2012年9月27日木曜日

虫歯率

毎日新聞に「歴史・迷宮・解」というシリーズがある。タイトルの意味はどうでもよいが、面白い論文の紹介をしている。昔の人の虫歯の状況と原因を解いている。以下、概略である。
歯の病気は時代や地域によって大きく違っていたことが、近年の古人骨の調査でわかってきた。世界の狩猟採集民の中で本州の縄文時代人は突出して虫歯が多いが、北海道では全く虫歯のない海洋民も暮らしていた。社会の中での性差も歯に反映されている。大島直行・札幌医科大客員教授(人類学・考古学)1996年、北海道の縄文時代から近代までの人骨の虫歯率(調査した歯のうち虫歯が占める割合)について、論文を発表した。
本州の縄文人の虫歯率は10%前後と報告されている。大島さん自身の基準による調査では14 77%だった。これに対して北海道縄文人は218%と低く、先史時代のアメリカ先住民や近現代のイヌイットとほぼ同じだった。
本州の縄文人の虫歯率が高いのは、でんぷんを多く含んだ植物食にカロリー摂取を頼っていたためと考えられている。稲作農耕が始まった弥生時代の九州、本州では162-197%と、虫歯率はさらに上昇する。
その後、アイヌ文化が成立するまでの5-13世紀は擦文文化期と呼ばれる。擦文文化人にも、同時期に北東沿岸部で展開した全く異質のオホーツク文化人にも、虫歯は全く見られなかった。
擦文文化人は調査数が少なく、確実に虫歯ゼロとは言えないが、オホーツク文化人には納得できる理由がある。考古学調査や米田穣・東京大教授(先史人類学)らによる人骨の成分分析で、オットセイやトドなど海獣の狩猟を生業としていたことがわかっている。極北の狩猟民と同じく、高たんばく高脂肪の海産動物を主食としたために虫歯がなかったのだろう。
続く近世アイヌでも虫歯率0.47%と低く、糖分の摂取が増えた近代アイヌになって初ゆて2.88%と上昇する。縄文時代以来、山の幸にあまり恵まれなかった北海道先住民は、海の幸をエネルギー源として虫歯のない暮らしをした。
虫歯率を性別で見ると、女22.0%、男17.3%と女性が高く、40代以上に限ると女31.7%、男22.2%と、さらに差が広がった。生前に抜けた歯の割合は、40代以上で女43.5%、男335.3%と、やはり女性が高い。抜けた原因として考えられるのは虫歯か歯周病だ。女性に虫歯が多いのは世界的な傾向で、永久歯が早く生えることなど生体上の違いが一因とされる。さらに見逃せないのが食生活の違いだ。米田さんらによる人骨の成分分析で、近世久米島の男性は魚など動物性たんばく食を多くとり、女性は主に穀物を食べていたと推定されている。
要するに、穀類を多く取ると虫歯になる。糖分の接種を控えると虫歯の予防以外にも、中性脂肪の減少、糖尿病の予防につながることが、言われてきている。世の親は子どもには糖質をあまり摂らせないようにすべきである。

