2012年12月21日金曜日

アンポ



民医連医療のメディアへの「眼」(畑田重夫)はたびたび紹介しているが、今回は「アンポ」に関してである。以下、概略を紹介。
マスメディアの共通性
それよりもあらためて指摘せざるをえないのは、マスメディア、つまり、テレビ、ラジオ、新聞、週刊誌などが、安保の個々のあらわれ、たとえばオスプレイ問題、米兵の性暴行事件などについては一応の報道をすることはあっても、その根元に日米安保条約があるということには一切ふれないという問題があるということです。
現行の日米安保条約は1960年に旧安保条約(5ヵ条)が改定されたものです。そのとき、日本の労働者・国民は歴史的な60年安保闘争」を展開しました。新条約の第10条は、条約の効力と、条約の終了手続きを定めています。この条約は10年間の固定期限が過ぎると、末日両政府いずれか一方の通告によってこの条約を廃棄することができることになっているため、ちょうど改定から10年目の1970年にも、日本国民はいわゆる70年安保・沖縄闘争」をたたかいました。
60年安保闘争も70年安保・沖縄闘争も、いずれもそれなりの成果や教訓を残しました。ところが、それらの大闘争に参加した人たち自身が、さきほどあげた感想文にもあるように、安保は過去のもので、いまは生きていないと思っているのです。いわば安保問題自身が「風化」しているといわなければなりません。
このような現状になっている根本原因のひとつに、日本のメディアに根本問題があるというべきだと考えるのですが、いかがでしょうか。
60年安保闘争後、ケネディ米大統領は、日本人女性を妻にもつ「知日家」のライシャワーを駐日大使に任命し、安保闘争をたたかった労働組合の幹部・活動家や学者、文化人たちをアメリカに招待し、反共親米勢力の育成につとめました。それを称して「ケネディ・ライシャワー路線」といいますが、その影響はあまりにも大きく、結果として、日本の労働組合から闘争力の骨抜き、学者・文化人・評論家などの言論や著作などからの「安保」批判の消滅などの現象をもたらしたことも否定できない歴史的事実です。このような問題ともからみつつ、何よりも日本のあらゆるメディアが、安保体制のワク内での報道一色にぬりつぶされるようになって久しいといわなければなりません。
いまの日米安保条約のまわりには、日米交換公文、在日米軍の地位協定、日米議定書、日米合意文書、さまざまな日米間「密約」などがあり、それら全体を含めて「日米安保体制」ががっちりと構築されているわけです。
ところが、今や、この「日米安保体制」がはらむ矛盾が限界点に近づきつつあり、とりわけ、沖縄ではすでにその限界点をはるかに越えています。
沖縄には41の自治体がありますが、たとえばオスプレイの普天間飛行場配備問題についていえば、41人の首長、さらには41の地方議会、そして仲井真知事にいたるまで、すべてが配備反対という状態になっています。オスプレイ問題に加えて1016日の米兵による集団強姦暴行事件112日のやはり米兵による飲酒・暴行事件が起こりました。沖縄の県議会で、全会一致で採決された決議には「米軍基地の全面撤去」という言葉が初めて入りました。安保体制の矛盾はここまできているのです。
にもかかわらず、日本のすべてのメディアは、個々の事件や事例の報道はしても、安保体制そのものの是非や賛否を問いかけるような報道は一切みることができません。
日米安保条約を抜きにして、沖縄基地問題を論じても何も解決しない。最近、地位協定に関しては、テレビでも言うようになってきた。しかし、安倍政権では又、逆行するのではないか。山梨県人は「アンポ」と言ったら、「あんぽ柿」を想像する人の方が多いのかな?

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