2012年12月7日金曜日

町づくろいの思想


 森まゆみ著「町づくろいの思想」(みすず書房)の中に「普天間基地と宜野湾市長選」についての随想がある。少々長いが全文を紹介する。

町の真ん中に大きな基地がある
普天間基地と宜野湾市長選
すごく大事な市長選だった。沖縄の、そして日本の将来を占うような。
2012211日、48歳の自民・公明推薦、佐喜真淳さんに、社共と社大党推薦、60歳の元市長伊波洋一さんが900票差で負けた。これで沖縄で革新市長は名護市と沖縄市の二つだけになった。本土の人間にはその位置も知られていないが、行ってみると宜野湾市は那覇の北の隣町、西海岸にはリゾートホテルが並ぶけれど、市の中央には世界で一番危険と言われる普天間飛行場がどでんと居すわっている。
わたしは日本人すべてが福島原発事故のことと同じように、普天間基地について考える必要があると感じている。
普天間ができたのは戦後、旧日本軍の飛行場を沖縄を占領した米軍が使い出したからだ。そのころは確かにまわりは砂糖きび畑、しかし県庁所在地那覇に近いこともあって、飛行場のまわりは人家が密集していった。そこで米軍はどんな演習をしているのだろうか。昨年11月に取材でいったとき付近の住民に聞いた。 
「空の自動車教習所なんです。新米の、いってみれば若葉マークのパイロットが片翼の電気を消したり、誘導灯を消したり、わざと危険な条件を課して訓練している。危なくてたまりません」「滑走路にタッチアンドゴーで6分おきに離着陸をくり返す。人家すれすれに飛んでいきます。パイロットの顔が見えるくらい」「飛行機よりヘリコプターのパタパタいう音の方が気になりますね。音がすると孫はしがみついてきます」「70ホンを越える地区の家には防音サッシを取り付けてくれるんですが、うちは基地ができたあとに買ったので、承知して住んだのだろうとつけてもらえません」。古くはベトナム、最近ではアフガニスタンやイラクを空爆するパイロットがここで練習して飛び立った。
沖縄は固有の文化を持つ島である。かつては琉球王朝があって近世になると薩摩藩の支配を受け、近代になっても人頭税を払わされた。廃止になったのは明治30年代。そして第2次世界大戦では唯一、地上戦が行われ、住民は多く犠牲となった。中には軍に自決を命令された住民もあった。戦後も沖縄は長く占領が続き、 1972年の復帰後も島の50パーセント以上をアメリカ軍基地が占有している。
戦後、米兵による盗み、強姦、交通事故は後を経たず、これも日米地位協定で米軍関係者が裁かれないままに終わることが多かった。1995年、米兵による小学生の少女暴行事件のさい、沖縄県民は10万人の集会をして怒りを表明した。最近防衛大臣となった人がこの事件を「詳しくは知らない」といってまた怒りを買ったが、本当に無惨な悔しい事件である。そしてSACO (沖縄に関する特別行動委員会)合意が結ばれ、普天間基地は返還する、その代わり代替地を探すということになった。その移転予定地は名護市の東海岸べり、辺野古。しかし本土の人間は辺野古がどこにあり、どんな美しい海かも知らないだろう。
沖縄県民が「いつまでも沖縄だけに基地を押しつけるな」というのは当然である。しかし「中国の脅威」論に負けて日米安保が必要と考える人々も、自分の町に米軍基地が来るのは反対なのである。県外移設はそうした人々の手で阻まれてきた。2004年には沖縄国際大学にヘリが墜落する事故が起きた。そのときも米軍はあっというまに周囲を囲い、中に日本人を入れなかった。「まだ占領は終わっていない」のである。
自民党から民主党への政権交替が起こり、鳩山由紀夫首相は県外移設を首相としてははじめて表明。しかし官僚の根回しや成算もないままの発言だったため、結局、撤回しなくてはならなくなった。いま米軍は再編のため8000人の海兵隊を日本から引き上げるといいだしている。しかし普天間は手放さない、返すのなら他に基地をつくれ、ともめる渦中での市長選であった。
