2014年3月1日土曜日

歴史のお勉強

 
以前紹介した池澤夏樹氏の「叡智の断片」から、面白い話を紹介しよう。
歴史のお勉強
沖縄戦の時、日本軍は民間人を「集団自決」に誘い込んだ。追い込んだと言ってもいい。教科書はずっとこれを歴史的事実として書いてきたが、去年(注二〇〇七年)検定で書かないようにという圧力がかかった。
沖縄の人たちは怒って県民集会を開き、結局これをひっくり返した。
これについては論の立てかたがいくつもある。ぼくはまず、集会に十一万人が集まったという沖縄人の政治感覚に感心した。戦争中のあの体験が戦後の沖縄と本土の関係の原点なのだから、そこを歪曲されたら沖縄は浮かばれない。
沖縄人はあの戦争でほとんど唯一の国内の地上戦に巻き込まれ、引き延ばしの捨て石にされ、十二万人が死んだ。ここでよく引用されるのが沖縄戦で海軍の司令官だった大田実が、追い詰められて最後に送った電報の言葉「沖縄県民斯ク戦ヘリ県民二対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
後の世の日本の政治家は特別の高配はせず、逆に沖縄を切り捨てた。今もってアメリカ軍基地の多くを押しっけたまま知らぬ顔をしている。
いい機会だから歴史とは何か、もう一度考えてみよう。「ライオンが自分たちの中から歴史家を生み出さないかぎり'狩の歴史は狩人の栄光に奉仕する」とアフリカの諺が言う。つまり歴史は勝者が書くということだ。きつい諷刺で知られるアメリカの作家アンプローズ・ピアスが『悪魔の辞典』の中で定義するところによれば、歴史とはー 「歴史事象の記述。その大半は虚偽ないし取るに足りぬことであり、書き手の多くは統治者すなわち悪党であるか、軍人すなわち馬鹿である」ということになる。
  すると今回の検定騒ぎは軍人すなわち馬鹿の末裔が引き起こしたことであるのか。「歴史の本に何の記載もない民こそ幸福である」とフランスの思想家モンテスキューは言った。要するに歴史とはそのまま不幸の歴史だということだ。
『ローマ帝国衰亡史』で知られるイギリスで最も偉大な歴史家エドワード・ギボンがこう言うのだー「歴史とは結局、人類の犯罪と愚行と不運の記録に過ぎないと言える」l 
歴史について誰もが言うことの1つに「歴史は繰り返す」というのがある。十九世紀にイギリスで言い出されたのだが、その背景にはどうやらへーゲルがいたらしい。ここ数年の日本の右傾化について、戦前の軍国主義への回帰であるという意味で「この道はいつか来た道」と言うのなどが身近な例だ(これ自体が北原白秋の歌詞の引用)。「歴史は繰り返す」に対してマルクスはこう言ったー
「重要な事件や偉大な人格は何らかの形で世界の歴史に再登場するとへーゲルは言った。大事なことを忘れているー最初の回は悲劇として登場するが、二回日はお笑いなのだ」
一回目の悲劇に何も学ばない者が二回目のお笑いを引き起こす。第三者から見るとお笑いだが、当事者にとっては笑いごとではない。
  まさに、今の政治状況を言っているようだ。二回目のお笑いにならないことを切に願う。

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