2015年4月30日木曜日

違いを認める


「向かいあう、日本と韓国・朝鮮の歴史」近現代編、大月書店を読む。ちょっと高いが読んでみて欲しい。(2800円+税)本の「エピローグ」の部分を少し長いが、紹介する。
平和な東アジアを築くために
1997年、北海道北部の朱鞠内に、日本人、韓国人、在日コリアン、アイヌの若者たち約100人が集まってアジア太平洋戦時下のダム工事に動員され犠牲になった朝鮮人 ・日本人の遺骨を発掘しながら話しあった。この活動は、2001年からは「東アジア共同ワークショップ」としてその幅を広げ現在にいたっている。遺骨を掘るという共同の作業を通して共通の体験をもち、共同の論議のなかから共通の認識を育てる努力を続ける。彼らは、国境を越えてその論議を深めることで互いの違いを認め、尊重していくことに未来への可能性が見出せると考えている。
歴史問題の発生と葛藤についての事実を正確に認識し、隣国の歴史や文化の理解を高めて平和と共存の重要性を考える機会とするために、日本・中国・韓国の中学生・高校生の直接交流も行われるようになった。「東アジア青少年歴史体験キャンプ」という名前で、2002年のソウルから始まり、三国の中高生が集う。2013年には京都市で12回目を迎えた。彼らは三国を順に訪れながらフィールドワークをしたり、スポーツ・交流活動をしながら東アジアの歴史についてもじっくりと話しあったりする。日本の中学生はこのキャンプに参加して「中国・韓国の子たちはよく勉強してきているなと思いました。アジアの歴史を知らなかった。もっと勉強したい」と語った。
韓国の女子高生は「日本各地の歴史や平和を求める活動を体験しながら日本に対する認識が変わったし、これまで東アジアの歴史に無関心だったなあと思うようになった。そして、隣国の日本のことを少しでも知ろうとする努力が必要だと思う」という意見を感想として残している。
また、日本の女子中学生は「日本人のなかにも平和のために努力した人がいるのに、なぜ中国や韓国では知られていないのだろう」と疑問をもちながら、「慰安婦問題などを教科書から削除するなど、日本が加害国であったという事実を隠すことは平和にはつながらず、逆に戦争への道につながっていく」と発言した。
三国の中高校生は、「平和な東アジアを築くために、互いが意見を交換し、相手の価値観や文化を尊重することのできる機会を増やし、交流の輪を広げていく。みずから積極的かつ理性的に、事実に基づいて歴史を見つめていく」などの行動指針を決めてこれからも活動していこうとしている。
このように、人々の国境を越えた連帯が希望を生むことを今一度確かめあえる時代が来ようとしているのである。東アジア青少年歴史体験キャンプに参加した若者たちも言っているように、歴史認識の違いは大きいし、その違いを乗り越えることはやさしいことではない。しかし、その違いを認めることはできる。つまり、現実や歴史を違って見ているとしても、その違いを認めあいつつ、互いに尊重することを通して歴史認識を深めることができる。日本人のなかにもさまざまな歴史の見方があり、それは韓国でも同じだ。だから、歴史認識の共有を急ぐのではなく、互いが異なった歴史認識をもった存在であることを認めることから出発して、何が、どのように違うのか、なぜ違うのかを探っていくことが大切なのではないだろうか。その一助としてこの本が役立てば、こんなにうれしいことはない。
そうなのだ。違いを認める作業が大事なのだ。きちんとむかいあってこそ、これからの日本と韓国の関係が改善されていくのである。