11月に宜野湾を訪れた私は1月、市長選を観戦することになった。東京の新聞などを見ると、沖縄県民はみな本土の無関心に怒っている、基地即時返還を願っている、かのような報道をしている。しかし今回取材にいって、私が町で聞いた声はやや違ったトーンだった。
「ゲートボールの仲間では政治の話はしない。でもだいたい半々で激戦になると思う」
「いつものことだから騒音にもなれた。ずっと基地の建設関係で働いてきたし」
「基地は反対よ。でもいままで出会ったアメリカ人はみんないい人だった」
65年で沖縄国際大の一度しかヘリは落ちていない。あれは事故でなく不時着」
94000人の住民のうち、基地ではたらく人は300人、軍用地主は3000人、そのほか基地で潤うタクシーや飲食店、米軍放出の家具屋もならぶ。
 最初は一坪コーラ一本の地代だったが、日本政府がつり上げて何倍にもしてしまった。年に一千万以上の地代を得る地主が1パーセントいる。基地に生活を依存している人、思いやり予算に依存している自治体がある。原発と同じ構図である。
「すぐ基地が戻ってこないとすれば、日米交流の町づくりに補助金を出させたい」という人もいた。日米軍事同盟をやめさせるという伊波候補は基地即時返還を訴えたが、相手方候補も基地反対を訴え出した。琉球新報や沖縄タイムスが伊波よりなので事務所にはジャーナリストを入れず、街頭演説もあまりやらないという。候補者の顔入カードをばらまいて「入れてね」と頼む。
「両陣営とも基地反対を言わなければ当選できないよ。挨拶のようなものよ」「沖縄人は義理堅いから、親族に頼まれればざーとそっちへ流れる」
そのうえ根拠のないネガティブキャンペーンが行われた。
「いったん市長をやめて知事選に出た人がまた市長とは虫が良い」
「伊波は市長としてはなんの実績もない。ここは若くて元気な市長に」
伊波陣営では「これは勝てる選挙ですし、勝たねばならぬ選挙です」と聞いたが、なかなか危ないぞと感じた。
これにたいして伊波陣営も中学校までの医療費無料化、病院の充実など福祉政策を訴え、相手候補と張り合うかのように「基地跡地には緑豊かな住宅を」「基地返還で2万人雇用が可能」といった振興策を打ち出した。
しかしこうした外部費金をあてにした活性化、振興、発展のプランは本当に沖縄に必要なのだろうか-?もう沖縄はこれ以上開発する必要があるのだろうか?
「基地があるから見返りに沖縄だけ交付金をもらうったって、それは国民みんなの税金。もらうばかりでは国がつぶれてしまう」とまっとうな意見をいう人もいた。私見では伊波陣首は「金もいりません。基地を返してください。青い空の下、青い海を眺め、わたしたちは静かで楽しい町を目指します」といった方がずっとかっこよかったと思う。とくに沖縄の自然や文化に憧れて住んでいる若者には、そういうライフスタイルの提案のほうが魅力的だ。
利益誘導型の補助金行政は本土ではとうに終わっているのに、沖縄ではいまもなお、米軍を置く見返りに、立派だがセンスのない、自然破壊のコンクリ公共建造物があちこちに建っている。もう見ていて痛々しいくらいだ。世界遺産にしようとするならむしろ赤瓦の家や、やんばるの森を守らなくては。
「沖縄県民はみんな基地問題で怒っている」というかのような本土のマスメディアが伝えるのとはまるで違う声に私は驚いた。伊波氏の演説会で会った人は元公務員とか教師とか組合運動経験者。こうした人とは違う人々が今回、選挙戦を決めた気がする。そしてこの結果を生んだのは回り回っていえば、私たち本土の無関心なのだ。
本土の無関心とは、私達の無関心と言うことである。沖縄の問題を自分たち(本土)の問題と捉えないと、近い将来、沖縄の人たちは「琉球国」を!と、日本からの独立を宣言するかもしれない。

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