2011年10月31日月曜日

心の奥行の変化

 以前にも、紹介したが、神谷美恵子氏の「生きがいについて」という本から、紹介する。生きがいという言葉を真正面から言うと、少々照れくさいが、今の時代は真正面から考えることが重要だ。

苦しんだことのあるひとの心には深みがある、というようなことが時々いわれるが、これはどういうことを意味しているのであろうか。
同じ苦しい目にあっても、その苦しみかたは、ひとによってちがう。さらりと苦しみを受け流せるひとと、不器用に苦しみをすみからすみまで味わわなければそこから抜け出せないひとと。ほとんど心に傷あとの残らないひとと、心が深層にまで掘りおこされてしまうひとと。深い心とはそのように深く掘りおこされてしまった心を意味するのであろうか。
もうひとつのみかたは、心の深さというものを、心の世界の奥行と考えてみることである。視覚によって、ものの奥行を認識できるのは眼が二つあるからである。つまり二つの異なった角度から同じものをみているから、自分からその物体への距離もわかるし、その物体そのものの奥行もわかるのである。カッシーラーはいう。「人間経験の深さも・・・われわれの見る角度を変えうること、われわれが現実に対する見解を変更しうることに依存している。」
この「経験の深さ」、もしくは「経験のしかたの深さ」が心の深さをつくるのではなかろうか。いいかえれば、ひとの心に二つ、またはそれ以上の世界が成立し、それぞれの世界が成立し、それぞれの世界から、各々ぺつな角度で同じ一つの対象をみるとしたら、この「心の複眼視」から、ものの深いみかたと心の奥行がうまれるのではなかろうか。 
生きがい喪失の苦悩を経たひとは、少なくとも一度は皆の住む平和な現実の世界から外へはじき出されたひとであった。虚無と死の世界から人生および自分を眺めてみたことがあったひとである。いま、もしそのひとが新しい生きがいを発見することによって、新しい世界をみいだしたとするならば、そこにひとつの新しい視点がある。それだけでも人生が、以前よりもほりが深くみえてくるであろう。もはや彼は簡単にものの感覚的な表面だけをみることはしないであろう。ほほえみのかげに潜む苦悩の涙を感じとる眼、ていさいのいいことばの裏にあるへつらいや虚栄心を見やぶる眼、虚勢をはろうとする自分をこっけいだと見る限―そうした心の眼はすべて、いわゆる現実の世界から一歩遠のいたところに身をおく者の眼である。
現実から一歩遠のいたところに身をおく、ということは、生物のなかでも精神能力が文化した人類だけにできることらしい。この能力によって人間はパスカルのいうように、たとえ宇宙におしつぶされそうになったときでも自分をおしつぶすものが何であるかを知ることができる。動物のように現実に埋没して生きるのでなく、苦しむときには、その苦しむ自分を眺めてみることもできる。

自分を客観的に見る能力があるかどうかが、人間の人間たるゆえんだと思う。絶えず逆の立場でみる、考える習慣を持ちたいものである。

2011年10月26日水曜日

自分らしさ?