2012年9月24日月曜日

琉球独立

毎日新聞(平成24)924日に
「琉球独立」現実の選択にという記事が載っていた。松島泰勝龍谷大学教授(沖縄出身)のインタビュー記事である。
沖縄県民の強い反対の中、米軍垂直離着陸輸送機オスプレイの普天間飛行場配備が進められている。石垣島出身で太平洋諸島や琉球の自治・自立・独立を研究する松島泰勝・龍谷大学経済学部教授は「日本への絶望が広がっている。琉球独立を現実的な選択肢として考えざるを得ない」と主張する。【聞き手・鈴木敬吾、写真・森園道子】
沖縄本土復帰40年の節目の年に、オスプレイ配備問題が持ち上がりました。◆私たちは10年に「琉球自治共和国連邦独立宣言」を発表しました。鳩山由紀夫元首相が公約した普天間飛行場の「最低でも県外移設」が簡単に破り捨てられたからです。日本の一部では永遠に基地はなくならない、独立しかないと考えました。
あの時、日本の自治体、国民の大多数は米軍基地受け入れを拒否しました。「抑止力」維持のために、琉球を犠牲にしてもよいのだという本音が出たのです。だから「私たちは差別されている」と声を上げました。それに重ねて「40年」とオスプレイです。単なる機種変更の話ではない。普天間の辺野古移設と併せ、今年を日米同盟強化の年にするのだという意思表示です。偶然ではありません。 「琉球は日米の植民地」と主張しています。
1879年の「琉球処分」以降、本土決戦のための「捨て石」とされた1945年の沖縄戦、「本土」から切り離し米軍統治を認めた52年のサンフランシスコ講和条約発効、72年の「本土復帰」と、琉球の運命は琉球の人々の意思とは無関係に日米政府が決めてきました。
それは現在もずっと続いています。国土の0.6%しかない琉球に米軍墓地の74 % を押し付け、琉球人の人権を侵す日米地位協定を変えようとしない。経済も、外部から資金が投じられても琉球内で循環せず外部に流出する「ザル経済、砂漠経済」、つまり植民地経済です。しかし、沖縄を差別し、植民地支配していると考える本土の人は少ないでしょう。
◆琉球が450年続いた王国で、中国だけでなく、オランダ、フランス、アメリカと条約を結び、国際的に認められた国家だったことを知る日本人がどれだけいるでしょうか。国連人種差別撤廃委員会が10年、琉球人を独自の民族として認定し、米軍基地の押しつけを人種差別とし、琉球側と協議するよう日本政府に勧告したことを、どれだけの日本人が知っているでしょうか。
私たちは北海道のアイヌと同じように先住民族です。差別を差別として認識しないのは、日本がこの問題を国内・地域問題に矯小化しているからです。
◆独立論は過去にも言われ冷めた見方もありましたが、鳩山元首相の公約違反で状況が全く変わりました。基地の撤去・返還を求める保守政治家も増えています。11人がどうすれば基地を無くせるかと考えれば、独立の必要性が現実的な選択肢・課題として認識されます。また私たちの主張には、国連が60年に採択した植民地独立付与宣言など国際法に基づく明確な法的根拠があります。国連の脱植民地化特別委員会や人種差別撤廃委員会などで人民の自己決定権を主張しています。
達は、もし自分が沖縄県民だったらどう考えるかと言う視点で「沖縄」を考えていく必要がある。


