2015年4月18日土曜日

他人の意見を聞かない人


東洋経済の本の紹介欄に精神科医「片田珠美」氏の「他人の意見を聞かない人」という本の紹介があった。成程と思うことばかり。以下、紹介する。
他人の意見を聞かない、自分の都合ばかり押し通す人が増えているという。その精神構造を分析し、対処法を探っていく。
― 安倍晋三首相の真骨頂なのですか。
あの方は他人の意見を開かない典型だ。象徴的なのは、昨年12月の衆議院選挙開票の特別番組での言動だ。質問にいきなりイヤホンを外した。自分の言いたいことだけを言っているように見受けた。聞きたくないという意思表示にほかならない。沖縄県の知事にもなかなか会わない。会わないのは、その人の意見を聞かないことを態度で示すメッセージだ。自分に対して批判的な意見は聞かないし、聞きたくないのだと思う。
小説『薔薇の名前』で著名な記号論哲学者、ウンベルト・エーコ氏に『永遠のファシズム』という本がある。その中でファシズムになっていく過程には、「差異の恐怖」を味わわせることがあるという。ほかの人と違うことをしたら、あるいは権力を持っている者に批判的なことを口にしたら、何かひどい目に遭うのではないか、そういう恐怖感を抱かせる。その種の分析研究を知っていて、もしかしたらそれを狙っているのかもしれない。
―一般に、なぜ人の意見を聞こうとしないのですか。
自己を正当化したいからだ。自分が正しいことを思い知らせたい。自己正当化には利得が絡んでいる場合と、自分の間違いや失敗といった「悪」を否認すること、あるいはプライドを守ることが絡んだりする。
利得の絡んでいる場合がいちばんわかりやすい。順番待ちの行列に割り込んでい続ける。一方否認の場合は、たとえば、こんなミスをしているから直せと指摘されても、自分はミスをしていないと聞き入れない。自分は悪くないと言いたいから他人の意見を聞かない。プライドは、自分が上の立場にあり、力を持っているのだから人の意見など聞く必要がないと考えるのだ。
― 聞かない人は多くの場合、妄想、強迫観念、強すぎる自己愛のいずれかを抱いているとか。
自己愛は絶対にある。自己愛で訂正不能になると、妄想の域に近づく。妄想には定義として三つの条件がある。一つは不合理な内容や現実離れした内容。二つ目はそれを本人が確信している。三つ目は訂正が不能ということだ。たとえば、私が米国の問題人物でFBI (米国連邦捜査局)につけ狙われていると被害妄想を抱くとする。これは誰が見ても不合理。でも、被害妄想に陥っていると、身辺のささいな物音でもその関連と解釈したりする。現実離れした荒唐無稽な内容を本人が信じ込んでいるからだ。もしかしたら祖父を超えたいという安倍首相の主義、主張はかなりの部分で、それに近いのかもしれない。
― しかも、人の意見を聞かない人は増えているのですね。
増えている理由は三つ。一つには社会がぎすぎすし、自分が大事という自己愛志向になりがちなこと。二つ目は自己保身に走らざるをえない。ソニーや電通までが早期退職を募り、会社ではいす取りゲームが強まっている。ミスを認めたら、それこそ追い落とされかねないから、自分が悪いと認められないし、他人の意見を開けない。三つ目は実は自信のない人が増えている。自身のない人ほど強がる、虚勢を張る。他人の意見を聞いたら、自分が操作されて支配されてしまうのではないか、という不安があって聞かなくなる。
 最近、このような人が増えていると私も思う。

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