2015年4月28日火曜日

戦後70年談話


日経に連載されている池上彰の「大岡山通信」若者たちへーで、「戦後70年談話」について東京工業大学の学生への講義の内容で次のように述べている。
戦後70年談話に込められたメッセージ次第では、戦後体制の枠組みに対する批判と受け取られる可能性があります。安倍首相は「歴史修正主義者」と厳しく指摘されるだけでなく、日本が国際社会から孤立してしまいかねないのです。
過去に学ぶ
もちろん若い世代の皆さんには、70年以上も前に起きた戦争について責任はありません。ただ、日本がこうした歴史を背景に戦後を歩んできたことを知ること、そしてこれからの未来について責任を負っていることを忘れないでいてください。
これまで歴史といえば受験勉強の科目の一つにすぎなかったかもしれませんね。しかし、一つ一つの歴史の積み重ねが現代を築いています。過去を知ることで、「どうして現代はこうなったのか」というつながりを学ぶことができます。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という有名な言葉があります。人間の英知や失敗が詰まった歴史を手掛かりにすれば、同じ過ちを繰り返さずにすむかもしれません。それは私が講義を通じて訴え続けている視点でもあるのです。
最後に今年1月に亡くなったドイツのワイツゼッカー元大統領の演説をご紹介します。「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」―― 。戦後40年にあたる85年、西ドイツ大統領(当時)として演説し、有名になったメッセージの一節です。
ナチスドイツがユダヤ人や欧州の人々にもたらした惨禍と戦争責任を改めて明確にし、ドイツがその罪を忘れていないことを伝えました。この演説によってドイツの戦後の歩みが決まったとさえ評価されています。
日本は今、世界に向けて過去への責任とこれからの国際貢献について明確なメッセージが求められているでしょう。ワイツゼッカー元大統領の演説が、30年を経てもなお、人々の心をとらえている重みに日を向けるべきではないでしょうか。
 池上彰といえば、あらゆるメディアに出ていているので逆にうっとおしく思っていた。しかしよく知ってみるとしっかりとした知識に裏付けられた考えを持っている人だと言うことがわかってきた。

2015年4月27日月曜日

子供の貧困


池上彰氏のちくま新書から出た「日本の大課題 子供の貧困」(社会的養護の立場から考える)を読む。児童養護施設から見えてくる子供の貧困を書いている。あとがきを紹介する。
本書をお読みいただき、児童養護施設がどのようなものか、おわかりいただけたでしょうか。
児童養護施設での取り組みを見ることで、「子どもの貧困」の実情も見えてきたはずです。
児童虐待は貧困家庭に起きやすく、必然的に虐待を受けた子どもたちが、親から切り離されて施設に入ってきます。
そこでの子どもたちの様子を観察すると、貧困だけでなく、虐待だけでもない、重層的に積み重なってきた問題が存在することが見えてきます。
貧困の中で追い詰められた親の中には、精神疾患に苦しむ人たちも多数います。その親の様子は、子どもにも悪影響を及ぼします。
こうした様子は、「多重逆境」と呼ばれます。なんともやり切れません。それでも健気に生き抜く子どもたちの姿もまた、浮かび上がってきたのではないでしょうか。
子どもたちの自立を支援する。子どもたちが自立できれば、社会で就職でき、きちんと所得税や住民税を払うことができるようになる。まさに「良き納税者」を育てるのです。
「子どもの貧困」を考える上で最も大事なことは、抽象論ではなく、子どもたちの実相を把捉することです。さまざまな対策づくりは、そこから始まります。
児童養護施設の子どもたちの様子は、ふだんの私たちの視野からは消えています。見えないということは、存在しないも同然。子どもたちは社会から忘れられてしまいます。社会から忘れられることの辛さ。これでは、子どもたちは自立することができません。
子どもたちを見守り、自立を助け、社会で働いて税金を納められるように育て、社会に貢献する存在にすること。これが喫緊の課題だと思うのです。
社会の中で自分の存在が確認できれば、人は絶望の淵から這い上がることが可能になります。人が、人として認められ、人として生きていくことが可能な社会。これが、私たちが築くべき社会だと思うのです。
本にまとめるに当たっては、筑摩書房の永田士郎さんにお世話になりました。永田さんの的確なアドバイスによって、本の視点が定まっていったと思います。
20152月ジャーナリスト  池上彰
子供の養育は親の責任だけでなく、社会の責任でもある。親が良き納税者になれない社会では、国、社会の責任は大きい。