2012年9月20日木曜日

婦人公論

婦人公論を時々購入して読む。この雑誌は婦人だけでなく、男が読むと面白い。一度読んでみてください。その本の中で、上田七加子著(不破哲三氏の妻)の「道ひとすじ」が紹介されていた。その中で、杉良太郎氏の「幸せとはなんだろう」という文章が面白い。一部紹介する。
悩んで生きていく
3・11直後、すぐに被災地に入って炊き出しを行い、被災者を支援した。ベトナム孤児を育て、バングラデシュや中国に学校を、ブラジルに病院を建てた。筋金入りの福祉活動家としても知られる。
なぜボランティアをやっているのかと、いつも聞かれます。その度に、「母の影響です」とか「生まれつきです」と答えてきました。そう、生まれつきなんだけれども、それだけでは解決できないんですね。「杉さん、いいことしましたね」「なかなかできないことですよ」と言われても、ずっと他人事のように聞いていたんです。なぜ他人事なのか。よくよく考えてみたら、これは僕の妄想だということに思い至ったんです。
もうちょっと上等な解釈をすれば、「信念がある」という言い方になるかもしれません。しかし、信念という言葉を使うほどの問題ではない。「何人も助けたでしょう」と褒められても、地球にいる全員を助けたわけじゃない。一人救おうが1万人救おうが、それがどうしたということです。じゃあ、やめられますかとなるけれど、やめるのは難しい。続けるのか、それも答えられない。となると一体なんなのだろう。そういうふうに自分自身と問答していくと、もう「妄想」だという結論しかなくなったんです。
しかも、妄想に取り想かれているからすごいワンマンなんです。多額の寄付をしようとして「もうやめなさい」と周りに止められても、「やるときはやらなきゃいけなんだよ」とやる。福島に炊き出しに行くときも、「原発があるから、みんなは行きたくない。迷惑ですよ」と言う人がいても、「僕は行くんだ」と行く。妄想に取り憑かれているから。周りにはご迷惑をおかけします()。立派な人でもなければ、偉い人でもない。使命とも思っていない。つい最近も、伍代が「また福島に行かなきゃね」と言うから、「そうだな」って。そんなものです。
先日、僕の誕生日のお祝いがありました。そこで「僕をこき使ってくれ」と挨拶しました。「業界も政治家も俺をこき使って、チクショー、しんどいよ」という気持ちもあるけれど、よくよく自分の考えを精査してみると、「使われているうちが華だろう」という結論になる。だから「もっとこき使われりゃいいんだ、俺も俺とみんなをこき使ってやろう」とね。こき使い、こき使われる関係って、いいでしょ。そこに信頼関係がまた生まれて、楽しい何かができるんじゃないか。そんな話を、みんなにしました。僕は日々、自問自答して、自分の考えを軌道修正しながら小さな答えを見つけて生きています。悩むって、決して不幸なことではない。読者のみなさんも、鏡の中の自分に語りかけてみてください。家族のあり方、自分の生き方を見つめ、明日に向けて明るく生きて行けますか?
杉良太郎のイメージが変わった。ただものではないと感じた。

2012年9月18日火曜日

東京新聞

 私は、数年前から「東京新聞」に注目している一人である。東京新聞を取ろうとして、調べたら山梨では取れないことが解り、がっかりしたことを覚えている。しかしWEBで無料閲覧できるので、ほぼ毎日チェックしている。民医連医療の10月号で畑田氏が、東京新聞のことを取り上げているので、一部紹介する。
メディアへの「眼」第18回 偏っている」とは? 国際政治学者畑田重夫
「東京新聞」攻撃の始まり
最近、あちこちでその「東京新聞」についての賛否両方からの評判をよく耳にし、眼にするようになりました。筆者などは、「国民の立場「国民の目線」に立った素敵な新聞だと惜しみなく高い評価を呈していますが、逆に、「左に偏向しすぎているんじゃないか」という否定的な評判も耳にするようになりました。耳にするだけでなく、ついに活字になっているのを眼にするようになりました。
その一例をあげてみましょう。「正義と公平と感動 ― あなたの新総合雑誌」と銘うつ『テ-ミス』という月刊誌があります。「THEMIS(-ミス)は、ギリシャ神話に登場する女神で、俗に「正義と公平の守護神」とされているのですが、この雑誌の8月号に、つぎのような記事が掲載されました。
「ある朝日新聞記者が、『東京新聞は凄い勢いでウチよりも過激な反原発路線でいっている』と洩らしたが、最近の『東京新聞』は『赤旗』と見紛うくらい偏った紙面である。市民団体と称する人たちのデモを大きく取り上げたり、電力会社をことさら攻撃するような記事が目立つのだ」。
このように「赤旗」紙ともども「東京新聞」が偏向新聞であるというわけです。「赤旗」については、この「朝日」の記者ならずとも、日本全体にまだまだ反共主義に根ざすところの「偏っている」という固定観念が浸透していることは周知のとおりですが、ついに一般商業紙の1つである「東京新聞」にまで攻撃の矛先が向けられるようになったか、というのが筆者の直感でした。
東京新聞は、どこかの新聞のように有料でないと核心部分は読めないような新聞ではないので、ぜひWEBで読んで欲しい。

