2014年3月31日月曜日

トリクル・ダウン


久々に、お茶の水の駅付近で「ビッグ・イッシュー」を購入。300円である。4月からは350円になると言う。その中で浜矩子氏のエッセイを紹介する。
浜矩子のストリート・エコノミックス
トリクルは決してダウンしない
トリクル・ダウンという言葉がある。トリクルは「チョロチョロ」とか「ポタポタ」の意。ダウンは「下へ」だ。水滴がポクポタと下に落ちるかごとく、富もまた、上から下へと流れ落ちる。そういう理屈だ。
トリクル・ダウン効果がある。だから、富める者をより富ますことが正解だ。だから、まず、大企業を儲けさせなくっちゃいけないよ。だから、何はともあれ、経溝成長が最優先だ。
こんなふうに言われる。本当なのか。それは違う。実際の経済効果は、トリクル・ダウンではない。確かにトリクルはする。だが、ダウンではない。実はトリクル・ラウンドだ。
富は、富める者たちの間をグルグル回る。回るたびに大きくなる傾向がある。回るたびに回転速度が速くなる。トリクルというよりは、フライだ。富の回転木馬は、飛ふように目まぐるしく、激しく回る。そこにあるのは、官の閉鎖的自己増殖過程だ。何も、どこにも、ダウンして来ない。
トリクル・ダウン効果を強く主張した英国のサッチャー政権下においても、米国のレーガン政権下においても、経済格差は拡大した。富の滴が下降することはなかった。富は、ひたすら、富める者たちの間を巡回するだけだった。チョロチョロでも、ポクポタでもない。グルグルだった。
それなのに、あいもかわらず、トリクル・ダウンの提唱者が少なくない。都合のいい理屈だからなのだろう。
そもそも、トリクル・ダウンという言い方がけち臭い。いかにもおこぼれのイメージだ。カラカラに喉が渇いた人々が、できの悪い蛇口からチョロチョロたれ出る水の一滴・二滴に命をかける。そんな光景をよしとしていいのか。経済活動という名の命の水は、豊かで、分け隔てなく、大らかに、大河のごとく流れなければいけない。そうなるよう、気配りするのが、政策というものの役割だろう。
350円になるとそのうちの170円が販売者のものになると言う。50円アップすることによって販売数が減らなければいいが。

