2012年12月26日水曜日

白石一文



 白石一文という名の小説家を知っている人は少ないと思う。父親が白石一郎で、親子2代で直木賞をとった人である。その人の小説で、「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」という長ったらしいタイトルの小説を読んだ。その一部で興味深い文章があったので、紹介する。
富裕層と貧困層の所得格差がここまで拡大してくると、僕たちは「自由」という価値観だけを錦の御旗とはできなくなってくる。なかんずくこの世界で最も「自由」というものを信じている国民は日本人ではないだろうか。アメりカが標榜する自由が「自由競争」しか意味していないことは、かの国の貧富の格差、人種差別、好戦性を見れば一目瞭然である。
イデオロギーとしての「自由」については、アメリカはそれを戦略物資として取り扱い、「自由」を輸出することで自国の権益を拡大しているに過ぎない。かつてのソ連が「緊張緩和」を唯一の売り物にしていたのと大した差はないのだ。
日本人のようにナイーブに「自由」を信じている国民は他にいないだろう。日本はアメリカという二面性のある国家の1面だけを鵜呑みにして、そのsideAで奏でられる旋律のみを頼りにステップを踏んできた。結果、この国はアメリカにとって最大のカモであり忠実な牝牛となり果てたのである。
たとえば、アメリカによる対日直接投資の収益率が14パーセントを超え、日本の対米直接投資の収益率が5パーセントにも満たないのはその見事な証左であろう。
現在、この国で暮らす人々の家計収支は一兆円を超える資金不足に陥っている。各家庭では支出に対して稼ぎがまったく追いついていない。どの家庭も過去の貯蓄を切り崩しながら家計の赤字を埋め合わせているのだ。その一方で、東証一部上場の各企業の純利益は毎年、過去最高を更新しつづけている。この好業績を支えているのは言うまでもなくリストラと賃金抑制である。
一世帯あたりの平均所得は減少傾向にある。2002年には12年ぶりに6百万円を割り込み、一人当たりの平均給与もほとんど増えていない。世帯あたりの所得で最も分布の多い所得額は年間300万円400万円未満で、世帯全体の約6割が平均所得を下回っている。子供のいる世帯の六割以上が「生活が苦しい」と訴えているのはそのためだ。直近の勤労統計調査の数字を見ると、ボーナスや残業代などの諸手当すべての給与を合算した一人当たりの現金給与総額は前年比0.7パーセント減の月額33212円で3年ぶりに減少に転じた。またボーナスや残業代を除く基本給ベースで見れば、0.2パーセント減の249771円で、これは2年連続の減少となる。中小企業のボーナス減やパート従業員の増加がその主原因で、大企業を中心とした業績改善が賃金アップにまったく結びついていないことがよく分かる。
反面、労働者の数は1.7パーセントも増えている。ただし、増えたのはパート従業員で、4.0パーセントの増加。正社員の方は0.9パーセントしか増えていない。この国ではいまや全労働者に占めるパートの比率は26パーセントを超えている。4人に1人以上の労働者が給与も待遇も格段に低いパート労働を行っており、契約や派遣を含めればその比率はさらに3人に1人に跳ね上がる。各企業の好業績が、彼ら非正社員を正社員並みに酷使することでかろうじて維持されているのは明白な事実なのである。
マックのある店長が月当たり最長137時間もの残業を行い、ついにお札を数える指が動かなくなり、軽い脳梗塞と診断されるに至ったにもかかわらず、店長=管理職との会社規定によって一銭の残業代も受け取れなかったために裁判を起こしたという話は、いまの日本社会での個人と企業との関係を象徴的に表している。マックはこうした「名ばかり管理職」を多用し、仮に全国1700人の店長が、先の店長と同様の残業をしていたとすると年に数十億円の払うべき残業代を支払っていなかったことになる。
東京地裁は原告である店長の訴えを認め、マックに過去2年間分の残業代など750万円の支払いを命じたが、僕たちはあの店の100エン円コーヒーや100円バーガーがそうした悪質な違法行為によって成り立っていることをもっと自覚しなくてはならない。マックが支払わなかった残業代を百円バーガーに換算すれば実に75000個分にあたるのだ。
企業が大規模な人員整理によって多数の従業員をクビにして社会に放り捨てる。すると証券市場は大リストラを歓迎して、その企業の株価を持ち上げる。企業は業績を回復させ、株主配当は増え、株価の上昇で株主たちの財産はふくらむ。一方、解雇された社員たちは短期間、失業保険を受け取ったのちは生活水準の大幅な切り下げを余儀なくされる。そうやって富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなっていく。株主と従業員、この立場の違いによって生まれる格差がこれほど明瞭で不可逆的になってくると、社会の二分化、階層化は避けられなくなっていく。
ある日系アメリカ人の実業家はベストセラーとなった自著の中で「金持ちになる秘訣はたった一つだ」と力説している。お金を生み出す資産、つまり株や債権、転売目的の土地や建物を若い頃からとにかく買い漁り、一方で、何でもいいから会社を設立して可能な限り税金を払わないようにするーそれしかないのだと。金儲けだけを考えるならば彼の言っていることは確かに正しい。だが、僕はこの本を読みながら同時に堤義明という人物の顔をずっと思い浮かべていたのだった。西武グループの総帥だった堤氏こそはそうした金儲け術を生涯かけて実践しつづけた模範生に違いない。しかし、そんな堤氏に対してこの国の人々はどれほどの敬意を払ってきただろうか? また堤氏の晩年がああまで寂寞たるものとなってしまったのは一体なぜなのか?我々の生活に不可欠な種々の製品を作り出す会社よりも、使い勝手のいい検索エンジン一つ発案したにすぎぬ会社の方が何倍も利潤を挙げているという現実はやはり間違っている。
小説という媒体で、このような事を書いている、小説家もいるのだなあと感心しながら読んだ。格差と貧困問題を「ドキュメンタリー」や「ルポ」でない形での表現も大事な表現媒体である。

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