東洋経済の「わかりあえない時代の対話力入門から、興味なる内容の抜粋を紹介したい。抜粋にしてはながくいが、あまり省略すると面白くないので・・

作家の石田衣良さんとの対談講演「知層をつくろう新しい生き方・ことばの力」から、興味深い内容を紹介することにしよう。このイベントでは、学生など若者を壇上に迎え、この不確かな時代におけるさまざまな思いを語ってもらった。その思いに石田さんと私が応える形で、独特の対話が進行したのである。
たとえば人間関係について。高校時代は部活に専念していた。そこでは部員が一体となって、何事かを成し遂げるという充実感があり、確かな人間関係があった。だが、大学に入ったら表面的な人間関係ばかりで、ぜんぜん充実した感じがしない。多様化する社会では人間関係が重要だというのに、このままでは不安だー。
確かに人間関係は重要である。だが、ここでいう人間関係とは、「わかりあえない」同士でも、社会における共通の問題を解決する(あるいは共通の目標を達成する)ために協働する、「対話的な人間関係」のことを意味する。
協働するためには、互いの利害を調整しつつ、手を結べるところは結び、結べないところは結ばないまま留保しておく必要がある。要するに、「仲良しの友達関係」とは根本的に異なるということ。
その意味では高校時代の人間関係のほうが、対話的であったといえるだろう。部員が一体となるまでには、さまざまな価値観の衝突や利害の調整があったのではないか。気の合わない部員とも手をつなげるところではつなぐことによって、共通の目標を目指したのではないか。
自分らしさを求めると自分らしくなくなる
ある学生は「自分らしさを追求したい」と言う。自分のやりたいことを自分のやりたいようにやってこそ、自分らしいというのである。
なるほど。言いたいことはよくわかる。だが、まず現実問題として、社会においてやりたいことをやりたいようにできるものか?
たとえば本連載にしても、好き勝手に書いているようでいてさまざまな制約の下で書いている。
テーマは「対話」。何を普くにせよう広い意味で対話に関連づけて書かなければならない。対話について好き勝手に書いてよいわけでもない。本誌の読者を想定しながら番くのである。
「今回は小学生向けに書きました」と言っても、本誌の読者に小学生はいないだろうから決して許されないだろう。
実際のところ、制約があったほうが自分を自分らしく表現しやすい場合が多い。たとえば本連載にしても、期限や分量の制約もなく好きなことを好きなように書いてもよいということになったら、たぶん私は何も書けないだろう。1回か2回なら何とかなるかもしれないが、毎週はとても無理である。
制約は多様な意見を確保するうえでも重要である。たとえば、「ハーバード白熱教室」のマイケル・サンデル教授の有名な課題「嵐の海で定員10名の救命ボートに11人目が乗り込もうとしたら、どうするか」について考えてみることにしよう。
この課題について、単純に「あなただったらどうする?」と質問すれば、何の制約もないまま意見を求めることになる。だが、このように質問して、本当に多様な意見が出てくるか?
たとえば、あなたが「自分が助かるためなら、他人をすべて犠牲にしても構わない」と思っていたとしても、それを実際に口にできるか。意見と人格は切り離して考えるべきだというが、それはあくまでも理想。人格を疑われるような意見を言えば、やはり人格を疑われてしまうのである。
かくして、意見を自粛することとなり、結果として多様な意見は確保できなくなるのである。
ここで質問に制約を課してみる。「『弱肉強食』という信念の持ち主だとしたら、どのような行動を取るだろうか?」このように問われれば信念が設定されるために考えやすくもなり、自分の人格から切り離されるために答えやすくもなる。そのほか、たとえば次のような制約を課した質問が可能だろう。
「『他者の命を絶対に奪ってはならない』という信念だとしたら?」「『一人でも多くの人の命を助けるべきだ』という信念だとしたら?」
自由に意見を述べるよりも、このような制約の下で考えることを出発点にしたほうが、結果として多様な意見が確保できるのである。
変化を生むのは安定かそれとも不安定か?
石田さんによると、最近は歴史小説を書く作家が増える一方で、近未来小説を書く作家はほとんどいなくなってしまったという。読者が歴史小説に求めるものは日本古来の美学。これを保守化傾向の表れと見るべきか。また、近未来小説を書く作家がほとんどいないというのは、未来に対する希望がないということなのか。
ある学生が次のように言った。「若者が未来を作っていかなければならない、世の中を変えていかなければならないというが、この先行きの見えない状況で、何をしろというのか。自分のことで精いっぱいで、世の中のことなんて考えていられない。生活の安定が保障されて、初めて世の中を変えることができるのではないだろうか」
なるほど、一理ある見解である。しかし、生活が安定すると、それが乱されることをおそれて、社会を変えていこうという意欲がそがれる傾向がある。失うものの少ない不安定な状況こそ、大きな変化を起こすチャンスなのではないか。かつて大きな変革ほど、失うものの少ない土地で起こったように。
先行きの見えない状況において、人々の発想は萎縮しがちである。萎縮した発想を自由に放任しても、ますます萎縮するだけ。そこから創造的発想は生まれない。創造的発想を生み出すには、むしろ制約の下で思考するような、対話的な仕掛けが必要なのである。

「自分らしさを求めると自分らしくなくなる」という言葉は至言である。私は「自分らしく」という言葉が大嫌いである。こんなところでは自分らしい仕事ができない。薬剤師としての活動ができない。とい言って去って行った人を、多く見てきた。困難な中ほどいい仕事ができると私は考えている。まさに創造的発想を生み出すには、制約があったほうがいいのである。