2014年3月26日水曜日

韓国人の日本史観


 「韓国人の日本史観」市塚守著(オリオン舎)という本を読む。読む気になったのは、今日本と韓国の関係がややこしくなっているからである。著者のあとがきを紹介する。
高校を退職して、韓国の大学で日本語を教えて3年半になる。日本で社会科(現在は地歴科と公民科)を教えてきたために、日本語の教科書に、日本の歴史や社会に関する語句が出てくると学生に少し説明してきた。これが、日本社会や歴史に興味がある学生なら、面白いということになろうが、やむなく日本語を選択している(日本語は中国語との選択必修)学生にはつまらない話となる。
学生を見ていると、アニメーションなどの日本の大衆文化に詳しい学生もいれば、ほとんど日本について知識のない学生もいる。また、私が韓国史に関しても少し知っているので質問することもあるのだが、韓国史に関してもあまり詳しい学生はいないようだ。ときには、「先生、独島は韓国領土でしょう」などと挑発する学生もいるのだが、主任教授に独島への言及が禁止されていることもあり、領土問題の話はしない。
2年前に、韓国日語日文学会で「韓流」について発表したことがあった。この学会は、主に日本語と日本文学について研究する学会なのだが、歴史や日本社会に関する分科会もあった。日本語分科会で司会を務めたときは、30人近い参加者があったのに比べ、歴史関係分科会はたったの4人だった。そのとき、独島問題を発表した韓国人研究者に対して、あまりにも一方的ではないかと質問したら、一蹴されてしまった。
領土問題に関する韓国の研究は、日本と違って、自由に論議する問題ではなく、いかに韓国の領土であるかを証明することに主眼が置かれていると思ったものである。あちこち韓国の書物を読み散らかしているうちに、2012年度の高校教育課程の改定で新しくできた「東アジア史」が注目されていることを知った。
それでは「世界史」とともに分析してみようと思い、今回の叙述に「東アジア史」と「世界史」の教科書点検が加わり、さらに韓国の一般の歴史書の分析も加わったために、分量が増えてしまった。
こうして、本書ができたわけであるが、韓国人の日本観で何が一番問題かを考えると二つあるのではないかと思う。ひとつは、韓国の歴史学の水準であり、もうひとつは「民族主義史観」である。「民族主義史観」については、日本人の論者も、私も本書の中で取り上げたので詳述はしないが、これはなかなか解決が困難な課題であって、今後も長く対日関係に影を落とすことだろう。
先日も、韓国人の日本語講師と一杯飲む機会があって、私が韓国人の歴史観について話し始めたところ、「先生、天安の独立記念館にいらっしゃったことはありますか」と尋ねられ、「あれを見たのでは(日本人を)許す気になれませんよ」と畳みかけられた。私も独立記念館に何回か行ったが、独立運動家に対する日本帝国主義の無慈悲な弾圧を想起すると、今、目の前にいる日本人の先祖が韓国人の先祖を虐殺したのであり、このことは、未来永劫にわたって消えることはないのは事実である。パク・ウネ大統領が、三一節のとき、韓国民に向かって「加害者と被害者という歴史的な立場は、千年の歴史が流れても変わらない」と演説したが、日本人としてはただ受け止めざるをえないのである。
しかし、時間が流れるのも事実である。最近、世界の中で韓国の経済的政治的地位が上昇しているために、韓国人の自負心も高まり、いずれ民族主義が変化してくるのではないかと期待している。また、田中明が指摘しているように、韓国の国民意識の形成が韓国併合によって摘みとられてしまったために、現在進行中の課題であることを考えると、民族主義的主張はある程度はやむを得ないことであると考えざるをえない。 
しかし、民族主義史観は、南北統一までも課題になっているので、その変化には、今後もう少し時間がかかるだろう。そして、もう一つの課題が、歴史学の水準の問題である。この水準問題と「民族主義史観」は不可分の関係にあることは、本書を読んで下さった皆様にはお分かりのことであろう。歴史学の水準が高まるということは、自らを客観視できるようになることであるため、「民族主義史観」の欠点も自覚されることになるのである。水準というものは低いと自覚できないものであろう。
「河野談話」を検証すると言っている、安倍首相もこの本を読んでもらいたい。過去に学ばない国に将来はないのである。

