2012年8月31日金曜日

<そうだ>or<そうではない>

 毎日新聞の「引用句辞典」(鹿島茂)は面白い。今回、政治家「橋下徹」を論じている。本文はアナトール・フランスの「エピクロスの園」の中の一説を引用して述べているのだが、今回はそんなことは省く。

 
 長い間、日本の大衆にとって、政治は「どうでもいいこと」のひとつであった。選挙に行こうが行くまいが、自民党に投票しょうが社会党に投票しょうが、結果はいつも同じ自民単独政権。変化は目だったかたちでは現れず、だったら、選挙なんか行くだけ無駄ということになったのである。
変化が現れたのは、衆議院が小選挙区制に変わり、小泉政権が誕生してからである。
小泉純一郎元首相は、白か黒かのオセロ・ゲームとなる小選挙区制を最大限に利用する術を心得た日本では珍しいタイプの政治家であった。
というのも、問題設定を「<そうだ>、あるいは<そうではない>」という二者択一に落としこむことを得意とし、「いかにしてとか、どんな具合にとか」いう問いの設定は意図的に回避したからである。
この「<そうだ>、あるいは<そうではない>」というかたちの問題設定が、自民党か民主党かという小選挙区にぴったりとフィットしたのだ。マスコミを巧みに誘導して、テレビに年中顔を出し、わかりやすい敵(派閥とか抵抗勢力)をつくり、その敵に合わせて自分のイメージをその都度、自在につくりあげた。
しかし、なによりも大衆をひきつけたのは、なんだかわからないが、やたらに「確信を持って」いることと、歯切れのよい「断言」を連発したことだろう。
ここにおいて、大衆はようやく「わかりやすい政治家」「結果を出そうとする政治家」を見いだして喝采を送ったのである。その結果が自分たちの利益に反するものであることなどまったく意識に入れずに。
さて、民主党政権も三年となり、今秋か、さもなければ来年早々にも総選挙ということになりそうな気配であり、橋下新党、小沢新党を含めて、それぞれの政党や党派が選挙態勢に入りつつあるが、「大衆を味方」にひきつけるという点においては、橋下徹大阪市長はやはり一頭地を抜いている。「大衆は断言を求めるので、証拠は求めない」ものだからである。
  
橋下新党はかなり躍進するかもしれない。なにしろ橋下は「大衆は断言を求めるので、証拠を求めない」ということを一番よく知っているから。新党をつくるには、かなりの部分を、民主、自民の新人の中で、次回の選挙で落選必死の人物の中から引っ張ってくるであろう。どちらにせよ、歯切れのよい言葉を連呼する人間は要注意人物である。

2012年8月27日月曜日

非公式権力


日本を追い込む5つの罠という本の紹介を以前したが、その中の3番目の罠の一部を紹介しよう。脱原子力に抵抗する「非公式権力」の中の一節である。 

原子力発電の分野での既得権者たちは、「原子力村」というどこかロマンチックな響きのあるあだ名で呼ばれる。彼らがどんな結びつきか、どのように行動するか、相互にどのようにかかわり合っているかは傍目にもはっきりと理解できる。それは確固たる機構といった様相を呈しているのである。
これまで数十年にわたり、原子力行政をつかさどる経済産業省内の資源エネルギー庁の幹部は、役所を引退すれば東京電力の副社長というポストを当てにすることができた。東京電力関連企業は100社を超える。さらに原子力発電の安全にかかわる公的機関、あるいは半官半民機関もある。この産業を監督する高官の多くは、天下りでこうした機関にポストを得る。
東京電力の社員に関して述べるならば、その労働組合は、日本の労働組合の全国中央組織・連合こと日本労働組合総連合会のメンバーである。連合は民主党に相当額の政治資金を寄付しており、そのトップの地位にある人々はときに民主党内閣の諮問機関のような役割を果たすこともある。他の電力会社の組合も原子力発電についてのプロパガンダを行うが、それは彼ら面々のポストがかかっているからだ。
しかしこうした状況のすべてが民主党政権にとっては、原子力エネルギー産業の影響力を削ぐような政策を打ち出そうにも、その妨げとなっている。
産業団体ももちろん既得権側に立つ。原子力村は経済団体連合会に多くの役員を送り込んでおり、金融・製造業界の大手企業もまた、原子力エネルギーが日本の将来の主要な電源であり続けるものと見込んできた。
原子力行政に追従するトップクラスの大学に勤務する教授や研究者たちは、原子力村に「科学」を持ち込むが、それは学者たちにとっては資金提供を確実にする方法のひとつである。また原子力関連企業や機関に、アドバイザーといった居心地のいいポジションを得ることも期待できる。
東京大学の教授たちは、東京電力の主張の熱心な支持者として悪名高いが、それは主流派メディアも同じである。記者や編集者たちが直接、あるいは記者クラブを通じて自分たちが報道する対象と密接な関係を築くという、望ましからぬ伝統はいまなお続いている。
かくして電力10社は競争相手もなければ、宣伝活動も必要ないままに、市場を地域割りで独占できるのである。ただしこの業界は日本では最大の広告主のひとつでもある。
私達は、この「非公式権力」を弱めるために、代替エネルギー、特に「太陽エネルギー」の利用に、本気で取り組む必要があると考える。
 

