者さんたちの物語を一緒に作っていく作業だということを改めて学びました。その物語制作の作業の過程で、今度はこっちが試されるから、リソースを集めることの大切さも知りました。
それは被災地以外の患者さんにも当てはまります。たとえばDVで苦しんでいる人にも、その殴られる棒ってなんだろうか、どのくらい痛いんだろうかとか、角材とバットでその痛みはどれくらい違うのか、あるいは殴られて畳に叩きつけられたときの感触とはどんなものなのかとか、そういう情報が大事なんだと思うようになったんです。
まさに豊かで優しい想像力が求められています。でも、多くの精神科医がそういうことを経験するわけにはいかないし、一人の力では限界があるので、僕は日本社会に期待しているんです。日本社会全体が人の話を聞く風潮にもう1度戻って欲しい。たとえば被災地の方々、あるいは心のケアが必要な人の話を、家族や友人が、いつもより相手に心を差し向けて聞こうという姿勢があれば、浅いところで傷は止められる。「またその話か」とか「また同じ話を繰り返して」と思うんじゃなく、もっと人の話に耳を傾けられる人が増えて欲しい。それが現代社会では少なくなってきているから心の傷が疼いてしまう。日本がもっと優しく人の話を聞く社会になれば、僕らの仕事は無くなってしまうけど、僕はその方が健全だと思っています。
被災地の心のケアやPTSDの予防としては、まだ二合目くらいです。まだ語っていない人の方が多い。「語らないのが美徳」とか「ここが我慢のしどころ」などという日本の精神文化に阻まれている面もあります。寝た子を起こすな、という人もいるけど、寝てないのに寝ている振りをしていることに気がつかないといけない。
まずは語って、それを物語にし、奉納するという手順を踏まないと、この苦難を人生の糧にするのは難しい。僕の心療内科の新患は、四カ月間だけ被災した方々のみに限定させていただいていました。これからも僕は彼らと一緒になって涙を流し続けると思います。被災者の皆さんに最後の一滴の涙を流していただくのが、被災地に病院を構える僕の仕事なんです。
(インタビュー。構成:吉井妙子)
被災者の方々に最後の一滴の涙を流してもらうのが、仕事である。こんなことができる医者はすごいと思う。少なくとも我々にできることは、被災者のことを忘れないで、話を聞くことである。

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