2011年10月24日月曜日

民の声

民の声を恐れよ 脱原発デモと国会
20111012日の東京新聞の社説に以下の記事が載っていたので紹介する。

 原発の是非をめぐり大規模な集会やデモ、住民投票実施に向けた動きが広がっている。国会にこう訴えかけているのではないか。「民(たみ)の声を恐れよ」と。
 九月十九日、東京・国立競技場に隣接する明治公園で開かれた「さようなら原発五万人集会」。呼び掛け人の一人、作家の大江健三郎さんはこう訴えた。
 「私らは抵抗する意志を持っていることを、想像力を持たない政党幹部とか経団連の実力者たちに思い知らせる必要がある。そのために何ができるか。私らには民主主義の集会、市民のデモしかない。しっかりやりましょう」
「お母さん革命」だ
 この集会には主催者発表で約六万人、警視庁の見積もりでも三万人弱が集まったという。東京電力福島第一原子力発電所の事故を機に、脱原発を目指す運動は燎原(りょうげん)の火のごとく、全国各地に広がっている。
 子どもたちが学校で受ける放射線量の限度をめぐり、文部科学省が当初設定した年間二〇ミリシーベルトから、一ミリシーベルト以下に引き下げさせたのは、「二〇ミリシーベルトの設定は子どもには高すぎる」と行政に働き掛けた保護者たちだった。
 満身の怒りで国会、政府の無策を訴えた東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授は、原発事故後、子どもの命と健康を守るために立ち上がった市民の動きを「お母さん革命」と表現する。
 原発反対、推進のどちらにも与(くみ)せず、極めて重要な案件は国民一人一人が責任を持って決めるべきだとの立場から、東京や大阪、静岡では原発の是非を問う住民投票実施に向けた動きも始まった。
 自分たちの命や生活にかかわることは自分たちで選択したい。この思いは、国会開設を求めた明治期の自由民権運動にも通底する政治的衝動ではないだろうか。
政治過信の果てに
 背景にあるのは「国民の厳粛な信託」(日本国憲法前文)を受けた国民の代表者であるはずの国会が、「国民よりも官僚機構の顔色をうかがって仕事をしているのではないか」という不満だろう。
 代議制民主主義が、選挙で託された国民の思いを正確に読み取り、国民の利害が対立する問題では議会が持つ経験に基づいて調整機能を働かせれば、国民が直接行動しなければという衝動に駆られることもなかった。
 例えば原発建設。地震頻発国のわが国に、なぜここまで多くの原発が造られたのか。安全性をめぐる議論は尽くされたのか。
 国民は素朴な疑問を抱いていたにもかかわらず、国会はそれを軽んじ、官僚と電力会社主導で原発建設が進んだのではないか。深刻な事故後も脱原発に踏み込めないのは、政官財の利権構造を守るためだと疑われても仕方がない。
 増税もそうだ。少子高齢化社会の到来に伴い増大する社会保障費を賄うためには、いずれ消費税を含む増税が不可欠だとしても、その前にやるべき行政の無駄や天下りの根絶は不十分だ。難しい課題にこそ与野党が一致して取り組んでほしいと国民が望んでいるのに、霞が関への遠慮からか、遅々として進まない。
 二〇〇九年の衆院選で民主党への政権交代が実現したのは、官僚主導から政治主導への転換に対する期待感からではなかったか。
 その民主党政権が二年間の試行錯誤の末、行き着いたのが結局、官僚との共存路線だった。野田佳彦首相に問いたい。菅前内閣のように官僚を排除する必要はないが、それは国民が民主党に望んだことだったのか、と。
 政治不信といわれて久しいが、むしろ私たちは政治を「過信」していたのではあるまいか。
 選挙は主権者たる国民が主権を行使する唯一の機会だが、選挙後は「どうせ政治は変わらない」と諦めて、声を発しようとしない。そもそも投票する人が減り、あらゆる選挙の投票率は低下傾向にある。そんな「お任せ民主主義」で政治がよくなるわけがない。仏革命に影響を与えた十八世紀の哲学者ルソーは社会契約論で「彼ら(イギリスの人民)が自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイとなり、無に帰してしまう」(岩波文庫版)と英議会制度の欠点を指摘し、直接民主制を主張した。
代議制を鍛え直す
 ルソーは代議制の陥穽(かんせい)=落とし穴を言い当てているが、二十一世紀の私たちは選挙後に待ち受ける代議制の落とし穴にはまらず、奴隷となることを拒否したい。政策決定を政治家や官僚任せにしないためにも、私たちには「民の声」を発し続ける義務があり、負託を受けた議員は最大限くみ取る。そうした当たり前の作業が代議制を鍛え直す第一歩になる。
私達はいろんな集会に参加してきた。集会も一定の規模になると、メディアも紹介するし、大きな変革の力になってくる。これからのキーワードは「メディア」と「大規模集会」「デモ」である。集会に参加すれば、自分の意識も変わるし、社会を変える大きな力となることを肝に銘じたい。

2011年10月19日水曜日

”いま”という時のエクスタシー

辻邦生という作家であり、詩人であり、随筆家を知っている人は少ない。彼の本で「美しい夏の行方」―イタリア、シチリアの旅―を読んだ。以下一部であるが、地中海の景色が浮かんでくるような、文章ではないか。知らない名前や難しい言葉は無視して読んでみて欲しい。

