2014年6月30日月曜日

ファミレス社会


日経に評論家の樋口恵子氏が「ファミレス社会がやってくる」というタイトルの記事を書いていてので、思わず読んでみた。ファミレス社会とはなんぞや?以下、一部紹介する。
身よりのない高齢者があふれる“ファミレス”時代がやってくる
「健康寿命と平均寿命の差は約10年あります。多くの人が人生の10年間はだれかの支えが必要です。そして子どもはすべて介護責任者になる。先ごろ『大介護時代を生きる』と題した本を書きましたが、まさにそうした時代が始まっています」
少子化と高齢化の同時進行が問題をさらに複雑にする。「私の世代はまだ兄弟姉妹が4-5人いる。自分に子どもがいなくても、いざとなれば甥(おい)や姪(めい)が責任者になることができるかもしれない。
しかレ、近年結婚しない人が急増しています。日本は100%近くが結婚する無類の結婚大好き民族だったのに、今、50歳の男性の5人に1人、女性の9人に1人が未婚です」
「親が亡くなり、兄弟姉妹はおらず、子どもも孫もいないファミリーレス(家族なし)の人があふれる本格的な“ファミレス”社会がやってくる。今の50代は少子化と独身化の最先端にいます。彼らが高齢になったときにどんな問題が生まれるか。今から備える必要がある」
「一つの解決策は家族の概念を広げることです。一昨年にスウェーデンを訪れ感銘したことがあります。日本と同様の介護休業制度があるのですが、日本は対象を親族の一部に限っているが、スウェーデンは友人でも隣人でも介護を受ける人の承認があれば認める。80%の所得補償もあります。まさに遠くの親せきより近くの他人です」
「もちろん家族は大切。何ものにも代え難い肉親の情はあります。しかし、子育てにしろ介護にしろ近代化のひずみをすべて家族に押しつけるべきではない。社会の変化に応じて家族や個人を支援しなければいけない。私たちも自分が選び取った縁を地域で築く必要がある」
年金をめぐり高齢者と若者の世代対立が言われるなど、さまざまなきしみも生まれている。「高齢者は実は未来に一番近い存在。自分の利益ばかり叫ばず、命の循環を考えるべきでしょう。働けるうちは“しやば”にいた方がいい。かつて働き盛りの男性に「家庭に帰れ」と言いつづけたが、今、高齢男性には『外に出よう』と言いたい。国や企業は高齢者の活躍推進を本気で考えてほしい」
介護者が介護サービスを受けながら、仕事を継続できるようにしないと日本の未来はない。健康寿命と平均寿命の差を小さくするためには何が必要なのかを考えたい。

 

2014年6月26日木曜日

沖縄戦


 写真記録 「沖縄戦」 国内唯一の戦場から基地の町へ
というタイトルの本(写真)を読んだ。著者は元沖縄知事の大田昌秀氏である。その本のまえがきで氏は次のように述べている。一部紹介する。
日本の敗戦後69年目を迎えました。まさに「光陰矢の如し」の感がしてなりません。半世紀以上も経ったその間、私が一日たりとも忘れることができないのは、太平洋戦争末期に身をもって体験した沖縄戦のことです。それは、私にとって戦時中から現在に至る私の人生の生き方の原点になっているからです。
すなわち、沖縄戦の最後の決戦場たる沖縄本島南部の摩文仁の海中で意識を失い、九死に一生を得て、海岸の岩山に敗残の身を潜めていた時、もしも生き延びることができたら、この戦争の実態や「聖戦」と称されたのとは逆に、世にもおぞましい戦争に如何にして駆り出されたのか、その経緯についてぜひとも明らかにしたいと自らの心に固く誓ったのです。しかしいまだ、その想いは完結していないので、忘れ去るわけにはいかないのです。
未完の理由は、沖縄戦の内実が殊のほか奥深く複雑多岐な上、日本・沖縄・米国三者がじかに関与した戦闘のため、可能なかぎり三者の資料を収集してそれをバランスよく整序、分析しないと、その全容を把握することは困難だからです。そのため私は、延べ20年間もアメリカの国立公文書館に通い続けて、米軍報道班の撮影した沖縄戦の写真や関連資料を可能なかぎり収集してきました。
中略
それにもかかわらず、戦中世代が激減するのに反比例して現在は戦無派世代が急増しているため、沖縄戦の表現を絶する惨禍が、いつしか忘却の彼方に追いやられる傾向がかつてなく強まっています。そのため、じかに戦争を体験した世代は、愛して止まない沖縄を二度と再び戦場にしてはならないとの強い思いから、生きているかぎり、繰り返し自らの経験について書き続け、語り続けねばなりません。それは、戦争を生き延びた者の余生を生きる意味にはかならないからです。本書はその想いの一環にはかなりません。
ここで強調しなければならないことは、現在沖縄で大騒ぎの基となっている普天間飛行場の名護市辺野古への新基地建設問題についてです。辺野古の海風が吹き荒ぶ海岸にテントを張り90代のおばあさんたち80代のおじいさんたちが座り込んで抵抗しています。しかも十数年間もの長きにわたって新たな基地を絶対に造らせないと頑張っているのです。いずれも戦争体験者たちだからできることなのです。読者諸賢がこうした実情を汲み取り、戦争世代の意のあるところを考えながら本書を一読していただけたら幸甚に存じます。  20143月大田昌秀
今年の年末までには「沖縄知事選」がある。果たしてどんな選挙になるのであろうか。

