2014年3月7日金曜日

歴史という長い鎖


 もう8年も前になくなった吉村昭氏のエッセイ「人生の観察」が発売され読んだ。その中の一つを紹介する。
歴史という長い鎖
テレビの教養特集「明治人」を見た。評論家の萩原延寿氏の解説で明治前半に生まれた荒畑寒村、武田久吉、高橋誠一郎、野上弥生子、天野貞祐、石坂泰三の諸氏の明治という時代,そして現在と将来に対する意見が短時間ながら述べられ、きわめで興味深かった。
明治という時代が創造的なものをもった時代だったと認めながらも、その欠陥にふれ、「現代の方がすぐれている」と六氏が異口同音に述べておられたことに、それらの諸氏がいたずらな回顧的感傷にとらわれず、冷静に時代の流れを凝視しているのを感じた。そして、その時代のさまざまな要素の中に、すでに太平洋戦争への傾斜が強烈な形で包蔵されていたことを、六人の方々が指摘していたことにも深く同感できた。
歴史というものは、果てしなく長い鎖のようにおびただしい鉄の環が互いにきつくかみ合って形成されている。中途で切断されていることはないものである。明治という時代が存在しなければ、太平洋戦争はあり得なかったし、戦後の現在も存在しない。現在相ついで起こる事象をどのように判断すべきか。それは歴史という果てしなく長い鎖の中で、その事象がどのような意味をもつ鉄の環かを見定める以外に方法はない。
明治は、たしかに新しい時代の出発であり、現代の一つの源でもあったと解することができる。しかも、明治はきわめで近い時代であり,その時代から現在に至る経過を深く考えることは、歴史というものの意味を知る第一歩ではないかと思う。
「戦後レジーム」からの脱却を叫ぶ安倍首相は、ついこの間の太平洋戦争をどう考えているのであろうか。歴史から学ばない者に明日はない。

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