ジャン・グルニエが言うように、なぜ彼らはバールに坐り、ほとんど何もしないで、あのような生の充実感を持つことができるのだろうか。彼らは、お話にならないくらい貧乏だ。だが、今日暮せる以上のものは絶対に稼ごうとはしない。彼らは(いま)という時のなかに、まるで象嵌(ぞうがん)されたように、はまりこみ、明日のことなど考えないのだ。
現代人は多かれ少なかれ時間に鞭打たれ、分秒刻みに時間に酷使されている。過去はぼくらの上に拘束服のようにのしかかってくるし、未来は、希望より、不安定要素を多く含むものとして、ぼくらの前に控えている。過去を忘れ、未来も問題にせず、(いま)という時の中にたっぷり生きることは、現代では、やはり稀な例だろう。それなら地中海の港に生きる男たちは、どうして堂々たる古代人のように現代のなかでかくもたっぷりと時を享受することができるのだろう。グルニエの言い分はこうだ。
「彼らは情熱にとらえられた人間だと考えられているし、なるほどそれがほんとうであろう。だが、どんな楽しみにめぐまれて情熱にとらえられるのか太陽、恋、海、賭博によってである。それらの楽しみだけは、何者も彼らからうばうことができない」ぼくらは地中海を見ているとき、不意に幸福を覚えるのは、ぼくらもまた、この輝く太陽と、葡萄酒の酔心地と、青く揺れる海だけで、人生で最良のものを与えられたような気持ちになるからではないか。
すくなくともぼくが地中海で味わう幸福は、この(地上にいるだけで最高)という気分から生れている。グルニエが言うようにここでは「肉体が知性のなかに浸っている」のだ。東京にいるとき、多忙な生活のなかで括弧に入れられていた肉体が、地中海にくると、ある確実な存在感となって、復活してくる。ぼくらは潮風の吹き通る、素朴な、洗濯物のぶらさがった狭い路地を歩きながら、この肉体が幸福を奏でる楽器であることを直覚する。よく眠ること、よく食べること、よく愛すること、よく喋ること、よく歩くこと、よく見ることーこうしたことは、すべて確実に幸福の条件なのだ。それがあれば、太陽と恋と海と冒険が、ぼくらが喪っていた(いま)を、奇蹟のように取戻してくれる。
東京でも。パリでも誰が地中海の男たちのように、何の目的もなく、ただ波止場の端から端まで、あれだけの充実した生命感をもって歩いてゆくことができるだろうか。
だが、ぼくが地中海に行きたいと思うとき、ぼくの胸の底にあるのは、古代史のドラマでもなければ、文明の諸成果への憧憬でもない。そうではなくて、素朴な路地のあいだに見える青い海から突然啓示のように現われるこの至福感に、ただの一瞬でもいいから酔いたいためなのだ。
その時、ぼくほ、太陽と恋と海と旅があれば、もう何も要らない、という強い気持ちに貫かれる。ぼくの肉体は突然楽器のように幸福の歌を奏でだす。そしてたまに、早暁、まだ海が暗いうちに起きて、浜に出て、夜が明けてゆくのを見ているとき、ぼくは、ばら色に染る海の上に神々の過ぎてゆく姿を眼にするのである。