2012年9月12日水曜日

パンセ

100分で名著の「パンセ」(パスカル)を読む。パスカルと言えば、「パスカルの定理」とか、「人間は考える葦である」という言葉である。文学者であるとは知らなかった。フランス文学者の鹿島茂氏のパンセ紹介文章の一部を紹介する。

誰が読んでも答えが見つかる万能書平均的な日本人に向かって「パスカルについてどんなことを知っていますか?と尋ねたら、『パンセ』の名を挙げて「人間は考える葦である」とか「もしクレオパトラの鼻が低かったら」と、暗記している断片を唱える人もいるでしょうし、また、物理で習った「パスカルの原理」やそれに由来するへクトパスカルという気圧の単位を挙げる人もいるかもしれません。
わたしはこれだけでも日本人のパスカルに対する知識はたいしたものだと思います。なにしろパスカル(本名プレーズ・パスカル)は一六二三年に生まれ、一八六二年に三十九歳の若さで没した十七世紀フランスの数学者・物理学者・文学者ですから、二十一世紀の日本人にとってはいたって縁遠い存在のはずなのです。それが、名前と著作名を言えるばかりか、著作の断片を引用したりできるのは、パスカ.ルが日本人にそれだけ親しまれてきた証拠といえます。
世間での地位が遅よく上がるにしたがって、人はその分、真実から遠ざけられてゆくものである。なぜなら、その人から好かれれば得になるけれども、嫌われてしまうとそれだけ危険になるというような上司がいた場合、だれだってその人を傷つけたりしたら大変だと思うからだ。たとえば、ある王侯がヨーロッパ中の笑い者になっていようと、当の王侯は笑い者にされていることをまったく知らないというようなことがしばしば起こる。真実を伝えるのは、伝えられた人にとっては有益のはずだが、たいていは伝える人にとって不利に働くようだ。真実ゆえに憎まれることになるからだ。ところで、王侯の近くで暮らしている人々は、仕えている主君の利益よりも自分の利益のほうが大切だと思っている。したがって、彼らは損してまで主君に得をさせようなどとは夢にも思わない。(断章100)
他の人を叱らなければならない立場の人が示してしまう誤った心遣いというものがある。相手を傷つけないよう回り道をしたり、手心を加えたりして、いろいろと気を遣わなければならないからだ。相手の欠点を少なく見積もったり、それを許したふりをする必要がある。時には、そこに称賛をまじえたり、愛情と尊敬のしるしを加えたりしなければならない。ところがである。こうしたことをすべて試みても、叱責というこの苦い薬は相手の自己愛にとっては苦いことに変わりはない。自己愛はできる限り少なく苦い薬を飲もうとする。また飲み込んだとしても嫌悪感でいっぱいになる。そして、たいていは、その薬をくれた人に対してひそかな恨みを抱くようになるのだ。(断章100)
地位が上がってくると、耳障りがよくて、口当たりがいいとしか言わない部下が集まってくる。真実を知るすべを持たない上司は惨めである。わが職場は如何。

