2014年6月18日水曜日

日本社会はどうなっている?


民医連医療7月号より、神戸女学院大学教授の石川康宏氏の新連載「日本社会はどうなっている?」が始まった。出だしを紹介する。
さて『民医連医療』に1年間の連載の機会を与えていただきました。今の日本社会について、ちょっと理論的な話もまじえながら、思いつくところを書いてみたいと思います。感想や質問はメールで(walumonoO328@gmai1.com)お届けください。連載で取り上げることがあるかも知れません。
若い人との話し合いの中で 
1話のテーマは「社会科学」についてです。ちょっと固いですか? だいじょうぶ。読めば、そうでもありませんから。先日、大阪で若い人たちと日本の政治について語りあう機会がありました。「安倍内閣が」といったようなお話です。場所が大阪でしたから、もう勢いがなくなってきた橋下さんについてもあれこれと。集まったのは10代の大学生から30代の組合青年部のリーダーまで。それぞれ政治を考え、歴史問題や医療、自治体のあり方などをまじめに考える人たちでした。で、その話し合いの中でぼくが一番驚かされたのは、参加者の誰一人として「社会科学」という言葉を聞いたことがないということでした。一瞬、「絶句」の気分でした。そして、これは、案外大きな「落とし穴」かも知れないぞ、と思わされました。
この言葉、みなさんは聞いたことがありますか?「自然科学」が「自然についての科学」を指すように、「社会科学」は「社会についての科学」を指す言葉です。「社会についての」というだけなら、難しいことは何もありません。かんじんなのは、それもまた「科学」だということです。
この言葉を知らず、そのようなことを考える機会をもたずにきたのであれば、経済学や政治学など、社会についてのさまざまな学問を「科学」として受け止めることができていないのかも知れない。話し合いの中で、ぼくにはそういう不安がわいたのでした。  
「本当の姿」を探りに行く
そこで話はここからです。「科学」とは一体何でしょう。
こう問われて、みなさんが真っ先にイメージするのは、宇宙の誕生、生物の進化、人体の不思議など、テレビでよく見る個々の「自然科学」の到達点かも知れません。それぞれの領域で、科学者たちは望遠鏡や顕微鏡や薬品、さらには大がかりな実験装置をつかって、自然の「本当の姿」を探り当てる努力をしています。
少し考えてみるとわかるように、ぼくたちの目の前に見える自然は、いつでも「本当の姿」を示しているわけではありません。たとえば夜空の星は、暗い空の平面にペタッと並んでいるように見えています。しかし、それらの星々は、実際には銀河系と呼ばれる渦を巻いた円盤のような形をつくっています。また星の並んだ平面は、地球をまわっているように見えますが、そう見えるのは、反対に地球が自転しているからでした。さらに宇宙は昔からまるで姿を変えないように見えますが、本当はインフレーションやビッグバンの瞬間から、今もずっと膨張を続けています。
このように、目に見える世界を入り口に、それが目に見える姿で現れてくる自然の「本当の姿」を探り当てにいくのが「科学」です。そうした探求の行為ととともに、その成果もまた一般に「科学」と呼ばれています。
地球は自転している、宇宙は膨張しているなど、地球や宇宙の「本当の姿」についての認識は、科学的認識と呼びかえることもできます。科学的認識は、観察や実験などに裏付けられたものでなければなりません。それは「本当の姿」をどのように正確にとらえているのか。その点についての証拠が必要だということです。
ですから「ぼくはこう思うよ「どうして?「いや思うだけ」という思いつきのたぐいは、どんなに立派な「本」に書かれていても、科学の範囲には入りません。また、科学的認識は、探求の積み重ねによって中身が変わっていきます。つまり「科学」は「すべてがわかった」という完成品ではなく、「今ここまでわかっている」という、いつでも変化の途上にあるものです。科学者たちは「ここまでわかった」ということの「ここまで」を、より広いものにしようと努力しています。
「社会科学は」同じことを、社会を相手に行うものです。人間社会の「本当の姿」を探り、その成果を順に積み上げていくものです。
この連載を読みながら、あらためて日本社会を考えていきたいと思う。

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