2012年8月22日水曜日

100分de名著

NHK教育テレビで4月から放送されている「100分de名著」が面白い。1回25分、計4回で100分になるというわけだ。名著の研究家がその本を解説している。8月はフランクルの「夜と霧」である。明治大学の諸富氏ははじめにのところで以下のように紹介している。
「生きる意味」を求めて
今、大きな悩みや苦しみを抱えている人がたくさんおられます。心理カウンセラーである私は日々そのような方に接していますが、その苦しみはますます切実さを増してきているように思われます。
うつ病の患者さんは今や百万人超といわれています。とりわけ深刻なのは、自殺者の増加です。国の調べによると、すでに十年以上前から三万人を超えています。
一般に、自殺者の背後には未遂の方が十倍から二十倍いるといわれますので、じつに三十万人から六十万人の方々が、毎年死の淵に立っていることになります。
そこまでいかなくても、何かの拍子にふと「死にたい」という気持ちに襲われたことがある方は、その十倍、すなわち三百万人くらいいるのではないでしょうか。
この背景には、現代社会におけるさまざまな問題が横たわっていますが、自分の人生に「生きる意味」を感じながら生きていくことが難しい時代になってきていることは、間違いありません。そんな状況ですから、今回、「生きる意味」を求めて悩み苦しむ人を援助し続けてきた精神科医ヴイクトール・E・フランクルの『夜と霧』を「100分de名著」で取り上げることになったのは、たいへん意味のあることだと思っています。
『夜と霧』は、第二次世界大戦の際、ナチスの強制収容所に収容されたフランクルが、みずから味わった過酷な経験をつづった本です。
みなさんもご存じのように、ナチスのユダヤ人迫害は非道をきわめました。ゆえに、この本も、目を覆いたくなるような陰惨なドキュメンタリーになってもおかしくありませんでした。しかし、そうはならず、むしろ、世界中の人々の感動を呼び、時代を超えて読み継がれる超ロングセラーになったのです。
なぜでしょうか?それは、この本が、そこで行われ続けた陰惨な事実にもかかわらず、それでもなお見出すことのできた人間精神の崇高さに着目して描かれたものであるからだと思います。
『夜と霧』の著者である精神科医というと、いつもうつむき加減にもの思いにふけっている深遠な思想家を思い浮かべる方が少なくないかもしれません。フランクルは、そうした深遠さを持ちながらも、情熱的で、行動的で、バイタリティにあふれた人でした。 
過酷な経験をくぐりぬけたフランクルは、戦後、堰を切ったように精力的に著作の執筆や講演活動などを展開します。その活動は、まさに生命力にあふれたものでした。
フランクルの思想のエッセンスは次のようなスーレートなメッセージにあります。
どんな時も、人生には意味がある。
あなたを待っている“誰か”がいて、あなたを待っている“何か”がある。
そしてその“何か”や“誰か”ためにあなたにもできることがある。
このストレートな強いメッセージが多くの人の魂をふるわせ、鼓舞し続けてきたのです。フランクルが『夜と霧』を書いた頃のヨーロッパと今の日本とでは、考え方が異なるところも少なくないでしょう。時代もずいぶん変わりました。私たちは今、強制収容所のような特殊な環境にいるわけでもありません。
しかし『夜と霧』は、そうした時代の違いを超えて私たちの心に響く真理に満ちています。否、私たちが生きているこの時代は、収容所とはもちろん違った形ではあるけれども、生きる意味と希望を見出すのが困難になっているという意味では、現代を生きる私たちも「見えない収容所」の中にとらえられて生きている、と言っていいような面がないわけでもありません。フランクルの言葉の中に、一つでも、生きる意味と希望を求めていく手がかりを見つけてくだされば幸いです。
今程、「生きる意味」を問われる時はないであろう。3.11の大震災、原発事故後はなおさらである。ぜひ、テキストを購入して読んでみて欲しい。そして原著「夜と霧」を読んで欲しい。

