2014年6月2日月曜日

啄木と賢治


 雑誌「世界」4月号は「復興はなされたか」という特集を組んでいる。外岡秀俊氏は「啄木と賢治に見る震災後の風景」という文章を書いている。その一部を紹介する。  
二人の時代と東日本大震災
2011年に起きた東日本大震災が浮き彫りにしたのは、啄木や賢治の言葉が、今なお、それぞれの時代の社会の位相と交差し、拮抗しているという事実だった。
時代が移ろい、社会が大きく変わっても、環境や情況に対して人々が取る姿勢や心組みは、そう大きく変わるものではない。その心組みが、ここでいう社会の位相である。
啄木が生きた時代のように、2011年のこの国は、「高度成長」や「物質的繁栄」という第二の「坂の上の雲」という目標を見失い、方向感覚を喪いつつあった。岩手や宮城では故郷が波にさらわれて消えた。利便性と豊かさを保証するはずだった原発が深刻な事故を起こし、福島の地元では、故郷への帰還の可能性そのものが閉ざされようとしている。その後、事故そのものがなかったかのように原発の議論は封印され、若者たちが 内訌する「時代閉塞」が醸成されてきた。
そして賢治の時代のように、この国の経済はリーマンショックによろめき、相次ぐ天災や人災に見舞われている。
震災後のこの国は、見失った「繁栄」という目標を立て直そうと、国内外に向けて再び、その形相を変えつつあるかのようだ。新自由主義経済の徹底によるグローバル経済での復権志向や、特定秘密保護法による内への引き締め、沖縄・普天間基地の代替施設をめぐる強硬姿勢や、領土・歴史問題における隣国との摩擦の増大などは、賢治の死後に広がった異形の時代を想わせる兆しを孕んでいる。
もちろん、時代背景は当時と異なる。私は震災後に起きた三年間の出来事から過去に測深器の錘鉛を垂らし、たまたまそこに眠っていた啄木や賢治の言葉を拾い上げているだけなのかもしれない。しかし、時代を超える文学は、いつの時代にも、そうした現在との思考の往還運動を活発化させ、それまでとは違った色彩を帯びて表れる。啄木や賢治の文学の意義はその豊さにこそあり、混迷する私たちの意識に指標を与えてくれると思う。
今、啄木の歌をあらためて噛みしめたい。

いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあいだより落つ

頬につたふ なみだのごわす 一握の 砂を示しし人を忘れず

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