私も一度地中海へ行ってみたくなった。

2011年10月18日火曜日

政治家か政治業者か


民医連医療の「メディアへの眼」の第7回に、政治家か政治業者かと題して、畑田氏が述べている。私は政治業者を「政治屋」と呼んでいます。以下概略を記す。

またまた日本の政権が交代しました。この5年間で6人の首相が登場しては去り、こんどの野田首相は7人目です。2009830日の総選挙の結果、戦後史上初のその名にふさわしい政権交代が実現して民主党政権になったのでした。民主党政権には国民の期待がよせられていたのですが、その民主党政権になってからでももう鳩山、菅、野田というように早くも3人目の総理大臣です。
ステーツマンとポリティシャン
諸外国の友人たちは、「また日本では政権が代わりましたねえ。コロコロと代わるので首相の名前が覚えられなくて困るよ」と言います。
自公政権当時のことでしたが、やはり外国の友人たちは「また日本はポリティシャン首相ですねえ」と言ったものでした。それは、小泉、安倍、福田、麻生の各首相が1人残らず世襲の政治家だったということが根底にあってのことでした。英語でいえば、「政治家」は「ステーツマン」なのですが、たとえば、世襲の政治家などについては「ポリティシャン」すなわち「政治業者」とか「政治屋」というわけなのです。
真のすぐれた政治家とは、自分なりの「政治哲学」をもっていて、自分の頭、自分の言葉で政策をねりあげ、それを国民・大衆に伝達する能力を身につけている人間のことをいうわけです。ところが、どうも日本の歴代首相の多くは、父親、祖父、曾祖父らの知名度や地盤のおかげで政治家になれたにすぎず、真の政治家の名に値する人材が非常に少なかったのです。
原点にたちかえることの大切さ
原点といえば、まずは日本国憲法であるべきです。とくに同憲法99条は、総理大臣をふくむすべての「国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」にこの憲法を「尊重し、擁護する」ことを義務づけていることを忘れてはなりません。
そのうえでのことなのですが、民主党には20098月の総選挙の時に国民(有権者)に約束した「マニフェスト」という原点があります。政党というからには、党の綱領というものがなければなりませんが、そもそも民主党にはその綱領がありません。これは同党にとって死活的に重大な問題点です。
閉塞感にみちた日本とミニコミの大切さ
日本はこのところ閉塞感に覆われています。国の借金はGDP2倍にも及ぼうとする1000兆円弱に達しており、深刻な財政難は世界的にも突出しています。そのうえ、フクシマの原発事故を含む311の広域複合大惨事が国民生活を根底からおびやかしています。そこへ台風12号が追い打ちをかけて国民をいっそうの困難と不安におとしいれています。こういうときこそ「政治」がしっかりしなければならないのですが、その政治の劣化がきわ立っているというのですから、何をか言わんや、というべきです。
しかし、よく考えてみれば、政治家ならぬ政治業者や政治屋たちを選挙で選出したのは、ほかならぬ私たち国民(有権者)です。したがって、私たちは、日本の民度を高めるために、日常不断の努力をつみ重ねなければなりません。
国民の世論や意識を考えるとき、さけられないのはマスメディアの問題です。日本のマスメディアは、基本的に、日米支配層の立場にたつ情報を流すことに終始しています。それは、「政・財・官・学・報」の利権一体化の典型ともいうべき「原発利益共同体」の一環としてのテレビ報道がはっきりとその本質を現わしていました。それでも、「原子カムラ」に属さない放射能関連の専門家、たとえば安斉育郎氏や小出裕章氏らが時々ではあってもテレビの画面に登場するようになったことは、世論の変化とその支持が徐々にではあっても、マスメディアの内容を変えさせる可能性があることを示しているといえましょう。
しかし、まだまだ一般的には、日本のマスメディアは、国民の立場に立っているというには、あまりにも国民からかけはなれています。たとえば今夏の原水爆禁止世界大会の報道についてです。1992年以来一貫して世界大会のスポークスマンをつとめている私の友人S氏いわく、「ちゃんと新聞記者たちに大会の内容や今年の大会の特徴などについて伝えておいたのに、マスコミでは全然報道されませんでした。これほど徹底して完全に無視されたのは、今年が初めてでした」と。
それだけに、労働者・国民の立場にたつ私たちの間における事実にもとづく正しい情報の普及や日常的な学習がますます大切になっているといわなければなりません。本誌をふくむ各民主団体が発行する機関紙・誌が果たすべき役割が、今日の情勢との関連からみていっそう重大性をおびてきたといえましょう。つまりミニコミの大切さということです。
もし、マスコミのなかで、いいと思う放映や放送、あるいは新聞や雑誌などの記事が眼についたときには、「あれはよかった」と言って電話をするなり「読者の声」欄などに投稿するなりしてはめてあげたり、激励をしてほしいし、逆によくない番組や記事などがあれば、大いに批判してほしいと思います。

私達も、自分にできるとことから、声を出し、行動することから始めたい。

2011年10月14日金曜日

日本の言論

 日経ビジネスオンラインに小田嶋隆という、引きこもり系コラムニストと称している人の「コラム」がある。マニアックなコラムニストで、いつも面白く読んでいる。今回アザラシの「アラちゃん」に関するコラムの最後のところを面白く読んだ。一部であるが、紹介しよう。