2014年6月24日火曜日

やじと笑い


東京都議会での男性議員からのやじ問題について、さまざまなコメントがなされている。大部分は男性側からのコメントである。女性側から、毎日新聞の発信箱で小国綾子が以下のコラムを書いている。
女性蔑視のやじと笑い声
駆け出し記者時代、長野地裁で女性が被害者の殺人事件の公判を取材した。残虐なまでの性的暴行が読み上げられ、耐え切れず周囲を見回せば、検察官も裁判官も被告も弁護士も記者も全員が男性。みなが平然として見え、急に怖くなり逃げ出したい衝動に駆られた。
あれから四半世紀。今では法廷で多くの女性が働き、被害女性の人権への配慮も以前より進んだ。いつの間にかあの日の心細さなどすっかり忘れていた。「やじ」の話を聞くまでは。
東京都議会の一般質問で女性議員が子育てや不妊治療への支援策について質問に立ったところ、男性議員から「自分が早く結婚した方がいいんじゃないか」「産めないのか」とやじが飛んだという。ニュースサイトの動画でその時の状況を見てショックを受けた。やじも卑劣だが、その後に起こった男性議員たちの笑い声、あれはいったい何?誰か一人でも「そのやじは人権侵害だ」と大声で反論してほしかった。議事を止める動議を出してほしかった。私がこの女性議員だったら、やじ自体より、からかうような笑いが起こる都議会の空気の方が耐えられなかっただろう。あの日、長野地裁で感じた、味方が誰一人いないような心細さを感じてしまっただろう。
セクハラや人権侵害が起きた時、問われるのは周囲がどんな態度を取るかだ。うやむやにして「五輪開催都市。東京の議会は女性蔑視OK」と世界に宣伝するのか、この機に人権侵害の発言ややじ一層するのか。セクハラ対応の大原則は、①事実確認②加害者・被害者への適正な措置③再発防止を講ずるーー の三つを迅速に行うこと。再発防止策を待ちたい。
東京都議会は議員一人の謝罪で済ますのか、再発防止策を講ずるのか注視したい。

2014年6月18日水曜日

日本社会はどうなっている?