2015年4月21日火曜日

沖縄と福島


毎日新聞「発信箱」に政治部記者のコラムが載っていた。全文紹介する。
沖縄と福島
先日取材で沖縄を訪れた際、福島第1原発事故を機に2人の息子を連れ水戸市から避難している久保田美奈穂さん(36)に会った。内部被ばくによる健康不安から戻る気になれず、6月で丸4年。息子は10歳と5歳になった。
それまで政治に全く興味がなく、反原発運動も人ごとのように見ていた。しかし原発事故で平穏な生活は引き裂かれ、国や東京電力との交渉を重ねる中で「事故の被害に誰も責任を取らない」と痛感。2年前の311日、国と東電を相手取り、原状回復と被害者全体の救済を求める訴訟の原告団に参加した。
沖縄に避難したことで、米軍基地問題にも目覚めた。米軍普天間飛行場へのオスプレイの配備を止めるゲート前での座り込みに駆け付けたこともある。在沖米軍は日米地位協定で事実上の治外法権状態。「基地の被害も誰も責任を取らない。おかしいと思ったことを見過ごしたら認めることになる」と思ったからだ。今年3月には原発と基地の問題を考えるシンポジウムを1人で企画し実現させた。
「原発事故がまた起きたら、私たちは加害者になる。自分が子どもにしてあげられるのは、原発再稼働に反対し、よりよい社会を残すこと」。久保田さんの言葉は、普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対する人から聞いた「基地が造られ、戦争に加担することになったら、私たちは加害者になる」という言葉と重なる。沖縄と福島。共通点を見いだす意見も、同列に論じるべきでないとの意見もある。基地と原発が自然に結び付いた人もいると知った。
シンポジウムを一人で企画し、実現するとはすごい。以前にも書いたが、新聞の小さな記事の中にはいい記事が多い。テレビは深夜にいい番組がある。意識的に捜してみる事をお勧めする。

2015年4月18日土曜日

他人の意見を聞かない人


東洋経済の本の紹介欄に精神科医「片田珠美」氏の「他人の意見を聞かない人」という本の紹介があった。成程と思うことばかり。以下、紹介する。
他人の意見を聞かない、自分の都合ばかり押し通す人が増えているという。その精神構造を分析し、対処法を探っていく。
― 安倍晋三首相の真骨頂なのですか。
あの方は他人の意見を開かない典型だ。象徴的なのは、昨年12月の衆議院選挙開票の特別番組での言動だ。質問にいきなりイヤホンを外した。自分の言いたいことだけを言っているように見受けた。聞きたくないという意思表示にほかならない。沖縄県の知事にもなかなか会わない。会わないのは、その人の意見を聞かないことを態度で示すメッセージだ。自分に対して批判的な意見は聞かないし、聞きたくないのだと思う。
小説『薔薇の名前』で著名な記号論哲学者、ウンベルト・エーコ氏に『永遠のファシズム』という本がある。その中でファシズムになっていく過程には、「差異の恐怖」を味わわせることがあるという。ほかの人と違うことをしたら、あるいは権力を持っている者に批判的なことを口にしたら、何かひどい目に遭うのではないか、そういう恐怖感を抱かせる。その種の分析研究を知っていて、もしかしたらそれを狙っているのかもしれない。
―一般に、なぜ人の意見を聞こうとしないのですか。
自己を正当化したいからだ。自分が正しいことを思い知らせたい。自己正当化には利得が絡んでいる場合と、自分の間違いや失敗といった「悪」を否認すること、あるいはプライドを守ることが絡んだりする。
利得の絡んでいる場合がいちばんわかりやすい。順番待ちの行列に割り込んでい続ける。一方否認の場合は、たとえば、こんなミスをしているから直せと指摘されても、自分はミスをしていないと聞き入れない。自分は悪くないと言いたいから他人の意見を聞かない。プライドは、自分が上の立場にあり、力を持っているのだから人の意見など聞く必要がないと考えるのだ。
― 聞かない人は多くの場合、妄想、強迫観念、強すぎる自己愛のいずれかを抱いているとか。
自己愛は絶対にある。自己愛で訂正不能になると、妄想の域に近づく。妄想には定義として三つの条件がある。一つは不合理な内容や現実離れした内容。二つ目はそれを本人が確信している。三つ目は訂正が不能ということだ。たとえば、私が米国の問題人物でFBI (米国連邦捜査局)につけ狙われていると被害妄想を抱くとする。これは誰が見ても不合理。でも、被害妄想に陥っていると、身辺のささいな物音でもその関連と解釈したりする。現実離れした荒唐無稽な内容を本人が信じ込んでいるからだ。もしかしたら祖父を超えたいという安倍首相の主義、主張はかなりの部分で、それに近いのかもしれない。
― しかも、人の意見を聞かない人は増えているのですね。
増えている理由は三つ。一つには社会がぎすぎすし、自分が大事という自己愛志向になりがちなこと。二つ目は自己保身に走らざるをえない。ソニーや電通までが早期退職を募り、会社ではいす取りゲームが強まっている。ミスを認めたら、それこそ追い落とされかねないから、自分が悪いと認められないし、他人の意見を開けない。三つ目は実は自信のない人が増えている。自身のない人ほど強がる、虚勢を張る。他人の意見を聞いたら、自分が操作されて支配されてしまうのではないか、という不安があって聞かなくなる。
 最近、このような人が増えていると私も思う。