2012年9月10日月曜日

世界の99%を貧困にする経済

「世界の99%を貧困にする経済」という本を購入。著者のジョゼフ・E・スティグリッツ氏は、2001年「情報の経済学」を築き上げた貢献によりノーベル経済学賞を受賞した、アメリカの大学教授である。この本の紹介で、慶応義塾大学の池尾和人教授は以下のような紹介をしている。
現在、米国をはじめとしたすべての先進諸国において、グローバル化と情報技術革新が労働力の二極化をもたらすように作用している。しかし、とくに米国では、この「市場の力」の働きを緩和するセーフティーネットが十分に存在せず、むしろ「政治の力」で、その働きが富裕層に都合良く増幅させられてきた。
その結果、この間の米国では、上位1%だけが成長の成果を享受する一方で、残りの99%の中下層の人々の生活水準は向上するどころか悪化してきた。こうした現実は、住宅価格バブルによって一時的には覆い隠されてきたが、金融危機後は白日の下にさらされるに至っている。
著者のスティグリッツ教授は、いまや米国は機会均等の地どころか欧州以上に階級格差が拡大し、民主主義も機能不全に陥った不平等社会になってしまったと激しく指弾する。
本書は、こうした現状認識に基づいて、現代米国の政治・経済メカニズムを分析し、そのゆがみを正すための経済改革を提案している。
海外に仕事をアウトソーシングできる機会が広がったことは、労働者の交渉力を弱めることになる。このことをうまく利用して、上位1%の人々は自らの利益にかなった政治・経済ルールを作り上げ、そうしたルールが正当なものだという信念を社会に広めることにも成功してきた。
すなわち、現在の米国における不平等は、真空の中での市場の力によって作り出されたものではなく、政治の力によって形成されたものである。それゆえ逆にいうと、政治改革を行い、大胆に経済政策を変更すれば、現状を是正し、格差を縮小することは可能だというのが、本書の基本的な主張である。
この本の帯には「大衆を食いものにして、何の責任もとらず、富をむさぼる上流層。その手口は、政治・経済のルールを自分たちに都合よく作り上げ、それがすべての人々の利益になると信じ込ませるものだった。アメリカ、ヨーロッパ、そして日本で拡大しつつある「不平等」の仕組みを解き明かし、万人に報いる経済システムの構築を提言する。とある。まさにその通りである。

