2012年9月20日木曜日

婦人公論

婦人公論を時々購入して読む。この雑誌は婦人だけでなく、男が読むと面白い。一度読んでみてください。その本の中で、上田七加子著(不破哲三氏の妻)の「道ひとすじ」が紹介されていた。その中で、杉良太郎氏の「幸せとはなんだろう」という文章が面白い。一部紹介する。
悩んで生きていく
3・11直後、すぐに被災地に入って炊き出しを行い、被災者を支援した。ベトナム孤児を育て、バングラデシュや中国に学校を、ブラジルに病院を建てた。筋金入りの福祉活動家としても知られる。
なぜボランティアをやっているのかと、いつも聞かれます。その度に、「母の影響です」とか「生まれつきです」と答えてきました。そう、生まれつきなんだけれども、それだけでは解決できないんですね。「杉さん、いいことしましたね」「なかなかできないことですよ」と言われても、ずっと他人事のように聞いていたんです。なぜ他人事なのか。よくよく考えてみたら、これは僕の妄想だということに思い至ったんです。
もうちょっと上等な解釈をすれば、「信念がある」という言い方になるかもしれません。しかし、信念という言葉を使うほどの問題ではない。「何人も助けたでしょう」と褒められても、地球にいる全員を助けたわけじゃない。一人救おうが1万人救おうが、それがどうしたということです。じゃあ、やめられますかとなるけれど、やめるのは難しい。続けるのか、それも答えられない。となると一体なんなのだろう。そういうふうに自分自身と問答していくと、もう「妄想」だという結論しかなくなったんです。
しかも、妄想に取り想かれているからすごいワンマンなんです。多額の寄付をしようとして「もうやめなさい」と周りに止められても、「やるときはやらなきゃいけなんだよ」とやる。福島に炊き出しに行くときも、「原発があるから、みんなは行きたくない。迷惑ですよ」と言う人がいても、「僕は行くんだ」と行く。妄想に取り憑かれているから。周りにはご迷惑をおかけします()。立派な人でもなければ、偉い人でもない。使命とも思っていない。つい最近も、伍代が「また福島に行かなきゃね」と言うから、「そうだな」って。そんなものです。
先日、僕の誕生日のお祝いがありました。そこで「僕をこき使ってくれ」と挨拶しました。「業界も政治家も俺をこき使って、チクショー、しんどいよ」という気持ちもあるけれど、よくよく自分の考えを精査してみると、「使われているうちが華だろう」という結論になる。だから「もっとこき使われりゃいいんだ、俺も俺とみんなをこき使ってやろう」とね。こき使い、こき使われる関係って、いいでしょ。そこに信頼関係がまた生まれて、楽しい何かができるんじゃないか。そんな話を、みんなにしました。僕は日々、自問自答して、自分の考えを軌道修正しながら小さな答えを見つけて生きています。悩むって、決して不幸なことではない。読者のみなさんも、鏡の中の自分に語りかけてみてください。家族のあり方、自分の生き方を見つめ、明日に向けて明るく生きて行けますか?
杉良太郎のイメージが変わった。ただものではないと感じた。

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