 以前、とある朝の情報番組で、おすぎだったかピーコだったかが、司会者にオリンピックの話題を振られたことがある。
 この時、彼女(あるいは彼)は「ごめんなさい。アタシ興味ないのよ」と即座にそう答えて会話を打ち切った。「おお」まったく予想していなかった受け答えだったので、私は意表を突かれた。と、同時に、とても爽やかな気持になった。
 「ああ、この人はやっぱり必要な人なんだな」と、この時私は、このおネエしゃべりのタレントさんがテレビで珍重される理由にはじめて思い至ったのである。自分が興味を持っていない事柄について、思っているとおりに興味がないと言い切れるコメンテーターは、実に、以外なほど稀有な存在なのである。
 要するに、生放送のスタジオというのは、女装した男性や、日本語の達者な外国人や、並外れて太った人間でないと(つまり「異形」の存在でないと)本音が言えない空間なのである。それほど、一般の日本人は、他人と違う見解を持つことを恐れている。      このことはつまり、時に応じておネエ系タレントのような治外法権の存在を配置しておかないと解毒できないほど、スタジオの空気が均一化していることを示している。われわれは、自分でうんざりしながらも、この状況をどうにもできずにいるのだ。ニュース・バリューという考え方からすると、アラちゃんの話題は、しょせんヒマネタに過ぎない。ひとっかけらの緊急性もないし、社会的な意味も無い。
 その意味で、アラちゃんのニュースが、報道番組の放送時間を大量に消費することは、ジャーナリズムの視点から言って、不健全なことであるのかもしれない。しかしながら、ニュースにバリューがあるとするなら、現場の人間は、当然、そのコストやリスクについても考えなければならない。
 であれば、ニュース・コスト的に、アラちゃんの話題は、至極安上がりで、良質なニュースだということになる。ついでに言えば、ニュース・リスクもゼロ。とても平和な商品だ。アザラシのアラちゃんの話題は、今後、ヨーロッパの金融不安やウォール街で続くデモのニュースを吹き飛ばして、ロングランのネタに成長することだろう。まあ、バラバラ殺人の犯行の詳細や有名人の自殺をほじくりかえすよりはマシだと、そう考えて我慢することにしよう。(小田嶋隆)

 山本太郎のような人が「原発反対」を唱えたら、メディアから抹殺されてしまうのが、日本の現実である。なんと嘆かわしいことか。

2011年10月11日火曜日

北の国から

震災関係の文章が多くなっているが、私の中では、飽きてはいけない課題となっているので、多くなってしまう。
「革新懇ニュース」に倉本創氏の話が載っていたので紹介する。以下全文。

戦後最大の災害、福島原発事故。四季豊かな北海道を舞台に家族のきずな、生き方などを問いかけたテレビドラマ「北の国から」の作者はどう考えているのか。
罪が深い.原発事故
東北での大津波や大地震は以前から検証されていました。貞観の大地震(869)まで戻らないでも資料は残っているし、吉村昭さん(作家)の『三陸海岸大津波』でも聞き書きで詳しく書かれています。それなのに福島の海岸線に原発を建ててしまった。 
「危ない」と言った学者はいたと思いますが、御用学者だけの意見が採用された。「不都合な真実」は隠ぺいされたということです。
日本の場合、放射能の被害という大事件は、広島、長崎がありました。原爆にあいながら、また起こしたという罪の深さはいいようがないですね。
ぼくも東電の柏崎刈羽原発(新潟)などに行ったことがあります。東電の人からは原発について「絶対安全だ」といわれました。しかし、放射性物質を出す使用済み核燃料はどこかで消えるという保障がない。その消せないものが残るのに、モノ(原発)をつくってしまった。ここにそもそもの根源があります。
人問の活動を地球の運動に
エネルギーの需要と供給の解決策の一つとして、人間の活動時間を地球の運動に合わせるということがあります。1960年代には65%ぐらいが夜の10時には寝ていました。それがいま12時を過ぎている。テレビは人が寝静まった時間までやっている。またヨーロッパでは60%ぐらいの家が一家で食事をしている。父親が5時とか7時に家に帰るからです。日本では8時過ぎても帰らない親が半数以上です。一家で食事するのは「月に一回もない」という子どもが7%います。家庭崩壊も生まれています。
これらを解消するには、ここ富良野では太陽が上がるのがいま5時半ぐらいですが、人間活動の時間帯を思い切ってずらすことを考えていいと思います。
変えたいこれまでの価値観
今回の災害は、日本の大きな転換点にならなければいけないと思います。66年前の終戦のときは、軍国主義を否定し民主主義に向かいました。そのとき、いっしょに資本主義が入ってきた。
それまでは靴下に穴があけば、おふくろが繕ってくれて'、一足の靴下が1年たち2年たつと、つま先やかかとがゴロゴロしてきた。そうすると、100円で買った靴下の価値が50円に減っているかというと、おふくろやおばあさんの夜なべしている姿が結びついているから、300円、500円の価値になっている。これがそれまでのモノに対する見方でした。
ところが終戦のとき、「これからの資本主義社会では再生産できない(こわれない)ものをつくってはいけない」と教えられた。こわれないと、次のものに買い換えられないからです。
靴下は破れなくてはいけない。破れたら捨てなくてはいけない。それで大量生産、大量消費、大量廃棄が始まった。そのツケとして原発事故が起きたのではないでしょうか。今回の災害から日本が立ち直るためには、こうしたこれまでの価値観'根源的な考え方を変えなければいけないと思います。
「気がつけば今五郎の生き方」
いま富良野では「北の国から」の放映30周年を記念する行事がおこなわれています。「気がつけば今 五郎の生き方」という言葉もポスターになっています。
主人公の黒板五郎は、化石燃料も使わないし空気も汚さない風力発電、その頃はあまりいわれなかったクリーンエネルギーを発想した。お金を使わなくても知恵と労力で'やろうと思えばできるという生き方、座標軸をしっかりもっていた。
自然現状に合わせて、早寝・早起きから始めてみると価値観が変わってくるように思う。

