2012年12月5日水曜日

帝都の事件を歩く


「帝都の事件を歩く」という本を、新築なった県立図書館で借りて読んだ。中島岳志氏と森あゆみ氏の2人が東京の歴史的事件をあった場所を歩きながら、歴史を振り返るという趣向の本であった。
 その本の“あとがき”を少し長いが紹介する。

あとがき 森まゆみ
中島岳志さんは私の息子といってもいい年頃である。
大阪育ちの郷土史好きの青年が、東京の地域雑誌『谷中・根津・千駄木』をずっと読んでくれていた。それだけでもうれしいのに、東京を案内してくれませんか、という。
たしかに近代史を研究するなら東京の土地勘があるかどうか大きな問題である。私は1954年に文京区に生まれ、日本橋育ちの伯母や浅草育ちの母、芝育ちの父から東京の昔のはなしを聞いて育った。出来るだけ役にたちたいと思ったし、楽しそうだとも思った。
というのは彼の研究テーマである戦前の右翼、保守、ナショナリストという分野は、私自身も興味がある。こうみえても政治学徒であった。しかし私が主に対象としたのはホッブス、ロック、ルソー、マルクスといった西洋政治史であって、近代日本政治史にそう強くない。
そんなこん吾なで中島さん、装丁の矢萩さん、写真家の三輪さん、編集の足立さんと五人でぶらぶら東京の街あるきをすることになった。この本について、私が担当したのは道案内、そして東京の地誌と風俗史がおもで、あとは女性史の知識をすこしばかり披露したくらいである。いっぽう中島さんからは明治以降、戦前にいたる鬱屈青年の心情と行動を教えてもらい、おおいに考えるところがあった。
なぜなら私はそう煩悶も鬱屈もしない人間だからである。大学時代の4年間は「なぜ生きているのか」と考える余裕はあったが、所帯を持って子供が生まれ、どうにか彼らを育て食べさせることに夢中であったこの30年以上、鬱屈したり、煩悶したりする余裕はなかった。おむつを洗い、米を研ぐことが先決であった。だから煩悶や鬱屈は近代の男性エリートの専売特許なのではないかと思ってしまう。たとえば縄文人は木の実をとり、魚を釣り、食べるだけで精一杯、煩悶などしなかったのではないかと思うのだ。
大学4年間考えたとき、トルストイの『人は何によって生きるのか』に逢着した。人は愛によって生きる、というのがその結論である。人はネットワークの結節点に活きており、人によって生かされている。その関係性を大事にし、人を生かさないと自分も生きないと思った。マルクスの言葉で言えば「人間とは社会的関係のアンサンブルである」ということになる。自分の子だけいい子に育つなんてことはありえない。
そこで、グラムシではないが地域という陣地ですこしでもよい関係、よい環境を作ることを目指して1984年に地域雑誌『谷根千』を創刊し、地域活動を続けて来た。それは本を書くより、大学で教えるより、議員になるより、自分にとっては大事な仕事であった。そのとき、はじめて私は東京という町に研究的に、客観的に対時した。
2011311日の東日本大震災、それに続く東京電力福島第一原子力発電所の事故、というか事件はわたしたち日本人の生存の根拠を脅かし、その後の政治の無力と混乱は目を覆うばかりである。それ以前から非正規雇用、ニート、貧困、ネットカフェ難民、名ばかり管理職などの問題が目立つようになっていた。しかしそれは個々の人間に抱え込まされ、みんなの運動となったのは年越し派遣村が最初である。
他力本願な英雄待望論も散見するが、もっと悪い方向へ向かいそうだ。鬱屈のはけ口のように、テロや暴力沙汰が起きることは望まない。スピリチユアルやカルトに逃避することも危険ではなかろうか。結局、国がどのように揺れようとも、情報を集めて解析し、自分の頭で行動し、たやすくはめげない仲間たちの輪をつくることが大事だと思う。誰でも参加でき、誰も排除されないような場所をつくれば社会は暴発しない。
加藤周一は中学生として226事件を体験している。「すべての事件は、全く偶発的にある日、突然おこり、一瞬私たちを驚かしただけで、忽ち忘れられた。井上蔵相や団琢磨や犬養首相が暗殺され、満州国が承認され、日韓議定書が押しつけられ、日本国が国際連盟を脱退し・・・・・・しかしそういうことで私たちの身の回りにはどういう変化も生じなかったから、私たちはそのことで将来身辺にどれほどの大きな変化が生じ得るかを、考えてみようともしなかった」(『羊の歌』)
いま、大飯原発の再稼働が、オスプレイの普天間基地への配備が、竹島への李明博大統領の言明が、香港の活動家の尖閣列島への上陸が,将来どのような変化をもたらすか目を凝らしていたい。そして、すくなくとも年金はじめ社会保障の世代間格差をなくし、同一労働・同一賃金を確保し、原発や基地、ダムやリニアモーターカーなど負の遺産をなくして、私はあの世に引っ越したい。やれるだけやるから。中島君、あとは頼むよ。   20128
島氏は30歳台、森氏は50歳台。この年代の人が、このような博識と行動力を持っていることに対して期待したい。

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