2012年8月20日月曜日

青銅の海

 私は、新聞の連載小説はほとんど欠かさず読む。余ほど相性の悪い作家でない限りは。1年連載されると大体が、単行本として出版される。1500円位するとそれだけ得したことになる。今、赤旗に連載されている。稲沢潤子氏の「青銅の海」は佐世保で民商の事務局で働く女性の話である。彼女の文章は、読みやすく、勉強になる。
 以下、「消費税」のことを述べている章である。

商の会員は、業者であることが条件だから、廃業すれば会員の資格はなくなる。退会せざるを得ないのだ。会員が7千人のピークに達したのは、消費税率が三%から五%に上がった年の二年後である。
自殺者が三万人を超え、交通事故死より自殺する人の数が多くなったと報じられたのもこのときである。
消費税のアップと時を同じくして、大企業の税率が引き下げられた。
大企業の税金を安くしてその足腰を強くし、雇用を回復して景気を上げるためだと説明されたが、強くなったのは企業だけで、それらの企業はこの国の雇用を拡大するどころか、より安い労賃と資材を求めて外国に流出していったから、雇用も景気も上がらなかった。
消費税は公平な税制だと政府与党はいうが、そんなことを信じている業者は誰もいない。ただ、彼らがおおやけにすることを避けながら意図していたように、安定した税収であることだけはたしかである。
大企業が納める税金は、業績が上がらなければ税収は下がるが、人は生きているかぎり食わねばならず、着なければならず、住まなければならないから、それらいっさいのものにかかる消費税は頼れる収入源なのだ。
消費税が増税になれば、消費者は不満をもちながらも買い控えをし、なんとか暮らしていこうとするだろう。一袋百二十円で買ったにんじんを使いきらずに腐らせてしまったことはなかったか。
安いからと思って買った玉ねぎから芽が出てしまったことはなかったか。
たまにはぜいたくをしたいと、しゃれた服を衝動買いしたことはなかったか。
そんなふうに、生活を切りつめて暮らしていこうとするだろう。だが、零細事業者にとっては、節約して生きていくどころではなく、死活の問題になった。財布のひもが固くなった消費者に、どのように対応すれば自分の店から物を買ってもらえるか。
そのうえ税務署からの攻勢もすさまじかった。法人税を引き下げたぶんだけ消費税の増収でおぎなおうと、税金とりたてに的をしぼってきたからである。
まず最初に標的にされたのが、すし屋とそば屋である。消費者から受けとった消費税を、税務署に納めずにふところに入れているのではないか。売り上げをごまかしているのではないか。標的にされたのは、高圧的に出ればうろたえてしまう小さな企業や個人事業主である。
資本主義社会での売り買いは、適正価格で取引されるわけではない。売り手と買い手の力関係で決まっていく。

沢潤子氏の文章力は一級品であると思う。優しく、解り易く、勉強になるのだ。これを読むだけでも「赤旗」をとる価値はある。

2012年8月17日金曜日

日本を追い込む5つの罠


 カレル・ヴァン・ウォルフレン(オランダのジャーナリスト)の「日本を追い込む5つの罠」を読んだ。彼の本ではベストセラーとなった「日本/権力構造の謎」「人間を幸福にしない日本というシステム」は以前に読んでいて面白かった。5つの罠の一つ「TPP」の章で、なるほどと思うところを紹介する。

