2014年6月26日木曜日

沖縄戦


 写真記録 「沖縄戦」 国内唯一の戦場から基地の町へ
というタイトルの本(写真)を読んだ。著者は元沖縄知事の大田昌秀氏である。その本のまえがきで氏は次のように述べている。一部紹介する。
日本の敗戦後69年目を迎えました。まさに「光陰矢の如し」の感がしてなりません。半世紀以上も経ったその間、私が一日たりとも忘れることができないのは、太平洋戦争末期に身をもって体験した沖縄戦のことです。それは、私にとって戦時中から現在に至る私の人生の生き方の原点になっているからです。
すなわち、沖縄戦の最後の決戦場たる沖縄本島南部の摩文仁の海中で意識を失い、九死に一生を得て、海岸の岩山に敗残の身を潜めていた時、もしも生き延びることができたら、この戦争の実態や「聖戦」と称されたのとは逆に、世にもおぞましい戦争に如何にして駆り出されたのか、その経緯についてぜひとも明らかにしたいと自らの心に固く誓ったのです。しかしいまだ、その想いは完結していないので、忘れ去るわけにはいかないのです。
未完の理由は、沖縄戦の内実が殊のほか奥深く複雑多岐な上、日本・沖縄・米国三者がじかに関与した戦闘のため、可能なかぎり三者の資料を収集してそれをバランスよく整序、分析しないと、その全容を把握することは困難だからです。そのため私は、延べ20年間もアメリカの国立公文書館に通い続けて、米軍報道班の撮影した沖縄戦の写真や関連資料を可能なかぎり収集してきました。
中略
それにもかかわらず、戦中世代が激減するのに反比例して現在は戦無派世代が急増しているため、沖縄戦の表現を絶する惨禍が、いつしか忘却の彼方に追いやられる傾向がかつてなく強まっています。そのため、じかに戦争を体験した世代は、愛して止まない沖縄を二度と再び戦場にしてはならないとの強い思いから、生きているかぎり、繰り返し自らの経験について書き続け、語り続けねばなりません。それは、戦争を生き延びた者の余生を生きる意味にはかならないからです。本書はその想いの一環にはかなりません。
ここで強調しなければならないことは、現在沖縄で大騒ぎの基となっている普天間飛行場の名護市辺野古への新基地建設問題についてです。辺野古の海風が吹き荒ぶ海岸にテントを張り90代のおばあさんたち80代のおじいさんたちが座り込んで抵抗しています。しかも十数年間もの長きにわたって新たな基地を絶対に造らせないと頑張っているのです。いずれも戦争体験者たちだからできることなのです。読者諸賢がこうした実情を汲み取り、戦争世代の意のあるところを考えながら本書を一読していただけたら幸甚に存じます。  20143月大田昌秀
今年の年末までには「沖縄知事選」がある。果たしてどんな選挙になるのであろうか。

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