2011年10月8日土曜日

お疲れ様の乱用に注意



日経連載の「実践マナー塾」に「お疲れさま」乱用に注意と出して以下の文章が載っていた。日頃から私が感じていたことで、そのとおり!と思った次第。以下紹介する。
電話での挨拶について、会社内の電話ならば「お疲れさまです」という言葉でもよいでしょう。ところが近ごろ、他社に電話した時に「お疲れさまです」と言われて驚きました。  
今の若い人は「お疲れさまです」が好きですね。労をねぎらう言葉として、社内では目上にも使ってよいとされていますが、ところ構わず使う人がいて、どうかと思うことがあります。
やはり、朝は「おはようございいます」という挨拶のほうが気持ちがよいもの。「お疲れさま」は午後の遅い時間からでよいでしょう。社内でも「おはようございます」「こんにちは」という言葉をもっと使った方がいいと思います。
労をねぎらうことは優位に立っていることですから、ねぎらいを言う人の立場が上になります。社内ではよくても、社外の方に「お疲れさま」は失礼です。余談ですが、美容院やブティックなどでも店員がお客様に「お疲れさま」と言いますが、あれは労をねぎらっているのでなく単なる挨拶言菜と理解しています。
挨拶はすればいいというものではありません。電話口でいきなり、「いつもお世話になっております。○○です」と言われることがあります。電話は相手が見えないのですから、まずは名前を名乗らないと相手に余計な気遣いをさせます。
「おはようございます」の挨拶言葉は別として、まずは自分の名前を名乗ってからきちんとした感謝の挨拶をします。そのほうが相手に安心感を与えます。(マナーデザイナー岩下宣子)

私は立場上、いろんなところから、勧誘の電話が入る。電話に出るといきなり、「いつもお世話になっています。・・・」と言われる。「?・・・私いつあなたにお世話しました?」と嫌味な返事をすることも何度かあった。電話でも、面と向かってでも、挨拶は大事であるが、枕詞のように同じ言葉ではよくない。時と、場所と、相手を考えての挨拶が大切である。
 

2011年10月7日金曜日

チェルノブイリだけでは足らなかった

全日本民医連の名誉会長である高柳新氏が、「社会保障」のコラム「世相、診断・処方」で福島の原発事故に関して「チェリノブイリだけでは足りなかった」と題して書いている。以下、が概略である。

これまで、毎年のように夏になれば戦争の事を思い出し、原水禁大会で何が議論されているかに関心を向けてきた。ただ原発問題に真剣に向き合うことはなかった。1986年のチェルノブイリの原発事故に対しても他国の話であり、僕の担当外の事としてやり過ごしてきた。「平和活動家」や、核廃絶と迫ってくる人は、面と向かって言うことはなかったが「にがて」だった。「脱原発」を主張して活動していた高木仁三郎氏の事はある程度知ってはいたが本気で勉強したのは311以降のことだ。
「原発推進論者」ではないが「もっと安全な原発を」といったところが残念ながら僕のスタンスだった。僕の周辺にも脱原発をまともに論じている人はほとんどいなかったように思う。
地域の人々の「いのちと暮らし」を守る運動をモットーに活動してきた1人として、大変に抜かりがあったと心から反省している。「申し訳ない」とも思う。
福島大学副学長の清水修二さんが最近出された著書『原発になお地域の未来を託せるか』の中で次のように書かれている。
「確かにまだ放射能で誰も死んでいません。しかし十数万人が故郷や学び屋を失い、自治体は移転を余儀なくされ、その住民はちりぢりばらばらに離散し、農業は長期にわたって生産基盤を奪われ、漁業者は豊饒な海を前にして船を出すことができない。酪農家や畜産農家は手塩にかけた牛や豚を置き去りにする代わりに、損害賠償のための書類を用意しておけなどと言われてどれほど惨めなことか。8000人もの児童がまるで戦争中のように転校疎開し、それを見ながらあえて避難せずにいる家族も多いけれど、ひょっとして一生ヒバクシャ差別を受けることになるのではないかと、親は我が子の将来への不安がぬぐえない。シーベルトだベクレルだと、今まで聞いたこともない単位の数字に一喜一憂し、誰の言葉を信じればいいのかとまどうばかりで、時には家族の中でさえ激しい口論が持ち上がる。そして、こういう日がいつまで続くのか、その先に『もとの生活』があるかどうか、それも見当がつかない。」
原発に地域の発展の夢の前途に、こんな光景を想像し得た人が果たしているだろうか。原発反対を叫んでいた幾人もの人でさえおそらく想像の及ばない世界であったようだ。福島県民はみな「私たちが何か悪いことをしたのですか」と、天に向かって叫びたい気持ちをみんなが抱いているという。
僕の住むのは東京の八王子だ。チェルノブイリを考えればいつ放射能汚染圏内に入ってもおかしくはない。仮に汚染から免れたにしろ、フクシマは世界中の大問題になってしまった。ドイツでもイタリアでも脱原発に向かって大きく動き始めた。われわれもそれら諸国の住民運動をしっかり研究し進まなければならない。
八王子でも母親を中心に学習会や映画会が始まっているが、さらに何をなすべきかを考え、組織し、行動しよう。

