2014年3月5日水曜日

強がるリーダー


毎日新聞で「保守と歴史認識」というシリーズが連載されている。今回は神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏である。そこでの一部分を紹介する。
民主制は政策決定にむやみに時間がかかる。時間がかかるかわりに集団全員が決定したことの責任を引き受けなければならない。政策決定が失敗した場合でも、誰かに責任を押しっけることができない。それが民主制の唯一の利点だということを首相はたぶん理解していない。
そのような政権運営を可能にしているのは国民的規模での反知性主義の広がりだ。教養とは一言で言えば、他者の内側に入り込み、他者として考え、感じ、生きる経験を積むことだ。死者や異邦人や未来の人間たち、自分とは世界観も価値観も生活のしかたも違う他者の内側に入り込んで、そこから世界を眺め、世界を生きる想像力こそが教養の本質だ。そのような能力を評価する文化が今の日本社会にはなくなっている。
 ただ、中国も韓国も理解するには難しい国です。
どこの国のリーダーも立場上言わなければいけないことを言っているだけで、自分の本音は口にできない。その切ない事情をお互いに理解し合うリーダー同士の「目配せ」のようなものが外交の手詰まりを切り開く。相手の事情に共感するためには、一度自分の立場を離れて、中立的な立場から事態を見渡して議論することが必要だ。先方の言い分にもそれなりの理があるということを相互に認め合うことでしか外交の停滞は終わらない。
外交において相手に譲るのは難しいことです。
外交でも内政でも、敵対する隣国や野党に日ごろから貸しを作っておいて、ここ一番の時にそれを回収できる政治家が必要だ。見通しの遠い政治家は、譲れぬ国益を守り切るためには、譲れるものは譲っておくという気遣いができる。多少筋を曲げても国益が最終的に守れるなら、筋なんか曲げても構わないという腹のくくり方ができる。
大きな収穫を回収するためにはまず先に自分から譲ってみせる。そういうリアリズム、計算高さ、本当の意味でのずるさが保守の知恵だったはずだ。それが失われている。最終的に国益を守り切れるのが「強いリーダー」であり、それは「強がるリーダー」とは別のものだ。
人間関係も政治も他者の気持ちを如何にわかるかが必要である。「反知性主義」の広がりは怖い。「強いリーダー」を履き違えている安倍政権は近い将来、外交に於いて大きな失敗を犯すであろう。

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