2014年3月18日火曜日

NHKと時代感覚

 
  民医連医療の「メディアの眼」はもう36回を数える。タイトルからしてメディア時評なのだが、よくNHK問題が取り上げられる。それ程、今のNHKはおかしいということであろう。以下一部紹介する。
NHKと時代感覚
NHKの経営委員の1人に百田尚樹という作家がいることはこの連載の33回でやや詳しく紹介したところです。この百田氏のツイッタ-上の発言とその後の行動が問題なのです。氏は118日、次のように発言しました。
「私は関西在住だが、舛漆にも細川にも東京都知事にはなってほしくないと思っている。もしも私が東京都民だったら、田母神俊雄氏に投票する
百田氏は23日、東京で田母神候補の応援演説に立ちました。百田氏のこのような言動もさることながら、問題は田母神俊雄という人物そのものに関することなのです。田母神氏に都知事選に立候補する権利があることはもちろんですし、彼が立候補することも本人の自由です。公共放送であるNHKとの関係で何を聞いたいかといいますと、まず今の放送法が、戦前・戦中のメディアのとった態度の反省のうえに立法化されているものであることを再確認しなければなりません。
そのうえで田母神俊雄という人物はどういう経歴の持主なのかということなのです。
自衛隊は解釈改憲によって現実に存在していますが、日本国憲法を素直に読めばそれは違憲の存在であるはずです。しかし、百歩譲って自衛隊の存在を合憲だと認めるとしても、田母神氏は航空自衛隊のトップである元航空幕僚長という経歴の持主なのです。
都知事選には16人もの立候補がありましたが、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌など日本のすべてのメディアが16人中の4強」として、舛添、細川、宇都宮、田母神の4候補を連日のように報道しただけでなく、いくつかの新聞、雑誌は、若者たちが多くかかわるネットによる世論調査の結果では、田母神候補が16人中トップだということをコメント抜きで報道したのです。
「戦争は一切しない」「軍隊はもたない」とする日本国憲法下で、事実上の軍隊である自衛隊の元トップという肩書きをもつ人物が、いやしくも日本の首都東京の知事選挙に立候補し、同氏の経歴が何ら問題にされることもなく「ワンオブゼム」で集票競争が展開され、公共放送であるNHKをはじめとするあらゆるメディアがコメント抜きで選挙状況を報道したのでした。
筆者のように、戦前・戦中の歴史を身をもって体験した人間からすれば、東条英樹が現役の陸軍中将のまま首相に就任すると同時に、中将から大将に昇進し、陸相および内相も兼任したこと、その東条内閣が1941128日、対米英開戦にふみきったという史実への着日抜きに日本の現代史は語れません。また、戦後の自衛隊の存否そのものにも無感覚でいることに自己の良心が許さないのです。
その意味で、田母神氏を都知事にという百田尚樹氏が経営委員の1人であるNHKをはじめとする、日本のメディアの歴史感覚と時代感覚を鋭く問いたいと思うのです。これは、徐々に生存者が少なくなりつつある戦争体験者としての筆者の切実な思いから出ている意見です。
最近、本屋にも「百田尚樹」氏の著書が多く並んでいる。これも、策略が感じられる。