2015年4月16日木曜日

挨拶


高村薫と言えば「マークスの山」で直木賞をとった作家であることを知っている人は多いと思う。彼女は19532月生まれで私と同学年となる。彼女が4月より、毎日新聞に月1回「お茶にします?」というエッセイを連載する。第一回を紹介する。
季節はどんな人にも平等にめぐってくる。今年も桜が咲き、子どもから大人まで、新生活の始まる時節となったが、近所や知り合いと交わす道端での挨拶に、ひどく気を遣うのもこの時期である。
この国が繁栄を謳歌していた一昔前まで、学生は学校を卒業したら就職するのが当たり前だったし、勤め人の失業や転職もそうそうあることではなかったので、「息子さん、そろそろ社会人でしたかしら」「お嬢さん、すっかりおきれいになって」などと、ご近所の間で気軽に声をかけ合うのがむしろ礼儀だった。
けれども近年は、よほど親しい間柄でない限り、他人の家庭のことなど触れるわけにはゆかない。4割弱が非正規雇用という時代、学校を卒業しても必ずしも企業に就職できるとは限らない平均的なサラリーマン家庭でも解雇や失業は他人事でない。場合によっては子どもの学費や住宅ローンを抱えて生活が破綻しかねない厳しさかもしれない。それでも他人には窮乏を見せないよう装うのが日本人だから、なおさら言葉には気を遣う。
ご近所だからこそ無難に行きたいと思えば、口に出せる挨拶の言葉は「暖かくなりましたね」「桜が咲きましたね」「皆さん、御変わりありませんか」といった程度だろうか。そして応えるほうも「ほんとうに」「そうですね」「おかげさまで」。
もはや何を話したかは問題でなく、言葉を交わす行為自体が地域社会の円滑な暮らしに欠かせないというだけのことだが、昨今はそれすら面倒だと感じる人もいるので、私のような古い世代は、はて挨拶をしたものかどうか、なおさら頭を悩ませることになる。
けれども私たちのこんな気遣いは、結局のところ相手を傷つけない配慮であると同時に、こちらも傷つけられないための自己防衛なのであり、ならば初めから知らん顔でいいではないかという考え方も一理あるから、人間関係というのは難しい。いざというときの地域の共助のためにも、挨拶ぐらいは交わす関係を保っておくのがほんとうは望ましいのだけれども、転勤族などにはそれもピンとこないに違いない。
実際、挨拶を交わすだけの関係でなにがしかの繋がりが保たれるというのは幻想だろうし、挨拶はするけれども相手の家族構成も知らないという状況は、端的に「関心の外」ということだろう。昔の庶民の長屋暮らしとは違い、私たちはお節介も焼かない代わりに関心ももたない。もともと外からはうかがい知れないのが他人の家庭事情というものだが、それ以前に端から知ろうともしないのが私たちなのだ。
他人との密な関係を嫌う現代の心象は、私たちの人生をどんどん内向きにしてゆく。他人への無関心は、人間関係の煩雑さがない快適と孤独の両方を私たちにもたらすが、両者はつねに反転しては不安定に揺れ動く。他人と深く関わらない人生の代償は、己が存在のそこはかとない不全感かもしれない。
ひるがえって世界や人間への好奇心に満ち満ちている子どもたちは、人間関係を怖れたりしない。遠慮もしない。近所に、9歳になる私の姪の遊び友だちのわんぱく兄弟が住んでいて、毎朝拙宅の前を通って学校へ行くのだが、私の姿を見かけるやいなや大声で「○○ちゃん(姪の名前)のおばあちゃん、見っけ・・・!」と叫んでくれる。私は姪の伯母だが、何度説明しても兄弟には理解してもらえない。だから私も「こらあ・・・!」 と怒鳴り返す。こういうときの私は、実は孤独ではない。
さすが作家ならではの視点。同感である。まずは挨拶から。