TPP、この「政治的」なるもの
当初、経済関係のいっそうの緊密化をめざして、シンガポール、ブルネイ、ニュージーランドやチリといった国々がTPPを結成したとき、この構想に弊害があるようには見えなかった。ところが関税撤廃という立派な目的を掲げたこの協定は、またたく間に当初想定されていたものとは異なるものへと変わってしまった。
ちなみに結成国がTPPについて話し合いをはじめた当時、アメリカには「アジア太平洋自由貿易圏」という独自の構想があった。つまりアメリカ政府は出来合いのTPPを採用し、みずからの目的を達成するためにこれを利用すればよかったのである。
次にアメリカはオーストラリア、ペルー、ベトナムやマレーシアをTPPに引き入れた。さらにアメリカ議会は韓国、コロンビア、パナマとの自由貿易協定を承認した。こうしてTPPはアメリカ企業がアジア太平洋地域を牛耳るという、アメリカ政府の夢を実現するためには欠くことのできないものとなった。
関税の引き下げや、完全撤廃の可能性、またいわゆる非関税障壁や、市場に部分的に残っている保護主義的な措置などがなくなる見通しは,たしかに魅力的であるに違いない。
だからこそ少なからぬ日本企業がTPPにメリットがあると感じるのだろう。しかもTPPは21世紀の主要な貿易の枠組みとしてさかんに宣伝されたことから、日本も韓国のようにこうした協定に参加しないと世界の歴史の流れから落伍することになるのではないか、と不安をかき立てられるのだろう。
しかしTPPの参加実現を推進しようとする日本の人々がいまなおこのように考えているとすれば危険である。彼らは警戒すべきである。
なぜならTPPの内実は言われていることとは違うからだ!市場が改善され、効率がよくなるという触れ込みではあるが、アメリカの交渉担当者たちが注視してきたのは労働法や環境法、知的財産法であった。市場改革が目的なら、こうしたことが優先課題になるはずはない。つまりTPPというのはビジネスや経済の現実とは無関係の、きわめて政治的なプログラムなのである。
アメリカ政府は帝国主義的な目的の実現をめざしている。当然TPPに参加した国々が対等な立場で会談するなどということは想定されてはいない。なぜなら多国間協定の場合、そこには支配的な地位を占める国が存在し、大抵、その国が利益の大半を奪ってしまうからである。
さらにこのような枠組みのなかでは、もっとも力ある国が国内事情を理由に、たとえばTPP協定によって生じた状況につけ入るなどして、参加国すべてが同意したとり決めに違反することさえある。
ここで指摘しておきたいのはTPPに関するあらゆる会議の場で行われている話し合いは、そもそも経済協定とはまったく関係がない、という点だ。つまりTPPとは政治協定に他ならないのである!
日本の政治家はこのような内容を本当に知らないのか、または知っていても言う事ができないシステムに組み込まれているのであろうか?

2012年8月13日月曜日

沖縄と方言

 岩波ジュニア選書19「戦争と沖縄」池宮城秀意著は1980年初版、2010年で56刷となっている息の長い本である。それを読むと私達の知らない沖縄が見えてくる。その一部を紹介する。
 沖縄と方言
 石川啄木の「ふるさとのなまりなつかし停車場の人ごみのなかにそを聞きに行く」という歌がありますが、郷里をはなれて暮らす人にとって、自分の郷里の方言ほど心の安らぐものはありません。教科書などから学んだ共通語とちがって、方言には父母や郷里の山や川などのすべてを包みこんだような暖かさを、地方の人は無意識に抱いているものです。極端ないい方をすれば、どんなに郷里がいやで郷里をとびだした人でも、その方言には愛着をもっているものです。
ところが沖縄の方言は、沖縄の人びとにとって、明治以後決してそのようなものではありませんでした。沖縄の人びとにとって、沖縄の方言は、なるべく早く克服しなければならないじゃまなものにされました。
沖縄は日本本土とは海をへだてていたために、もともと同一であった言葉が、両方でそれぞれ別個に発達してしまい、いつしか日本の言葉とはまったくちがう言葉のようになっていました。そのうえ十七世紀以後二六〇年間も沖縄を支配した薩摩藩は、沖縄が日本化することをきびしく禁じました。そのために沖縄は、言葉だけでなく独特な文化と習慣がそのまま明治時代までつづくことになりました。
ところが明治時代に沖縄県として日本の一部になりましたので、日本本土から派遣された県知事や県の役人たちは、沖縄の言葉が日本語の一地方語であり、方言であるというよりも、外国語のような錯覚を抱いてしまいました。また沖縄の文化や習慣にたいしても同様でした。
そこで彼らは、なるべく早く沖縄の人を「日本人」にするために、共通語を奨励し、沖縄の文化を否定して、習慣などもあらためさせることにしました。そして沖縄の人びとも、大和口(共通語のことを沖範の人はそうよんだ)を話せなければ不都合だと思い、積極的に受け入れました。そしていつのまにか双方とも、沖縄の方言や文化が未開の低俗なもののような錯覚さえ抱くようになりました。学校では「方言札」をつくり、方言で話した生徒に罰としてその「方言札」を首にかけさせました。
私の知人の沖縄の人も、学校で方言としゃべると立たされたと言っていた。なんともやるせない教育である。

2012年8月10日金曜日

七人の侍

また、また野呂邦暢の本から気になる随筆を紹介しよう。私くらいの年配なら、「七人の侍」を観ていない人は少ないであろう。私も2回程観た記憶がある。野呂の感性が羨ましい。
TVで「七人の侍」を見た。これで何回見たことになるだろうか。少なくとも五回以上は見たような気がする。そのつど発見がある。
初めて見たのはこれを原案にアメリカで製作された「荒野の七人」が封切られた年である。それは昭和三十六年のことだから私は「七人の侍」がわが国で最初に公開されたときには見ていない。ただの時代劇と思って高校生であった私は見ない事にしたのだ。貧乏たらしくて惨めで汚くて、というのが当時、邦画に持っていた私の印象であった。