民医連医療7月号より、神戸女学院大学教授の石川康宏氏の新連載「日本社会はどうなっている?」が始まった。出だしを紹介する。
さて『民医連医療』に1年間の連載の機会を与えていただきました。今の日本社会について、ちょっと理論的な話もまじえながら、思いつくところを書いてみたいと思います。感想や質問はメールで(walumonoO328@gmai1.com)お届けください。連載で取り上げることがあるかも知れません。
若い人との話し合いの中で 
1話のテーマは「社会科学」についてです。ちょっと固いですか? だいじょうぶ。読めば、そうでもありませんから。先日、大阪で若い人たちと日本の政治について語りあう機会がありました。「安倍内閣が」といったようなお話です。場所が大阪でしたから、もう勢いがなくなってきた橋下さんについてもあれこれと。集まったのは10代の大学生から30代の組合青年部のリーダーまで。それぞれ政治を考え、歴史問題や医療、自治体のあり方などをまじめに考える人たちでした。で、その話し合いの中でぼくが一番驚かされたのは、参加者の誰一人として「社会科学」という言葉を聞いたことがないということでした。一瞬、「絶句」の気分でした。そして、これは、案外大きな「落とし穴」かも知れないぞ、と思わされました。
この言葉、みなさんは聞いたことがありますか?「自然科学」が「自然についての科学」を指すように、「社会科学」は「社会についての科学」を指す言葉です。「社会についての」というだけなら、難しいことは何もありません。かんじんなのは、それもまた「科学」だということです。
この言葉を知らず、そのようなことを考える機会をもたずにきたのであれば、経済学や政治学など、社会についてのさまざまな学問を「科学」として受け止めることができていないのかも知れない。話し合いの中で、ぼくにはそういう不安がわいたのでした。  
「本当の姿」を探りに行く
そこで話はここからです。「科学」とは一体何でしょう。
こう問われて、みなさんが真っ先にイメージするのは、宇宙の誕生、生物の進化、人体の不思議など、テレビでよく見る個々の「自然科学」の到達点かも知れません。それぞれの領域で、科学者たちは望遠鏡や顕微鏡や薬品、さらには大がかりな実験装置をつかって、自然の「本当の姿」を探り当てる努力をしています。
少し考えてみるとわかるように、ぼくたちの目の前に見える自然は、いつでも「本当の姿」を示しているわけではありません。たとえば夜空の星は、暗い空の平面にペタッと並んでいるように見えています。しかし、それらの星々は、実際には銀河系と呼ばれる渦を巻いた円盤のような形をつくっています。また星の並んだ平面は、地球をまわっているように見えますが、そう見えるのは、反対に地球が自転しているからでした。さらに宇宙は昔からまるで姿を変えないように見えますが、本当はインフレーションやビッグバンの瞬間から、今もずっと膨張を続けています。
このように、目に見える世界を入り口に、それが目に見える姿で現れてくる自然の「本当の姿」を探り当てにいくのが「科学」です。そうした探求の行為ととともに、その成果もまた一般に「科学」と呼ばれています。
地球は自転している、宇宙は膨張しているなど、地球や宇宙の「本当の姿」についての認識は、科学的認識と呼びかえることもできます。科学的認識は、観察や実験などに裏付けられたものでなければなりません。それは「本当の姿」をどのように正確にとらえているのか。その点についての証拠が必要だということです。
ですから「ぼくはこう思うよ「どうして?「いや思うだけ」という思いつきのたぐいは、どんなに立派な「本」に書かれていても、科学の範囲には入りません。また、科学的認識は、探求の積み重ねによって中身が変わっていきます。つまり「科学」は「すべてがわかった」という完成品ではなく、「今ここまでわかっている」という、いつでも変化の途上にあるものです。科学者たちは「ここまでわかった」ということの「ここまで」を、より広いものにしようと努力しています。
「社会科学は」同じことを、社会を相手に行うものです。人間社会の「本当の姿」を探り、その成果を順に積み上げていくものです。
この連載を読みながら、あらためて日本社会を考えていきたいと思う。

2014年6月16日月曜日

バルテュス


20世紀最後の巨匠と謳われたバルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ、通称「バルテュス」。92年間の生涯をひたすら描くことに費やした孤高の画家・・と紹介されている。NHKの新日曜美術館で紹介されたので、上野の東京都美術館に行った。土曜日だったせいか大変込んでいたので、入館せず、「バルテュスの優雅な生活」という本をミュージアムショップで購入して帰ってきた。本の中の、バルテュスの紹介部分を紹介。
小さくて密やかな、夜の透き間。君の誕生日はそこに隠れていて、4年に一度しか姿をみせない・・45歳の詩人リルケは、33歳年下の少年に宛てた手紙のなかで、そう書いている。少年の本名は、バルクザール・クロソフスキー ・ド・ローラ。愛称をパルテュスという。
パルテュスは1908年の閏年、229日に、パリで生まれた。ポーランド人の父エーリッヒは美術史家、母のバラディーヌは画家。3歳年上の兄は、のちに『ロベルトは今夜』で知られる作家・批評家・画家のピエール・クロソフスキー。パリのクロソフスキー家にはボナールやマティスがよくやって来た。
芸術談議に花を咲かせ、バルクザール少年のお絵描きにもけっこう感心していたという。だが、パルテュスの少年時代はけっして優雅なものではなかった。
1914年に第1次大戦が勃発すると、一家はベルリンへ移住を余儀なくされた。1914年には両親が別居。母バラディーヌは二人の少年を連れてスイスのベルンやジュネーブを転々とする間、旧知のリルケと再会し、恋仲に。
リルケは恋人の連れ子たちを、まるで自分の息子のように可愛いがった。ある時、バルクザール少年が地理のテストで落第点を取ると、むずかしすぎるテストを作る学校が悪いと、校長先生に直談判したくらい。
また、少年の画才を見抜くのも早かった。1919年、11歳の少年は愛猫「ミツ」との出会いと別れを主題としたドローイングの制作を開始していた。これを見て感激したリルケは絵本にしようと思いたつ。出版社を見つけ、自ら序文まで執筆する熱の入れようだった。かくして1921年、絵本『ミツ』はチューリッヒの出版社から上梓された。そしてその3年後、19243月、バルクザール少年はリルケの勧めに従い、絵画修業に励むべく、パリへと旅立つ。パルテュス16歳の春だった。
彼の3人目の妻は日本人で節子・クロソフスカ・ド・ローラと言う。今も健在である

2014年6月12日木曜日

なぜ哲学するのか?


