2014年6月7日土曜日

普通の人たち


内田洋子氏「皿の中のイタリア」(講談社)を読む。内田氏はイタリア在住の作家である。イタリアでの自分の周りの人との交流をエッセイにしている。特になにを言いたいでもなく、つづられているが、なかなか面白い。以下一部紹介する。
「刺激のある仕事がなくて。冬場は、撮影も限られるし」
海洋生物を専門とするカメラマンであるミ-ナは、常夏の海にでも行く依頼が入らない限り、冬場はミラノでおとなしく写真の整理作業をしていることが多い。根気のいる地味な作業で、日の差さない町の室内に閉じこもり、カメラを持たずに事務作業ばかり続けているうちに、気持ちがだんだん塞いでくる。
「このままだといずれ春が来ても、肝心の撮影意欲とセンスがなくなっているかもしれない」 暗い声で電話があった。
仕事のないときは、時間がある。それでは習作も兼ね、テーマを決めて撮り溜めをし、展覧会でも開くというのはどうだろう、と言ってみる。彼女は大いに乗り気だったので、イワシを食べながらその話の続きをするつもりである。
揚げる端から次々とイワシを口に運び、揚げ上がるのを待つ間に、白ワインを飲む。名もない瓶詰めにしたてのワインで、日本では(ノベッロ新種入荷)と看板まで出たりする騒がれようだが、イタリアでは進んで買おうという人はいない。味が定まるにはまだ早い、これからのワインだからである。箱買いしても外れが多いこともあり、博打のようで面白い。廉価で、当たるも八卦、当たらぬも八卦、で栓を抜く。
熱々のイワシからジュツと汁が飛び出す。あっちちと慌てて、ゴクリと飲む。
「撮りたいのは、普通の人たちよ」二十尾目くらいを頬張りながら、ミ-ナが言う。
海洋生物を専門に撮り始める前は、彼女はファッション業界に名の知れたカメラマンだった。長身で青みがかった緑色の目をした彼女は、撮影現場に行くと必ずモデルと間違えられるほどだった。四十半ばの現在でも十分に美しくむしろ今のほうがさばけて醒めた気配がさぁり、さらに魅力的である。こんなカメラマンが来たら、年端のいかないモデルはすっかり色褪せてしまったことだろう。
ファッションや広告業界の、上っ面ばかりを追う仕事にすっかり嫌気がさし、海洋生物へと被写体を替えてしまう。
「同じ生き物でも、魚介類なら声も出さないから」
海に潜り、浜を歩き、潮風に吹かれて、海草や魚ばかりと過ごしているのである。「着せ替え人形みたいなモデルばかり撮っていた頃は、人間には全然興味がなかったけれど、最近、着飾らなくてもいいような人たちをぜひ撮ってみたくなったの」
ロブスターやウニから人間、というのはやや飛躍があるものの、彼女が海の生き物を撮るように人間を写すとどうなるのか、ぜひ見てみたいと思った。
「提案したのだから、あなたも手伝ってくれるわね 白ワインの二本目を空けて、私たちは習作のための計画を練った。これから毎日、二人で散歩に行く、というのが計画の第一歩である。
私は、よく韓国へ行く。よく周りの人から「何しにそんなに行くの?」と問われる。その時は、次のように答える。「普通の人が、一所懸命生きている、人間の営みを見るのが好きだから」それが、韓国では日本よりも実感できるから。もう少し年をとると、日本の田舎をまわってみたいと思っている。そんなことを考えさせてくれる本であった。

 

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