2014年3月31日月曜日

トリクル・ダウン


久々に、お茶の水の駅付近で「ビッグ・イッシュー」を購入。300円である。4月からは350円になると言う。その中で浜矩子氏のエッセイを紹介する。
浜矩子のストリート・エコノミックス
トリクルは決してダウンしない
トリクル・ダウンという言葉がある。トリクルは「チョロチョロ」とか「ポタポタ」の意。ダウンは「下へ」だ。水滴がポクポタと下に落ちるかごとく、富もまた、上から下へと流れ落ちる。そういう理屈だ。
トリクル・ダウン効果がある。だから、富める者をより富ますことが正解だ。だから、まず、大企業を儲けさせなくっちゃいけないよ。だから、何はともあれ、経溝成長が最優先だ。
こんなふうに言われる。本当なのか。それは違う。実際の経済効果は、トリクル・ダウンではない。確かにトリクルはする。だが、ダウンではない。実はトリクル・ラウンドだ。
富は、富める者たちの間をグルグル回る。回るたびに大きくなる傾向がある。回るたびに回転速度が速くなる。トリクルというよりは、フライだ。富の回転木馬は、飛ふように目まぐるしく、激しく回る。そこにあるのは、官の閉鎖的自己増殖過程だ。何も、どこにも、ダウンして来ない。
トリクル・ダウン効果を強く主張した英国のサッチャー政権下においても、米国のレーガン政権下においても、経済格差は拡大した。富の滴が下降することはなかった。富は、ひたすら、富める者たちの間を巡回するだけだった。チョロチョロでも、ポクポタでもない。グルグルだった。
それなのに、あいもかわらず、トリクル・ダウンの提唱者が少なくない。都合のいい理屈だからなのだろう。
そもそも、トリクル・ダウンという言い方がけち臭い。いかにもおこぼれのイメージだ。カラカラに喉が渇いた人々が、できの悪い蛇口からチョロチョロたれ出る水の一滴・二滴に命をかける。そんな光景をよしとしていいのか。経済活動という名の命の水は、豊かで、分け隔てなく、大らかに、大河のごとく流れなければいけない。そうなるよう、気配りするのが、政策というものの役割だろう。
350円になるとそのうちの170円が販売者のものになると言う。50円アップすることによって販売数が減らなければいいが。

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