2015年4月14日火曜日

キャラウエイ


東洋経済で連載されている、佐藤優氏の「知の技法、出生の作法」で今夏は沖縄の基地問題について述べている。一部を紹介する。
米軍普天間飛行場移設問題に関し、菅氏は「辺野古移設を断念することは普天間の固定化にもつながる。(仲井真弘多前知事に)承認いただいた関係法令に基づき、辺野古埋め立てを粛々と進めている」と説明した。
翁長氏は「『粛々』という言葉を何度も使う官房長官の姿が、米軍軍政下に『沖縄の自治は神話だ』と言った最高権力者キャラウエイ高等弁務官の姿と重なる。県民の怒りは増幅し、辺野古の新基地は絶対に建設することはできない」と強く批判した。/ (中略)(翁長知事は、)日米安保体制の重要性は認識しているとした上で「基地建設のために土地を強制接収され、県民は大変な苦しみを今日まで与えられてきた。そして普天間飛行場は世界一危険になったから『危険性除去のために沖縄が負担しろ』と言う。(反対すると)『日本の安全保障はどう考えているんだ』と言う。こんな話が出ること自体、日本の政治の堕落ではないか」と批判した。)
翁長知事は、安倍政権の沖縄政策が、植民地主義そのものであるということを批判しているのである。ここでカギになるのが、「キャラウエイ高等弁務官の姿と重なる」という表現だ。残念ながら、沖縄のメディア以外はこの表現が持つ重みに気づいていない。高等弁務官(HighCommissioner)とは、一般に宗主国が植民地に置いた行政最高責任者を意味する。沖縄に関しては195765日、米国のアイゼンハワー大統領が沖縄統治に関する新しい基本法として「琉球列島の管理に関する大統領行政命令10713号」を公布して、高等弁務官制を設けた。この行政命令が公布されるまでは、極東軍総司令官が沖縄の民政長官を兼ねていた。しかし、極東軍が廃止されたので、高等弁務官という役職が新設された。
高等弁務官の権限は強大で、琉球政府の裁判権は、高等弁務官の恣意的判断でいつでも制限することができたという。まさに沖縄人には菅官房長官の姿がキャラウェーの姿とかさなったのである。日本の政治の堕落である。

2015年4月9日木曜日

ニューズレター


 二木立氏の「ニューズレター」より、朝日新聞の氏へのインタビュー記事を紹介する。 

インタビュー:介護職員の待遇改善を
(
「朝日新聞」2015323日朝刊4面。「報われぬ国 負担増の先に」


医療福祉政策を考えるときは、歴史に学ぶことが大事だ。介護職員は2025年度に全国で約30万人が不足するともいわれ、絶望的にもみえる。ただ、今の状況は1990年前後の看護師不足とよく似ている。当時、看護師は「3K(きつい、きたない、きけん)などと言われ、病院内での地位や給料も低かった。

それが92年以降の診療報酬改定で、看護の報酬が大幅に引き上げられた。より高い配置基準(患者数対比の看護師数が多い病院ほど報酬も多くなるしくみ)も導入され、看護師が増えて労働環境がよくなった。

