2015年4月16日木曜日

挨拶


高村薫と言えば「マークスの山」で直木賞をとった作家であることを知っている人は多いと思う。彼女は19532月生まれで私と同学年となる。彼女が4月より、毎日新聞に月1回「お茶にします?」というエッセイを連載する。第一回を紹介する。
季節はどんな人にも平等にめぐってくる。今年も桜が咲き、子どもから大人まで、新生活の始まる時節となったが、近所や知り合いと交わす道端での挨拶に、ひどく気を遣うのもこの時期である。
この国が繁栄を謳歌していた一昔前まで、学生は学校を卒業したら就職するのが当たり前だったし、勤め人の失業や転職もそうそうあることではなかったので、「息子さん、そろそろ社会人でしたかしら」「お嬢さん、すっかりおきれいになって」などと、ご近所の間で気軽に声をかけ合うのがむしろ礼儀だった。
けれども近年は、よほど親しい間柄でない限り、他人の家庭のことなど触れるわけにはゆかない。4割弱が非正規雇用という時代、学校を卒業しても必ずしも企業に就職できるとは限らない平均的なサラリーマン家庭でも解雇や失業は他人事でない。場合によっては子どもの学費や住宅ローンを抱えて生活が破綻しかねない厳しさかもしれない。それでも他人には窮乏を見せないよう装うのが日本人だから、なおさら言葉には気を遣う。
ご近所だからこそ無難に行きたいと思えば、口に出せる挨拶の言葉は「暖かくなりましたね」「桜が咲きましたね」「皆さん、御変わりありませんか」といった程度だろうか。そして応えるほうも「ほんとうに」「そうですね」「おかげさまで」。
もはや何を話したかは問題でなく、言葉を交わす行為自体が地域社会の円滑な暮らしに欠かせないというだけのことだが、昨今はそれすら面倒だと感じる人もいるので、私のような古い世代は、はて挨拶をしたものかどうか、なおさら頭を悩ませることになる。
けれども私たちのこんな気遣いは、結局のところ相手を傷つけない配慮であると同時に、こちらも傷つけられないための自己防衛なのであり、ならば初めから知らん顔でいいではないかという考え方も一理あるから、人間関係というのは難しい。いざというときの地域の共助のためにも、挨拶ぐらいは交わす関係を保っておくのがほんとうは望ましいのだけれども、転勤族などにはそれもピンとこないに違いない。
実際、挨拶を交わすだけの関係でなにがしかの繋がりが保たれるというのは幻想だろうし、挨拶はするけれども相手の家族構成も知らないという状況は、端的に「関心の外」ということだろう。昔の庶民の長屋暮らしとは違い、私たちはお節介も焼かない代わりに関心ももたない。もともと外からはうかがい知れないのが他人の家庭事情というものだが、それ以前に端から知ろうともしないのが私たちなのだ。
他人との密な関係を嫌う現代の心象は、私たちの人生をどんどん内向きにしてゆく。他人への無関心は、人間関係の煩雑さがない快適と孤独の両方を私たちにもたらすが、両者はつねに反転しては不安定に揺れ動く。他人と深く関わらない人生の代償は、己が存在のそこはかとない不全感かもしれない。
ひるがえって世界や人間への好奇心に満ち満ちている子どもたちは、人間関係を怖れたりしない。遠慮もしない。近所に、9歳になる私の姪の遊び友だちのわんぱく兄弟が住んでいて、毎朝拙宅の前を通って学校へ行くのだが、私の姿を見かけるやいなや大声で「○○ちゃん(姪の名前)のおばあちゃん、見っけ・・・!」と叫んでくれる。私は姪の伯母だが、何度説明しても兄弟には理解してもらえない。だから私も「こらあ・・・!」 と怒鳴り返す。こういうときの私は、実は孤独ではない。
さすが作家ならではの視点。同感である。まずは挨拶から。

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