(高柳氏)は、医療人として正直に、今までの自分の原発に対しての不勉強を恥じている。この点がすごいと思う。私は、今までに何も勉強もしていなく、行動もしてこなかったのに、急に発言する人を信じません。何事にも自分の不勉強を反省してからの行動が大事である。

2011年10月4日火曜日

顔を持たないシステム

精神科医の斉藤環氏は毎日新聞のコラムで「放射線物質とデモ」というタイトルで以下のように述べている。概略を紹介しよう。

「文部科学省及び群馬県による航空機モニタリング」の結果が、927日に発表となった。広域の放射性物質による影響や避難区域等における線量評価や放射性物質の蓄積状況の評価のためになされた調査である。この結果を見る限り、放射性物質による汚染の広がりは、予想以上に深刻に思える。茨城県南部や千葉県北西部はもとより、群馬県や栃木県にも高い蓄積量を示す地域(ホットスポット)があるのがわかる。
しかし汚染地図を見ると、福島県から遠く離れた群馬県にすらチェルノブイリ事故の際の基準でいえば「放射線管理区域」(1平方㍍当たり37000ベクレル)に該当する場所があり、あらためて事故の影響のはかり知れなさに愕然とする。加えて東京都に関してはまだ調査結果が公表されておらず、さらに汚染地域が広がることも懸念される。
年間100㍉シーベルト以下の低線量被曝による放射線被害は、確率的であるとされる。汚染地域内でも線量のむらは大きいし、体内に取り込まれて内部被曝が生じた場合でも、年齢や性差によって影響は異なってくる。
それゆえ、影響の大きさを事前に予測する手がかりはほとんどない。いや、実際に障害が生じた場合ですら、内部被曝との因果関係を証明することはきわめて困難だ。なにしろチェルノブイリ原発事故についてすら、健康への影響についてはいまだ一致した見解が得られていないのだから。
原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)2008年の報告で、6000例を超える小児の甲状腺がんは原発事故と関係があるとしつつも、他のがんについては、そうした関連性を示すエビデンス(根拠)はないとしている。
しかし、もはやエビデンスを待つ段階ではない。東京電力による「想定外」、ないし「人災ではない」といった言い訳″ によって決定的となったのは、絶対に無事故の原発が原理的にありえないという事実だ。だとすれば原子力発電所は、ただ存在するだけで私達の生を確率によって汚染するという原罪を帯びることになる。
もちろんその電力を求め消費したのは私たちだ。しかし性急に自己責任を問う前に、考えておきたいことがある。
システム的な悪。原発事故はその最悪の象徴である。私たちがその存在を求め、依存し、あるいは依存している事実すら忘れていた「電力システム」のもたらした「悪」。このシステムには「顔」がない。それは神のように遍在しながら同時に私たちの分身でもある。ここで生じた悪はただちに私たち全員を共犯関係に巻き込み、全員が共犯であるがゆえに、ただちに「責任」はうやむやになる。
そう、放射線を浴びるまでもない。システムはすでに私たちを匿名化し、とうの昔に確率的存在に変えてしまっていたのだ。
顔を持たないシステムに対抗すること。それは私たちが「顔」や「名前」を持つ存在として「声」を上げることを意味するだろう。すでに都内では数万人規模の反原発デモが繰り返されている。この種の運動が久しくみられなかった「楽園」において、これは喜ばしい兆候だ。支援と擁護と参加をもって、その歴史的意義への肯定に代えたい。

彼のコメントは哲学的であるがゆえに、わかりにくいと思われるが意外と解りやすい。このような計り知れない被害、わかりにくいシステムに対していくには具体的な行動をつくって、可視化させることが重要であると言っていることに共感する。