2012年9月12日水曜日

パンセ

100分で名著の「パンセ」(パスカル)を読む。パスカルと言えば、「パスカルの定理」とか、「人間は考える葦である」という言葉である。文学者であるとは知らなかった。フランス文学者の鹿島茂氏のパンセ紹介文章の一部を紹介する。

誰が読んでも答えが見つかる万能書平均的な日本人に向かって「パスカルについてどんなことを知っていますか?と尋ねたら、『パンセ』の名を挙げて「人間は考える葦である」とか「もしクレオパトラの鼻が低かったら」と、暗記している断片を唱える人もいるでしょうし、また、物理で習った「パスカルの原理」やそれに由来するへクトパスカルという気圧の単位を挙げる人もいるかもしれません。
わたしはこれだけでも日本人のパスカルに対する知識はたいしたものだと思います。なにしろパスカル(本名プレーズ・パスカル)は一六二三年に生まれ、一八六二年に三十九歳の若さで没した十七世紀フランスの数学者・物理学者・文学者ですから、二十一世紀の日本人にとってはいたって縁遠い存在のはずなのです。それが、名前と著作名を言えるばかりか、著作の断片を引用したりできるのは、パスカ.ルが日本人にそれだけ親しまれてきた証拠といえます。
世間での地位が遅よく上がるにしたがって、人はその分、真実から遠ざけられてゆくものである。なぜなら、その人から好かれれば得になるけれども、嫌われてしまうとそれだけ危険になるというような上司がいた場合、だれだってその人を傷つけたりしたら大変だと思うからだ。たとえば、ある王侯がヨーロッパ中の笑い者になっていようと、当の王侯は笑い者にされていることをまったく知らないというようなことがしばしば起こる。真実を伝えるのは、伝えられた人にとっては有益のはずだが、たいていは伝える人にとって不利に働くようだ。真実ゆえに憎まれることになるからだ。ところで、王侯の近くで暮らしている人々は、仕えている主君の利益よりも自分の利益のほうが大切だと思っている。したがって、彼らは損してまで主君に得をさせようなどとは夢にも思わない。(断章100)
他の人を叱らなければならない立場の人が示してしまう誤った心遣いというものがある。相手を傷つけないよう回り道をしたり、手心を加えたりして、いろいろと気を遣わなければならないからだ。相手の欠点を少なく見積もったり、それを許したふりをする必要がある。時には、そこに称賛をまじえたり、愛情と尊敬のしるしを加えたりしなければならない。ところがである。こうしたことをすべて試みても、叱責というこの苦い薬は相手の自己愛にとっては苦いことに変わりはない。自己愛はできる限り少なく苦い薬を飲もうとする。また飲み込んだとしても嫌悪感でいっぱいになる。そして、たいていは、その薬をくれた人に対してひそかな恨みを抱くようになるのだ。(断章100)
地位が上がってくると、耳障りがよくて、口当たりがいいとしか言わない部下が集まってくる。真実を知るすべを持たない上司は惨めである。わが職場は如何。

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