2014年3月13日木曜日

アイム・ファイン


JAL機内誌「スカイワード」に連載された浅田次郎氏のエッセイ「アイム・ファイン」を読む。誌の歴史小説のファンは多いと思う。私は、歴史小説はちょっと苦手である。その中から少々長いが、一つ紹介する。
闘病生活
バカは風邪をひかないらしい。
私の記憶にないくらい大昔から流布している説であるし、ギャグとしてもさほど面白くないから、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。
しかしまずいことに、私は風邪をひかないのである。
まったく、と言えば嘘になるが、いつひいたかなと考えるとそれはたしかずいぶん昔話で、七代目梅幸の藤娘を咳止めの飴をねぶりながら観たときであろうかと思う。何年前のことかよくわからん。ともかくそのとき隣の席で興奮していたおふくろの七回忌もとっくにおえている。
バカは風邪をひかないのなら、十年以上も風邪をひかない私は大バカということになる。そんな蔭口を叩かれるのも癪だから、インフルエンザだのさまざまの風邪だのが流行したこの冬には、つとめて人混みを歩き、無理を押して出勤している風邪っぴきの編集者を選んで打ち合わせなどしたのだが、やっぱり風邪をひかなかった。
健康管理にはてんで無頓着なのである。薬は大嫌い、注射を打つくらいなら死んだほうがマシ、医者の白衣を見ただけで鳥肌が立つ。つまりそれくらい徹底していると、体内に抗体が自然発生して徴菌をやっつけているのではなかろうかと思う。バカかどうかはともかく、原始人的な肉体であることはたしかだ。
年明け早々に突如として発熟し、腹工合までおかしくなったので、内心快哉を叫びつつそこいらの病院に行った。いまだかかりつけの医者がいない五十六歳のオヤジというのも、あんがい珍しかろう。
「いやあ、風邪をひいちゃいましてねえ」
などと、たぶん嬉しそうに私は言った。声には出さなかったがその言葉のあとには、「やっぱりバカじゃなかったんですよ」と続くのである。
医者は私の笑顔と言いぐさがよほど気に食わなかったとみえて、憮然とした。
まず咽を覗きこみ、聴診器を胸に当て、それから腹を触診したのち医師の下した診断は、私を憮然とさせた。
「風邪じゃないですねえ。ウイルス性の大腸炎。何か悪いもの食べました?」
とっさに思い浮かんだのは前日に食べた生ガキである。まちがいないと思ったのだが、憧れの風邪ではなく食あたりというのもくやしいので、原因は黙秘した。
医者は処方箋を書きながら言った。
「まずは絶食です。そのお体ならば二日や三日食べなくたってどうってことないですからね。いいですか、食べちゃだめですよ。水分を摂るだけ。それも水かお茶」
ハイハイと生返事をして診察室を出た。会計をしようとしたところ、保険証はとっくの昔に有効期限が切れていた。使った覚えがないのだから仕方がない。しかし高額の保険料を払いながら自費で勘定をすますのもバカくさいので、電話をして家人を叱りつけ、「おまえのせいだからこれから持ってこい」という時代にそぐわぬオヤジ論理を展開した。しかるに家人はただちにやってきたのであるが、バカなことにその保険証は私のものではなく、自分のものであった。しかもそのてめえの保険証すら、有効期限が切れていた。早い話が家人も十年以上風邪をひいていなかったのである。
こんなバカなことをいつまでやっていても始まらんので、断腸の思いで自費を支払い、バカがバカをバカバカと罵りつつ薬局へと向かった。実はここだけの話だが、私も家人も保険証といえばあの旧時代の、お免状みたいな見開きのものだとばかり思いこんでいたのである。だから私はドーナツ屋や健康ランドのポイントカードと一緒くたに保険証を携帯したままその存在理由などまったく失念しており、家人は家人でその一枚があれば家族全員をカバーするはずだと錯誤して、自分名義の、おまけに期限切れの保険証を届けたのであった。ついでに言ってしまうと、このごろ多くの医院は薬を出さず、近所の薬局が処方するということも知らなかった。その薬代ですら自費で払わねばならなかったのであるから、くやしさもひとしおであった。
こうして私の闘病生活は始まった。
そのお体ならば二日や三日はどうってことないという歯に衣着せぬ医師の言葉は、要するに「この機会にダイエットしなさい」という意味であろう。願ってもない話である。べつにカキにあたらなくたって、二日や三日は断食しようかと考えていた矢先であった。 
発熱、倦怠感、多少の吐き気と腹工合の悪さはあったが、たちまち治る自信があった。たまに飲む薬はものすごく効くのである。虫歯の治療のとき麻酔注射で失神し、歯医者をあわてさせたことだってあるくらいなのだ。
そこで、さっさと薬を飲んで治しちまおうと思ったのであるが、帰宅して説明書を読みながら私は懊悩した。
 吐き気止めの「ナウゼリン」という薬は、朝昼夕の毎食前に一錠、だそうな。下痢止めの「フェロベリン」という薬は、毎食後に二錠、だそうな。
矛盾である。絶食を命ぜられたのに、どうして食前食後なのであろうか。しかも医師は、「いいですか、食べちゃだめですよ」とまで念を押した。勝手に物を食っても、物を食わずに薬を飲んでも大変なことになるのではあるまいかと思うと、苦悩はいや増した。
またしてもここだけの話だが、生まれついて薬に不慣れな私は、「食間に服用」という表示をつい先ごろまで誤解していた。食事と食事の間ではなく食事の最中に飲むものだと考えていたのである。
そんなことはこの際どうでもよい。どうすれば維食中に、食前薬と食後薬を飲むことができるのだ。お茶か水を仮想食とするのか、それともカラのご飯茶碗を食卓に据えて、「いただきます」「ごちそうさま」を言い、薬を飲むためのセレモニーとするべきか大いに悩んだ末、雪深い東北の町で医者をやっている娘に電話をした。いや、電話をしようと思ったのだが、時節がら忙しいと悪いので携帯メールを送った。
返事はなかった。きっとインフルエンザの流行でものすごく忙しいか、さもなくば返事もする気になれぬくらい父を軽蔑しているのであろうと思った。私はめったにメ-ルを打たないが、打つとなったら職業上すこぶる長文になる。このときのメールも原稿用紙に換算すると七枚ぐらいになったと思う。つまり本稿と同じ程度である。
薬局、じゃなかった、結局、私は絶食を選んで薬は飲まなかった。効果は覿面で、二日間の完全断食ののち、私は病の克服とダイエットを同時になしたのであった。
と思いきやへ三日目に健康ランドで計測したところ、なぜか体重はピタ一キロも減ってはいなかったのである。思うにこれは、年末年始に増加した体重が、元に戻ったというだけであるらしい。
何だか損をした気分になり、サウナルームでやけくその汗を淋漓としたたらせながら、ふと疑った。
バカが風邪をひかぬという説は、もしや真理ではあるまいか、と。
文章の中で、薬の部分は面白く書いている。さすが作家である。文中の間違いをひとつ指摘する。「薬局が処方」するではなく、「薬局が調剤」するである。

