2011年10月7日金曜日

チェルノブイリだけでは足らなかった

全日本民医連の名誉会長である高柳新氏が、「社会保障」のコラム「世相、診断・処方」で福島の原発事故に関して「チェリノブイリだけでは足りなかった」と題して書いている。以下、が概略である。

これまで、毎年のように夏になれば戦争の事を思い出し、原水禁大会で何が議論されているかに関心を向けてきた。ただ原発問題に真剣に向き合うことはなかった。1986年のチェルノブイリの原発事故に対しても他国の話であり、僕の担当外の事としてやり過ごしてきた。「平和活動家」や、核廃絶と迫ってくる人は、面と向かって言うことはなかったが「にがて」だった。「脱原発」を主張して活動していた高木仁三郎氏の事はある程度知ってはいたが本気で勉強したのは311以降のことだ。
「原発推進論者」ではないが「もっと安全な原発を」といったところが残念ながら僕のスタンスだった。僕の周辺にも脱原発をまともに論じている人はほとんどいなかったように思う。
地域の人々の「いのちと暮らし」を守る運動をモットーに活動してきた1人として、大変に抜かりがあったと心から反省している。「申し訳ない」とも思う。
福島大学副学長の清水修二さんが最近出された著書『原発になお地域の未来を託せるか』の中で次のように書かれている。
「確かにまだ放射能で誰も死んでいません。しかし十数万人が故郷や学び屋を失い、自治体は移転を余儀なくされ、その住民はちりぢりばらばらに離散し、農業は長期にわたって生産基盤を奪われ、漁業者は豊饒な海を前にして船を出すことができない。酪農家や畜産農家は手塩にかけた牛や豚を置き去りにする代わりに、損害賠償のための書類を用意しておけなどと言われてどれほど惨めなことか。8000人もの児童がまるで戦争中のように転校疎開し、それを見ながらあえて避難せずにいる家族も多いけれど、ひょっとして一生ヒバクシャ差別を受けることになるのではないかと、親は我が子の将来への不安がぬぐえない。シーベルトだベクレルだと、今まで聞いたこともない単位の数字に一喜一憂し、誰の言葉を信じればいいのかとまどうばかりで、時には家族の中でさえ激しい口論が持ち上がる。そして、こういう日がいつまで続くのか、その先に『もとの生活』があるかどうか、それも見当がつかない。」
原発に地域の発展の夢の前途に、こんな光景を想像し得た人が果たしているだろうか。原発反対を叫んでいた幾人もの人でさえおそらく想像の及ばない世界であったようだ。福島県民はみな「私たちが何か悪いことをしたのですか」と、天に向かって叫びたい気持ちをみんなが抱いているという。
僕の住むのは東京の八王子だ。チェルノブイリを考えればいつ放射能汚染圏内に入ってもおかしくはない。仮に汚染から免れたにしろ、フクシマは世界中の大問題になってしまった。ドイツでもイタリアでも脱原発に向かって大きく動き始めた。われわれもそれら諸国の住民運動をしっかり研究し進まなければならない。
八王子でも母親を中心に学習会や映画会が始まっているが、さらに何をなすべきかを考え、組織し、行動しよう。

(高柳氏)は、医療人として正直に、今までの自分の原発に対しての不勉強を恥じている。この点がすごいと思う。私は、今までに何も勉強もしていなく、行動もしてこなかったのに、急に発言する人を信じません。何事にも自分の不勉強を反省してからの行動が大事である。

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