2012年9月7日金曜日

杉浦日向子

杉浦日向子という名前をご存知かな?昔NHKで「お江戸でござる」という番組があった。そう「えなりかずき」がまだ子役で出ていた番組である。そこで、江戸の風俗、言葉等を解説していた女性である。漫画家であり、江戸風俗研究家である。彼女の書いた「入浴の女王」という本の中で、名古屋人の事を書いている部分がある。彼女は温泉と酒が好きで、全国の温泉を訪ねながら、酒をたしなむ。ついでに人間を観察している。面白いので一部紹介。
名古屋はインビだ。何度訪れても、名古屋を構成する名古屋人の気質とは何なのか、まるで分からない。外部から見えにくいのがインビだ。地下が繁盛するのもインビだ(ちなみに名古屋は、我が国に於ける地下街発祥の地と言う)。
それだから、謎の名古屋人は、様々な風説を生むことになる。日く、名古屋人は猫と会話が出来る(みゃあみゃあ)。名古屋人は八丁味噌を塩胡椒に次ぐ世界三大調味料と信じている。名古屋人の大好きなエビフリャーは名古屋城のシャチホコを象ったものであり、名古屋人なれば、三日に一度はエビフリャーを食べないと禁断症状が現れる云々。名古屋人はそれを逆手に取り、自らギャグとして演じる事により、本質を包み隠すプロテクターとして利用するから、ますますシッポがつかめない。
今回取材した名古屋人は四人。異例の多さである。
彼らはいずれも快く取材に応じ、饒舌に語ってくれたが、他所行きの「標準語」がまどろっこしい(彼らはみゃあみゃあを封じ、外部の者によそよそしく 「ですます」を用いた)。のれんに腕押し糠に釘。きしめんのようにするするとりとめもなく気持ち良く時は過ぎ、ういろうのようにもちゃもちゃとどんより不透明、やさしい甘さに油断すれば、後で腹へずっしりと来て、騙まし討ちにあったような妙な気持ち。ガードが堅いのか、なかなか中に入り込めない。玄関先で適当にあしらわれている気がする。ラチが明かない。
質問と別の所から答えが返って来る。質問を遮って自分の話をする。核心をはずす。それが、わざとはずすのではなくて、どうやら自然体でソウなるらしい。T西マンタといると、物事がチャキチャキ運ばず、ポとわしはイラつく。大海にたゆとうマンタのようなラチの明かなさは、T西個人のキャラクターとばかり思っていたが、名古屋人の特質なのだった。
「あれはもう名古屋の風土病ですよ」とポは言い捨てる。万事のんびりしているようでいても、さにあらず。名鉄での名古屋人は豹変。中日球場で対巨人戦を応援するドラゴンズファンと並ぶ凶暴さを発揮する。電車到着、ドアが開くや一斉に車内へなだれこむ。手荷物で連れの席を確保するのは、東京ではオバチャンの独壇場だが、名鉄では小学生から老紳士まで、ためらわずやる。席がないと見るや、ドア付近に踏みとどまって、奥へ行かないから、中はガラガラなのにドア付近だけが異様に混雑。降りる時は人より早く降りたいのだ。程を知らないマイペース。
預けたらおろさない名古屋人の貯蓄高は全国一。クレジットローンも不人気。定価に上乗せされる利子を嫌うのだ。地味で堅実な(と名古屋人自らが言う)名古屋人は、借金と在庫は嫌い。捕らぬ狸の皮算用はしないのだ。
「しわいと言われながらも、名古屋の嫁入りは派手だよねえ」
満載された花嫁道具を見せびらかすためのガラス張りの4トントラックは、他に類のない奇習である。
「あれは賛沢や無駄とは違います。見栄は大切ですから張るときは張ります。後々使」える物には金を惜しみません」と0本氏。
余暇をよからぬものとする勤勉な名古屋人にレジャーは無縁。形の無いものに金を使わない名古屋人は、家庭雑貨や衣料品などの使える物のショッピング(それは必ず値切らなくては意味がない)でストレス解消する。名古屋人の生んだ唯一の娯楽、パチンコは、日用品が景品というセコさがウケているらしい。
夜は家へ帰って酒を呑むから、九時過ぎの名古屋はゴーストタウンと化す。実利を尊ぶ名古屋人は、酒も酔えれば良しとの信条で、ペットボトルの焼酎がヒットする。
伝統を重んじる名古屋人は、軽桃浮薄な流行にはおいそれと惑わされない。ナタデココやパンナコッタは、結局名古屋では流行らなかったが、あんトースト(トースト餡添え)や、コーヒーには必ずピーナッツが付く伝統は、頑なに守られている。「家を持たなければ一人前ではない」と言われる名古屋では、持ち家の所有率が、三大都市の中でダントツの六割を越える。ケチケチ貯めて、どーんと建てる。大事なオタカラを他人におめおめ取られる賃貸などは我慢ならない。
無駄を嫌う名古屋人は、いつ来るか知れぬ来客のための応接室など不要と考えている。そこで名古屋では喫茶店が繁盛する。
人が来れば喫茶店へ引っ張って行く。商談も喫茶店。数百円で「奮った」優越感が得られるし、家庭へ土足で踏みいられ、家計簿を値踏みされる危険もない(名古屋人は値踏みが好きで、なんでも金に換算したがる性癖がある)。名古屋には喫茶店が多い。自動販売機の数より多いと思われるほど、マメにある。
この喫茶店のモーニングサービスが凄い。コーヒー1 杯分の値段で、コーヒー、ピーナッツ、バタートースト、卵、バナナが付く。忙しい朝などは、家族揃って喫茶店へ駆け込むほど、安直に活用されている。こんな現象も名古屋ならではだ。

西、ポ、O本とかは、人の略名である。私は岐阜生まれなので、名古屋人に近いので良くわかるが、ここまでどぎつくない。少々大げさに書いてあるが、半分以上は当たっている。山梨生まれの人は、東海地方の人と付き合うときは上記のことを知っておいたほうがいい。(名古屋出身に人がいたら、ゴメン)