2014年3月11日火曜日

ムラ的民主主義


精神科医の斎藤環氏は毎日新聞への寄稿で安倍政権の危うさを「ムラ的民主主義の危うさ」と出して述べている。
ムラ的民主主義の危うさ
東京電力福島第1原発の事故処理についてはいまだ問題が山積している。第一に、除染や廃炉、汚染水対策が停滞しているという現実。とりわけ汚染水についてはトラブルが続いており、安倍晋三首相が五輪招致演説で述べたような「アンダーコントロール」とはほど遠い。
もちろん原発事故については、他の政権担当者ならばきちんと処理できたとは限らない。しかし、長期的視野に立った場合に、安倍政権は少なからぬ“思想的問題”をはらんでいる。
私が特に懸念するのは、安倍政権が一貫して“前のめり”になっている改憲論議についてである。一昨年に提示された自民党改憲案には、立憲主義の否定になりかねない危うさがある。この改憲案は、安倍首相の思い描くポエジーの反映である。
「自立自助を基本とし、不幸にして誰かが病に倒れれば、村の人たちみんなでこれを助ける。これが日本古来の社会保障であり、日本人のDNAに組み込まれているものです」(安倍晋三「瑞穂の国の資本主義」文芸春秋20131月号)
ここで述べられる「瑞穂の国」とは、いわば理想化されたムラ社会である。改憲案の理念にも、至る所にムラ的価値観がにじんでいる。
民主主義の根幹は、個人の人権に至上の価値を置くことである。その意味で、個人の権利以上に重要なものがあると考えるこの改憲案は、民主主義に反している。
改憲案ではしきりに「公の秩序」が強調される。福祉ではなく秩序、である。しかし、個人の活動を抑圧する「公」は「公」ではない。それは「世間」そのものだ。
世間を構成するのは家族や地域や会社といったムラ的中間集団である。つまり改憲案では、国家や社会といった「公共」以上に、ムラ的な「世間」が重視されているのだ。
こうしたムラ的民主主義は、短期的な地域の復興や景気浮揚においてはそれなりに効果を発揮するだろう。しかし原発の廃炉をはじめとする長期的な原子力政策、あるいは復興の中で疲弊した被災弱者へのサポートについては大いに不安が残る。
ムラ的価値観の問題の一つは、トラブルが起きた場合の責任の所在がうやむやにされやすい点である。ざらに、先般成立した特定秘密保護法のもと、今後の政策決定の過程が不透明化し記録に残されない懸念が加わる。
「あの日」を経てきた私たちが、今度こそ「市民」たりうるのか、依然として「ムラ人」にとどまるのか。ひとまずは改憲に対する意思表示がその試金石となるだろう。
原発推進勢力は、推進力の一番の方法は憲法の改定と考えている。まさに我々の改憲への意思表示が問われている。