「なぜ哲学するのか?」という難しいタイトルの本を図書館で借りた。私は、タイトルに哲学という字が入っていると、取りあえず中を見てみる。哲学をどのように捉えているかに興味があるからだ。著者はジャン=フランソワ・リオタールというフランスの思想家である。全般的に難しい本である。以下、わかりやすい部分を一部紹介する。
みなさんは、 1985年頃の青年マルクスによる、『フォイエルバッハ・テーゼ』の最後の第2テーゼをご存じでしょう。それは次のように述べています。「哲学者たちはただ世界をさまざまに解釈してきたにすぎない。肝腎なのは、世界を変革することである」。私は、このマルクスのテーゼのなかに、哲学の無力さ、無能力、無効性の本当の意味の広がりについて反省するための、よい出発点があると思います。
青年マルクスの断固とした言い方にもかかわらず、そのおかげで私たちはものごとがそれほど単純ではないことを理解できます。マルクスや真のマルクス主義に対立してではなくそれらのおかげで理解できます。すなわち、 一方に語る人間がいて、他方に活動する人間がいるわけではない、ということです。
先週、口に出して言うことで、言われたことは変わると申しあげました。また他方でみなさんは、しようと思っていることを知っていなければ、言いかえれば、しようと思っていることを言わなければ、またそれについて自分や他の人と議論しなければ、活動できないことをご存じです。このことはただちに、哲学と活動の連絡を復活させる二つの理由になります。しかし、言うこととすることのあいだのこの相互浸食をもう少し深めてみましょう。
マルクス主義には、 一見したところ決定的でラディカルな哲学批判があります。この批判のラディカルさは、まさにマルクスが哲学に十分な広がりを与えたことから生じます。彼は哲学を非常に重要なものととらえていて、饒舌のせいで哲学を追放してこと足れりとはしません。
マルクスは、哲学が現実から切り離された反省であること、私たちが先に述べたように、哲学には現実存在から切断された心の現実存在があることを示すだけでなく、この独自の反省には、無意識のうちに現実が住みつき、現実存在や現実の人間の諸問題が住みつき、現実社会の問題構制が住みつくことを示しています。
マルクス主義がイデオロギーと呼ぶもの(そして哲学はイデオロギーの最前列にあります)は、たんなる現実の自発的表象ではありません。それによれば、哲学者や思想家は現実の一隅にいて、ひとりでうわごとを喋っており、結局人類は、歴史の流れのなかで、得るところなくしかし大きな損失もなく、このお喋りな狂人つまり哲学者を運んできたということになります。
いやへマルクスはヘーゲルの教えを軽視していませんでした。マルクスは、虚偽命題の内容はそれ自体で虚偽なのではなく、分離して絶対的なものととらえられたときにはじめて虚偽なのだということ、逆にそれが切り離された元のものと一緒にされたとき、この内容は一つの契機、進行中の真理のl要素としての姿を見せるということを、忘れていませんでした。
哲学は単なる思想ではなく、現実から出発しなくてはならないということである。

 

