2013年6月3日月曜日

南京大虐殺

 
戦争を体験し、その反省の上に戦後歴史学をリードしてきた学者、直木孝次郎の随想「歴史を語り継ぐ」を読んだ。その中の一つを紹介する。
南京大虐殺をはじめて知った時
私が旧制高等学校に入学したのは一九三八年(昭和十三)四月のことだったが、日中の全面戦争は前年の七月に始まっており、その年十二月には陸軍は南京に入城して、悪名高い南京大虐殺事件を惹き起こした。このことは当時、日本では秘密にされており、ほとんどの日本人は戦後、戦争犯罪を裁く市ヶ谷の国際法廷の審議などではじめて知ることになるが、事件が起って数カ月後、そのことを知っていた友人が、私の身近にいたのである。
私が入学した旧制一高には、特設高等科という名称の、主として中国からの留学生を教育する部門が設けられていた。一高は全寮制なので、留学生も分散して私たちと一緒の部屋にはいっていたが、私はたまたま同室となった「満洲国」からの留学生C君と親しくなった。C君は母上が日本人で、C君も日本語が自由であった。
南京事件の起った翌年、つまり私の入学した年の秋であったと思うが、C君と二人で雑談していると、C君がふと、「日本はシナで相当ひどいことをやっているようだな」と言った。当時軍隊を信用していた私は、「そんなことはあるまい」と応じたら、C君はポケットから一枚の新聞の切抜きを取り出して、「こんな写真がある」と私に見せた。フランス語の新聞であったと思うが、大きな壕のなかにたくさんの中国人の市民が折り重なって倒れている写真である。ショックを受けたが、まだ日本軍を信じていた幼稚な私は、「それはトリック写真だろう」と言った。C君はだまって新聞をポケットにしまいこんだ。おそらく私を軽蔑しながら。
私は南京事件の真相を知る機会をみすみす逃してしまった。しかし知らないのは一高では日本人生徒だけで、特設高等科の生徒のあいだでは、いや東京の中国系留学生のあいだでは、南京大虐殺事件は周知のことであったのだろう。日本人だけが知らなかったのである。
いま一部の人の騒いでいる「従軍慰安婦はいなかった」という問題も同じである。国内では勝手なことをいえるが、国際社会で論じたらだれも相手にしてはれれないだろう。日本人の破廉恥と無責任さを世界にひろめるだけである。
維新の会の橋下氏の発言はまさに、破廉恥と無責任を世界にひろめたのである。

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