2012年9月5日水曜日

落合恵子

雑誌「週刊金曜日」に落合恵子さんが、日誌を連載されている。タイトルは「犬の遠吠え、花に嵐」である。8月31日号の日誌を紹介しよう。

八月★日 あと数日で八月も終わる。夕暮れが早くなった。夕暮れ時の空の色も微妙に変わってきた。残暑はまだまだ続きそうだが、わたしたちはこの夏再び「体験」した。充分に予想されたことだが、あれだけ喧伝された「電力不足」は現在のところ起きていないことを。
この国にある原発のたったふたつ、関西電力おおい大飯原発三、四号機しか稼働していないにもかかわらず、酷暑を乗り切れた!この夏である。
この「体験」をわたしたちは再度深く心に刻みたい。個々の企業や個人の節電の努力もむろんあるが、「乗り切れた」という「この体験」を最もさせたくなかったのは、誰なのか。それゆえの拙速な再稼働であったことを、わたしたちは忘れない。
今日は神戸で保育士のかたがたの大会が。それぞれの保育士さんたちは日々、それぞれの子どもと向かい合っている実感から、また自らの育児の体験からも、反原発への思いが深く、熱いo終了後、「毎日新聞」の、平和についての取材を。翌日は宝塚市を訪れるので、ほんとは関西に一泊したかったが、もろもろの仕事が終わらず、帰京。

八月★日 宝塚市に。行ったり来たりで、駄な移動をしているようだが、読みかけの本を読んだり、週刊誌を比べ読みしたり、立葵が押紙のような花をつける車窓から風景をただただぼーと観ている時間は心地よい。こういう時間を失うと、気持ちがささくれだってくるのがわかる。
集会やデモがあった夜などはだから、急いで帰宅して食事を作るようにしている。茗荷や大葉やネギやオクラを細かく切って、冷奴に載せたり、わが家のプランターで育ってくれているルッコラを摘んでトマトとサラダにしたり、茄子とシシトウガラシの味噌妙めだったり。どれもがすぐにできるものばかりだが、この時間を省略してしまうと、暮らしが荒れていくようでこわい。

八月★日 多くの聴取者に歓迎されている、毎日放送の「たね蒔きジャーナル」が打ち切られるのではないかという『東京新聞』の記事を読んで心配していたが、今日訪れた明石でも、そのことが話題になる。すでに多くのひとが存続のための活動に取り組んでおられる。小出裕幸さんのお話を始め、どれほどわたしたちは学んできたか。  
メディアのありかたについても、昨年からわたしたちは多くのことを学び、「体験」した。
いつも書いていることだが、大事なのは単なる「体験」をしたということだけではなく、「体験」から何を引き寄せ、自らのテーマとするかである。
 生きていくうえで、しなければならないことを省いていくと、暮らしが荒れていくというという言葉、本当にそう思う。何事も面倒くさがらないことが大切である。
体験から、行動へ移すことが、今程求められている時代はない。

2012年9月3日月曜日

七戒

 「男おひとりさま道」上野千鶴子著を3年前に購入して読んだ。3年ぶりに再読した。(死別、離別、非婚シングルー老後に生きる道はあるか)というサブタイトルの本である。男おひとりさまの生き方を指南した本である。以下、「七戒」を紹介する。

選択緑タブー集「男の七戒」
こういう選択緑には人間関係のお作法がある。女緑づきあいタブー集、題して「女縁の七戒」を紹介したわたしの著書『「女縁」を生きた女たち』からここに再録しておこう。
その1 夫の職業は言わない、聞かない。
その2 子どものことは言わない。
その3 自分の学歴を言わない。
その4 お互いに「奥さん」とは呼び合わない。
その5 おカネの貸し借りはしない。
その6 女緑をカネもうけの場にしない。
その7 相手の内情に深入りしない。


これを改訂して、女縁のつながりに参入したい男性のための「タブー集」をつくってみた。
選択縁づきあい 「男の七戒」
その1 自分と相手の前歴は言わない、開かない
その2 家族のことは言わない、聞かない
その3 自分と相手の学歴を言わない、聞かない
その4 おカネの貸し借りはしない
その5 お互いに「先生」や「役職名」で呼び合わない
その6 上から目線でものを言わない、その場を仕切ろうとしない
その7 特技やノウハウは相手から要求があったときにだけ発揮する

この本を書いた上野千鶴子氏は「女おひとりさま」である。この七戒は「おひとりさま」でなくても、仕事以外のお付き合いにもあてはまる。自戒したい。