2014年11月7日金曜日

じゅうぶん豊かで、まずしい社会


日経で「じゅうぶん豊かで、まずしい社会」というタイトル本が紹介されている。著者はケインズ研究で知られる英国のスキデルスキー親子である。紹介者は東京大学教授の福田慎一氏である。概略紹介する。
本書は、ケインズの研究で知られる著者たちが、資本主義における金銭的食欲に警鐘を鳴らし、よい暮らし、よい人生を実現するには何が必要なのかを探求したものである。議論の出発点が、ケインズが1930年に発表した「孫の世代の経済的可能性」で描いた世界にある。あまり知られていないこの小論文でケインズは、持続的な技術の進歩によって金銭的な必要性に煩われない社会がやがて生まれると予測した。
しかし、ケインズの成長予測が的確であった一方で、今日、多くの人々はなお当時と同じくらいがむしゃらに働いている。著者たちはこれを悪弊と呼び、ケインズが予測した理想、社会がなぜ実現しないのかを説く。
今日の資本主義が結果的に所得の不平等を生み出すと指摘している点で、本書はトマ・ピケティ氏の『21世紀の資本論』と共通点がある。ただ、同書が膨大なデータに基づいて富が集中している世界の現状を客観的に描くのとは対照的に、本書は人々の飽くなき「金銭的貪欲」が格差拡大を生み出すことを、先哲の言葉を引用しながら観念的に訴えていく。
著者たちにとってみれば、本来は「満ち足りた世界」であるはずの先進国で「金銭的貪欲」が追求されることは、社会的な弱者だけでなく、金融街で桁外れの高額報酬を得ている人々にとっても不幸ということになる。現代社会には、お金には換えられない健康、安定、尊敬、人格、自然との調和、友情、余暇という7つの基本価値がある。この基本価値を持つことこそが、豊かな社会でのよい暮らしにつながるといつのが、著者たちの信念といえる。
ケインズが指摘したように、経済が発展途上の段階では、「人々の金もうけへの本能や金銭欲への絶え間ない刺激」が資本主義を支える。貧しい国にとって、物質的な成長は豊かさの実現につながり、それに寄与する資本主義の役割は重要となる。ただ、経済が十分に豊かになれば、成長への動機は社会的に容認されなくなり、資本主義は富の創造という任務を終える。そこでは、無限の欲望を満足させるために希少な資源を使うことは「目的のない合目的行動」にすぎない。 
本書で展開されるこれらの議論は、自由放任を信奉する市場原理主義とは相いれないかもしれない。評者も違和感がなかったわけではない。ただ、21世紀の資本主義のあり方が大きく問われている今日、本書が議論のあり方に大きな一石を投じたことだけは間違いない。
トマ・ピケティー氏の「21世紀の資本論」といい、本書といい、今発売される理由は、今ほど資本主義による貧しさが顕著になっている時代はないということからきていると考える。

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