2014年1月31日金曜日

ワープロの弊害


浅田次郎の「すべての人生について」というわけのわからないタイトルの本を読む。浅田次郎が各界の著名人との対話集である。その中で、渡辺淳一との対談の一こまを紹介する。
ワープロの弊害
浅田:長篇が増えたのは、もう一つにワープロの普及がありませんか。
渡辺:ああ、そうだね。
浅田:全くの素人が五百枚の小説を書けと言っても書けないのが普通だと思う。『オール読物』新人賞や『文学界』新人賞に出す百枚ほどの原稿を書くのはすごく体力が必要なことだったのに、いまや五百枚、六百枚もの原稿を新人が書くことができるのは、ワープロの力じゃないかと思います。僕はワープロは使わないんですけれども、渡辺さんは?
渡辺:いや、僕はいまだに鉛筆です。
浅田:ワープロを叩いている人を見ると、びっくりするぐらいに速い。僕は、ある編集部で見たときに、こりゃ、かなわって思ったんです。だって、考えているものがそのまま変換されていくというスピードですから。
渡辺:短篇小説というのは、削る仕事なのにね。
浅田:ワープロで書いていると、長いものでも短いものでもどんどん文章を積み重ねていく。ワープロの機能そのものが、短篇小説には向いていないと思うんです。
渡辺:そうですね。今浅田さんが言ったように、ワープロに頼って書いた小説はつい、厚塗りをしてしまうから、小説に濃淡がない。絵で言うと同じような重ね塗りで、例えば、ある小説を読んでいて、犯人かと思われる人物が五人いたとすると、そのすべての人物の職業から生活背景まで、よく書かれていて、その点では感心するんだけど、ようく読んでいくと、それぞれのシーンに作家の血肉が入っていない。たしかによく勉強して書いてはいるんだけど、その内面に作家の入れ込みがない。それはたぷん資料調べで終わっているからなんだと思う。これと同じことは時代小説にもみかけることで、だらだら資料ばかり書いて、もったいぶってるけど、その作家の気が入っていない、資料で流している部分が結構ある。
浅田さんの「壬生義士伝」を読んでいると、そういう流したところがないね。資料に甘えず、自分に引きつけて思いを込めているから。これは書く側はしんどいだろうね。
浅田:短篇ですと、そういう流したところは入れられませんね。
渡辺:短篇は、緊張感が小気味いいのだからね。
 ワープロの弊害を、小説を書く観点からの指摘は面白い。今はワープロ抜きでは文章の作成はできなくなってきている。手書きの文章をつくることも意識的にやってみることを勧めたい。せめてワープロでも「コピペ」ばかりにならないようにしたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