2014年3月7日金曜日

歴史という長い鎖


 もう8年も前になくなった吉村昭氏のエッセイ「人生の観察」が発売され読んだ。その中の一つを紹介する。
歴史という長い鎖
テレビの教養特集「明治人」を見た。評論家の萩原延寿氏の解説で明治前半に生まれた荒畑寒村、武田久吉、高橋誠一郎、野上弥生子、天野貞祐、石坂泰三の諸氏の明治という時代,そして現在と将来に対する意見が短時間ながら述べられ、きわめで興味深かった。
明治という時代が創造的なものをもった時代だったと認めながらも、その欠陥にふれ、「現代の方がすぐれている」と六氏が異口同音に述べておられたことに、それらの諸氏がいたずらな回顧的感傷にとらわれず、冷静に時代の流れを凝視しているのを感じた。そして、その時代のさまざまな要素の中に、すでに太平洋戦争への傾斜が強烈な形で包蔵されていたことを、六人の方々が指摘していたことにも深く同感できた。
歴史というものは、果てしなく長い鎖のようにおびただしい鉄の環が互いにきつくかみ合って形成されている。中途で切断されていることはないものである。明治という時代が存在しなければ、太平洋戦争はあり得なかったし、戦後の現在も存在しない。現在相ついで起こる事象をどのように判断すべきか。それは歴史という果てしなく長い鎖の中で、その事象がどのような意味をもつ鉄の環かを見定める以外に方法はない。
明治は、たしかに新しい時代の出発であり、現代の一つの源でもあったと解することができる。しかも、明治はきわめで近い時代であり,その時代から現在に至る経過を深く考えることは、歴史というものの意味を知る第一歩ではないかと思う。
「戦後レジーム」からの脱却を叫ぶ安倍首相は、ついこの間の太平洋戦争をどう考えているのであろうか。歴史から学ばない者に明日はない。

2014年3月5日水曜日

強がるリーダー


毎日新聞で「保守と歴史認識」というシリーズが連載されている。今回は神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏である。そこでの一部分を紹介する。
民主制は政策決定にむやみに時間がかかる。時間がかかるかわりに集団全員が決定したことの責任を引き受けなければならない。政策決定が失敗した場合でも、誰かに責任を押しっけることができない。それが民主制の唯一の利点だということを首相はたぶん理解していない。
そのような政権運営を可能にしているのは国民的規模での反知性主義の広がりだ。教養とは一言で言えば、他者の内側に入り込み、他者として考え、感じ、生きる経験を積むことだ。死者や異邦人や未来の人間たち、自分とは世界観も価値観も生活のしかたも違う他者の内側に入り込んで、そこから世界を眺め、世界を生きる想像力こそが教養の本質だ。そのような能力を評価する文化が今の日本社会にはなくなっている。
 ただ、中国も韓国も理解するには難しい国です。
どこの国のリーダーも立場上言わなければいけないことを言っているだけで、自分の本音は口にできない。その切ない事情をお互いに理解し合うリーダー同士の「目配せ」のようなものが外交の手詰まりを切り開く。相手の事情に共感するためには、一度自分の立場を離れて、中立的な立場から事態を見渡して議論することが必要だ。先方の言い分にもそれなりの理があるということを相互に認め合うことでしか外交の停滞は終わらない。
外交において相手に譲るのは難しいことです。
外交でも内政でも、敵対する隣国や野党に日ごろから貸しを作っておいて、ここ一番の時にそれを回収できる政治家が必要だ。見通しの遠い政治家は、譲れぬ国益を守り切るためには、譲れるものは譲っておくという気遣いができる。多少筋を曲げても国益が最終的に守れるなら、筋なんか曲げても構わないという腹のくくり方ができる。
大きな収穫を回収するためにはまず先に自分から譲ってみせる。そういうリアリズム、計算高さ、本当の意味でのずるさが保守の知恵だったはずだ。それが失われている。最終的に国益を守り切れるのが「強いリーダー」であり、それは「強がるリーダー」とは別のものだ。
人間関係も政治も他者の気持ちを如何にわかるかが必要である。「反知性主義」の広がりは怖い。「強いリーダー」を履き違えている安倍政権は近い将来、外交に於いて大きな失敗を犯すであろう。