2014年6月7日土曜日

普通の人たち


内田洋子氏「皿の中のイタリア」(講談社)を読む。内田氏はイタリア在住の作家である。イタリアでの自分の周りの人との交流をエッセイにしている。特になにを言いたいでもなく、つづられているが、なかなか面白い。以下一部紹介する。
「刺激のある仕事がなくて。冬場は、撮影も限られるし」
海洋生物を専門とするカメラマンであるミ-ナは、常夏の海にでも行く依頼が入らない限り、冬場はミラノでおとなしく写真の整理作業をしていることが多い。根気のいる地味な作業で、日の差さない町の室内に閉じこもり、カメラを持たずに事務作業ばかり続けているうちに、気持ちがだんだん塞いでくる。
「このままだといずれ春が来ても、肝心の撮影意欲とセンスがなくなっているかもしれない」 暗い声で電話があった。
仕事のないときは、時間がある。それでは習作も兼ね、テーマを決めて撮り溜めをし、展覧会でも開くというのはどうだろう、と言ってみる。彼女は大いに乗り気だったので、イワシを食べながらその話の続きをするつもりである。
揚げる端から次々とイワシを口に運び、揚げ上がるのを待つ間に、白ワインを飲む。名もない瓶詰めにしたてのワインで、日本では(ノベッロ新種入荷)と看板まで出たりする騒がれようだが、イタリアでは進んで買おうという人はいない。味が定まるにはまだ早い、これからのワインだからである。箱買いしても外れが多いこともあり、博打のようで面白い。廉価で、当たるも八卦、当たらぬも八卦、で栓を抜く。
熱々のイワシからジュツと汁が飛び出す。あっちちと慌てて、ゴクリと飲む。
「撮りたいのは、普通の人たちよ」二十尾目くらいを頬張りながら、ミ-ナが言う。
海洋生物を専門に撮り始める前は、彼女はファッション業界に名の知れたカメラマンだった。長身で青みがかった緑色の目をした彼女は、撮影現場に行くと必ずモデルと間違えられるほどだった。四十半ばの現在でも十分に美しくむしろ今のほうがさばけて醒めた気配がさぁり、さらに魅力的である。こんなカメラマンが来たら、年端のいかないモデルはすっかり色褪せてしまったことだろう。
ファッションや広告業界の、上っ面ばかりを追う仕事にすっかり嫌気がさし、海洋生物へと被写体を替えてしまう。
「同じ生き物でも、魚介類なら声も出さないから」
海に潜り、浜を歩き、潮風に吹かれて、海草や魚ばかりと過ごしているのである。「着せ替え人形みたいなモデルばかり撮っていた頃は、人間には全然興味がなかったけれど、最近、着飾らなくてもいいような人たちをぜひ撮ってみたくなったの」
ロブスターやウニから人間、というのはやや飛躍があるものの、彼女が海の生き物を撮るように人間を写すとどうなるのか、ぜひ見てみたいと思った。
「提案したのだから、あなたも手伝ってくれるわね 白ワインの二本目を空けて、私たちは習作のための計画を練った。これから毎日、二人で散歩に行く、というのが計画の第一歩である。
私は、よく韓国へ行く。よく周りの人から「何しにそんなに行くの?」と問われる。その時は、次のように答える。「普通の人が、一所懸命生きている、人間の営みを見るのが好きだから」それが、韓国では日本よりも実感できるから。もう少し年をとると、日本の田舎をまわってみたいと思っている。そんなことを考えさせてくれる本であった。

 

2014年6月2日月曜日

啄木と賢治


 雑誌「世界」4月号は「復興はなされたか」という特集を組んでいる。外岡秀俊氏は「啄木と賢治に見る震災後の風景」という文章を書いている。その一部を紹介する。  
二人の時代と東日本大震災
2011年に起きた東日本大震災が浮き彫りにしたのは、啄木や賢治の言葉が、今なお、それぞれの時代の社会の位相と交差し、拮抗しているという事実だった。
時代が移ろい、社会が大きく変わっても、環境や情況に対して人々が取る姿勢や心組みは、そう大きく変わるものではない。その心組みが、ここでいう社会の位相である。
啄木が生きた時代のように、2011年のこの国は、「高度成長」や「物質的繁栄」という第二の「坂の上の雲」という目標を見失い、方向感覚を喪いつつあった。岩手や宮城では故郷が波にさらわれて消えた。利便性と豊かさを保証するはずだった原発が深刻な事故を起こし、福島の地元では、故郷への帰還の可能性そのものが閉ざされようとしている。その後、事故そのものがなかったかのように原発の議論は封印され、若者たちが 内訌する「時代閉塞」が醸成されてきた。
そして賢治の時代のように、この国の経済はリーマンショックによろめき、相次ぐ天災や人災に見舞われている。
震災後のこの国は、見失った「繁栄」という目標を立て直そうと、国内外に向けて再び、その形相を変えつつあるかのようだ。新自由主義経済の徹底によるグローバル経済での復権志向や、特定秘密保護法による内への引き締め、沖縄・普天間基地の代替施設をめぐる強硬姿勢や、領土・歴史問題における隣国との摩擦の増大などは、賢治の死後に広がった異形の時代を想わせる兆しを孕んでいる。
もちろん、時代背景は当時と異なる。私は震災後に起きた三年間の出来事から過去に測深器の錘鉛を垂らし、たまたまそこに眠っていた啄木や賢治の言葉を拾い上げているだけなのかもしれない。しかし、時代を超える文学は、いつの時代にも、そうした現在との思考の往還運動を活発化させ、それまでとは違った色彩を帯びて表れる。啄木や賢治の文学の意義はその豊さにこそあり、混迷する私たちの意識に指標を与えてくれると思う。
今、啄木の歌をあらためて噛みしめたい。

いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあいだより落つ

頬につたふ なみだのごわす 一握の 砂を示しし人を忘れず