2013年6月26日水曜日

世間

 
「なぜ日本人は世間と寝たがるのか」(佐藤直樹著)という奇妙なタイトルに引かれて、読んでみることにした。その中で、面白いと思った一文を紹介する。
贈与・互酬の関係
「世間」の第一のルールは、「贈与・互酬の関係」であり、お中元・お歳暮に代表されるような、「お返し」のルールである。意外に思われるかもしれないが、おそらく毎年、このような贈答関係を大規模にくり広げているところは、先進工業国ではほかにはまずない。
つまり、日本人はモノのやりとりをすることによって、人間関係を円滑にするということを何百年もやってきたのだ。手近なところでは、ケータイのメールのやりとりもそうである。即レス、つまりメールがきたら速攻で返信しなければならないと思ってしまうのは、メールが、お中元・お歳暮と同じく、一種の贈答品としてとらえられ、時間をあけずに「お返し」をせまられるからだ。
しかもその場合に、お中元・お歳暮がそうであるように、内容は同じ程度のものでなければならない。短いメールにたいしては短いものでいいが、長いメールにたいしては長いものを返すという、バランスがとれたものでなければならない。これは強迫的とすらいってもいいぐらい、日本人の生活世界に浸透している。異様なくらい「お返し」に気をつかっているともいえる。
じつは愛情行為でも同じ問題がある。キリスト教的にいえば「愛」は見返りを求めない無償のもののはずだ。だが「世間」にあっては、愛は「贈与・互酬の関係」のなかに埋め込まれており、恋人同士の愛にせよ(-)の愛にせよ(-)の愛にせよ、「これだけしてやったのに」という気持ちがどこかにあるので、相互に「お返し」を求められることが多いし、それが強迫的になってしまうことすらある。
私は、この一文を読んで、「寂しさに負けた・・・いいえ、世間に負けた・・」という歌を思い出した。確か、題名は「昭和枯れすすき」だと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