2014年3月1日土曜日

歴史のお勉強

 
以前紹介した池澤夏樹氏の「叡智の断片」から、面白い話を紹介しよう。
歴史のお勉強
沖縄戦の時、日本軍は民間人を「集団自決」に誘い込んだ。追い込んだと言ってもいい。教科書はずっとこれを歴史的事実として書いてきたが、去年(注二〇〇七年)検定で書かないようにという圧力がかかった。
沖縄の人たちは怒って県民集会を開き、結局これをひっくり返した。
これについては論の立てかたがいくつもある。ぼくはまず、集会に十一万人が集まったという沖縄人の政治感覚に感心した。戦争中のあの体験が戦後の沖縄と本土の関係の原点なのだから、そこを歪曲されたら沖縄は浮かばれない。
沖縄人はあの戦争でほとんど唯一の国内の地上戦に巻き込まれ、引き延ばしの捨て石にされ、十二万人が死んだ。ここでよく引用されるのが沖縄戦で海軍の司令官だった大田実が、追い詰められて最後に送った電報の言葉「沖縄県民斯ク戦ヘリ県民二対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
後の世の日本の政治家は特別の高配はせず、逆に沖縄を切り捨てた。今もってアメリカ軍基地の多くを押しっけたまま知らぬ顔をしている。
いい機会だから歴史とは何か、もう一度考えてみよう。「ライオンが自分たちの中から歴史家を生み出さないかぎり'狩の歴史は狩人の栄光に奉仕する」とアフリカの諺が言う。つまり歴史は勝者が書くということだ。きつい諷刺で知られるアメリカの作家アンプローズ・ピアスが『悪魔の辞典』の中で定義するところによれば、歴史とはー 「歴史事象の記述。その大半は虚偽ないし取るに足りぬことであり、書き手の多くは統治者すなわち悪党であるか、軍人すなわち馬鹿である」ということになる。
  すると今回の検定騒ぎは軍人すなわち馬鹿の末裔が引き起こしたことであるのか。「歴史の本に何の記載もない民こそ幸福である」とフランスの思想家モンテスキューは言った。要するに歴史とはそのまま不幸の歴史だということだ。
『ローマ帝国衰亡史』で知られるイギリスで最も偉大な歴史家エドワード・ギボンがこう言うのだー「歴史とは結局、人類の犯罪と愚行と不運の記録に過ぎないと言える」l 
歴史について誰もが言うことの1つに「歴史は繰り返す」というのがある。十九世紀にイギリスで言い出されたのだが、その背景にはどうやらへーゲルがいたらしい。ここ数年の日本の右傾化について、戦前の軍国主義への回帰であるという意味で「この道はいつか来た道」と言うのなどが身近な例だ(これ自体が北原白秋の歌詞の引用)。「歴史は繰り返す」に対してマルクスはこう言ったー
「重要な事件や偉大な人格は何らかの形で世界の歴史に再登場するとへーゲルは言った。大事なことを忘れているー最初の回は悲劇として登場するが、二回日はお笑いなのだ」
一回目の悲劇に何も学ばない者が二回目のお笑いを引き起こす。第三者から見るとお笑いだが、当事者にとっては笑いごとではない。
  まさに、今の政治状況を言っているようだ。二回目のお笑いにならないことを切に願う。