あわせて、4年制大学の看護学部が増え、高学歴化が進んだ。卒業後も、専門性を高める「卒後教育」を看護協会などが推し進めた。それで給与が改善され、看護師の社会的な地位も高まる好循環になった。近年は離職率も下がり、今や花形職業だ。

介護職の場合も解決策は同じだ。介護報酬を引き上げ、介護職員の配置基準を高めるべきだ。事業者は報酬が高くなれば、正職員を増やせる。今は非正規職員も多いが、長く勤める正職員になら、技術を高めてキャリアアップさせる研修にお金を出しやすくなる。

その意味で、今年の介護報酬の大幅引き下げは、時代の流れに反する。財源がないというが、そんなことはない。日本の中間層の税や保険料の負担は欧州より少ない。介護も医療も保険料の引き上げは避けられない。低所得者には配慮しつつ、所得税の累進制強化など、高所得者により負担してもらうことが必要だ。

ケアは可能な限り自宅で受けるのが理想だが、一人暮らしなどで難しいケースもある。それでも、厚生年金をもらっているようなある程度お金のある人は、民間の有料老人ホームや「サービス付き高齢者向け住宅」などに入れるだろう。

問題は、とくに都会で国民年金だけで暮らすような低所得の人たちだ。安く入れる特別養護老人ホームを増やすとしても、自治体の予算などで限界がある。集合住宅の空き室や、安価な宿泊所のようなところに住んでもらい、訪問で必要な介護サービスを提供するなど、行政が工夫していく必要があるのではないか。 (聞き手・生田大介)

今の介護問題が端的に示されていると思う。

2015年4月6日月曜日

非戦の誓い


毎日新聞「毎日夫人」に月1回連載されている諏訪哲史の「うたかたの日々」を紹介する。
非戦の誓いを破る日
非戦を誓った史上最高の平和憲法、憎悪の連鎖である戦争から長く僕らを守ってきた日本国憲法第九条が、かつての空爆の地獄を忘れた、または頭でしか知らない世代の多数決によって今まさに葬られようとしている。
他国の戦争に加担し、同盟と看做され、憎悪の連鎖に陥った反撃者に街を火の海にされる。
戦争を知らぬ子孫を再び戦争に行かせず、敵国を作らないためには、今の時代に一票を持つ僕らが非戦の誓いを守り抜かなければいけない。沖縄を見よ。戦争体験者が次々に没し、戦争を直に知らない世代が来て、国から金を積まれても、戦争・戦場・基地を放棄する非戦・平和への強い意志に貫かれている。
幼稚で愚かなプライドのために、憲法を改変し非戦の誓いを破棄せんと企む者たちがいる。好戦的な政治家とその政党の支持者たちだ。しかし支持者の多くは改憲に無自覚で、日銀の作為的な金融緩和に演出された偽の好景気に満悦させられて、非戦の誓いを破る政策までを一緒くたに支持してしまっている。
例えば僕が好戦党の党首なら、どうやって九条を葬るだろう。まず国民の悲惨な戦争の記憶が消えるのを待つ。人は忘れる生き物。だから語り伝えを邪魔し、人を無知にする。次に、子供には他国より日本を愛せと教育する。世界の前に日本が大事。日本民族は優秀。そう国のエゴを刷り込む。最後は改憲の国民投票だ。投票権を20歳以上から18以上に引き下げ、より戦争を知らない票を取り込む。
投票は政治家が操作できる。多数決とは喩えれば、18歳~死までの限られた長さを持った「投票権の吊り橋」を渡るその時代の乗り合わせ者の中の瞬間多数を捉えて決議し、後にこの「日本」という橋に知らずに足を入れる新人たちの運命までを決めてしまう恐ろしい行為だ。
戦争を知る多くの者が橋を渡り終えようとしている。後には陸続たる愛国少年の群れ。非戦と平和とが不可分であることを知る僕らのせ代の眼が黒いうちは、九条の誓いは破らせまい。
投票権を18歳にする真の狙いは、政権が戦争を知らない票を取り込むことにあるのは、隠ぺいされている。