2014年6月16日月曜日

バルテュス


20世紀最後の巨匠と謳われたバルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ、通称「バルテュス」。92年間の生涯をひたすら描くことに費やした孤高の画家・・と紹介されている。NHKの新日曜美術館で紹介されたので、上野の東京都美術館に行った。土曜日だったせいか大変込んでいたので、入館せず、「バルテュスの優雅な生活」という本をミュージアムショップで購入して帰ってきた。本の中の、バルテュスの紹介部分を紹介。
小さくて密やかな、夜の透き間。君の誕生日はそこに隠れていて、4年に一度しか姿をみせない・・45歳の詩人リルケは、33歳年下の少年に宛てた手紙のなかで、そう書いている。少年の本名は、バルクザール・クロソフスキー ・ド・ローラ。愛称をパルテュスという。
パルテュスは1908年の閏年、229日に、パリで生まれた。ポーランド人の父エーリッヒは美術史家、母のバラディーヌは画家。3歳年上の兄は、のちに『ロベルトは今夜』で知られる作家・批評家・画家のピエール・クロソフスキー。パリのクロソフスキー家にはボナールやマティスがよくやって来た。
芸術談議に花を咲かせ、バルクザール少年のお絵描きにもけっこう感心していたという。だが、パルテュスの少年時代はけっして優雅なものではなかった。
1914年に第1次大戦が勃発すると、一家はベルリンへ移住を余儀なくされた。1914年には両親が別居。母バラディーヌは二人の少年を連れてスイスのベルンやジュネーブを転々とする間、旧知のリルケと再会し、恋仲に。
リルケは恋人の連れ子たちを、まるで自分の息子のように可愛いがった。ある時、バルクザール少年が地理のテストで落第点を取ると、むずかしすぎるテストを作る学校が悪いと、校長先生に直談判したくらい。
また、少年の画才を見抜くのも早かった。1919年、11歳の少年は愛猫「ミツ」との出会いと別れを主題としたドローイングの制作を開始していた。これを見て感激したリルケは絵本にしようと思いたつ。出版社を見つけ、自ら序文まで執筆する熱の入れようだった。かくして1921年、絵本『ミツ』はチューリッヒの出版社から上梓された。そしてその3年後、19243月、バルクザール少年はリルケの勧めに従い、絵画修業に励むべく、パリへと旅立つ。パルテュス16歳の春だった。
彼の3人目の妻は日本人で節子・クロソフスカ・ド・ローラと言う。今も健在である

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