現実の生活が貧しいので映画の世界まで貧しいものを見るのは沢山と思っていた。それでも同胞が創造したいくつかの傑作は見ている。「雨月物語」には文句なしに感動した。「無法松の一生」も良かった。阪東妻三郎が演じた方である。しかし「七人の侍」は見なかった。長崎で私はまず「荒野の七人」を見てがっかりした。血なまぐさい西部劇にすぎない。禿頭のヒーローがむやみに気取っているだけの映画である。
そのもとになった作品というのだから、どうせ下らないに決っていると思いながら、駅前ビルの地下にある小さな映画館で切符を買った。輸出用にプリントされたフィルムで、画面の下に英文で俳優の台詞が出た。野武士のことをbanditと訳してあったのが印象に残っている。 
感心したというだけでは足りない。むしろ茫然自失したといわなければそのときの私を正確に表現したことにはならない。明るくなった劇場の椅子に私は腰を抜かしでもしたように座りこんでいた。映画を見てこれほど強く心をゆさぶられるということは滅多にないことである。


「なんとまあ・・・・」というのが感想だった。これでは批評になりはしないが、批評しょうとはついぞ思いもしなかった。「なんとまあ見事な・・・」そういって絶句するよりなかった。すぐれた芸術作品は沈黙を強いる。
三船敏郎の剽悍、志村喬の朴訥、宮口精二の沈着、稲葉義男の剛毅などという印象は二回三回とややゆとりをもって見るうちに言葉にすることが出来た。個々の侍が躍如としている所が「七人の侍」の傑作たるゆえんであろう。黒澤明は日本人の理想像をこれらの侍たちに見出していたのではないだろうか。木村功の初初しさに歳月の経過を感じる。加東大介と左卜全は既に故人となった。稲葉義男はその最良の演技を「七人の侍」で示したような気がする。
それにしても五百年前の日本人は侍も百姓もこの上なく貧しかった。あれが人間の住居、あれが人間の衣服といえるだろうか。現実が極端に貧しいのでそれだけに侍たちの個性が光る。掘立小屋の中で千秋実がポロ布を縫いながら呟く台詞がいい。旗印をこしらえているのである。「こんなときには我らの頭上に何か高くひるがえす物が欲しいのでな」。不覚にも私はこれを聞いた瞬間、泪ぐみそうになった。私は頭上に何を高くひるがえしているだろうか。

 現在を生きる我々にとって、頭上に高くひるがえす物とはなにか。「私は、こういう考えで行動し、こう生きているんだという意志表示」だと考える。これは自分の意思から生成してくるものである。

2012年8月7日火曜日

想像力

8月6日、広島の「平和記念式典」でこども代表として「平和への誓い」を読み上げた2人の小学6年生の文章を紹介する。(以下、赤旗より)

6日、広島市の平和記念式典で、こども代表として広島市立比治山小学校6年の三保竜己(りゅうき)君、同市立安北小学校6年の遠藤真優(まゆ)さんが「平和への誓い」を読み、出席者に感動を与えました。全文を紹介します。
67年前、一発の原子爆弾によって、広島の街は、爆風がかけめぐり、火の海となりました。たくさんの人の尊い命が、一瞬のうちに奪われました。建物の下敷きになった人、大やけどを負った人、家族を探し叫び続けた人。身も心も深く傷つけられ、今もその被害に苦しむ人がたくさんいます。
あの日のことを、何十年もの間、誰にも、家族にも話さなかった祖父。ずっとずっと苦しんでいた。でも、一生懸命話してくれた。戦争によって奪われた一つ一つの命の重み。残された人たちの生きようとする強い気持.ち。伝えておきたいという思いが、心に強く響きました。
故郷を離れ、広島の小学校に通うことになったわたしたちの仲間。はじめは、震災のことや福島から来たことを話せなかった。家族が一緒に生活できないこと、突然、友だちと離ればなれになり、今も会えないこと。でも、勇気を出して話してくれました。「わかってくれて、ありがとう。広島に来てよかった。」その言葉がうれしかった。
つらい出来事を、同じように体験することはできないけれど、わたしたちは、想像することによって、共感することができます。悲しい過去を変えることはできないけれど、わたしたちは、未来をつくるための夢と希望をもつことができます。
平和はわたしたちでつくるものです。身近なところに、できることがあります。違いを認め合い、相手の立場になって考えることも平和です。思いを伝え合い、力を合わせ支え合うことも平和です。わたしたちは、平和をつくり続けます。仲間とともに、行動していくことを誓います。
「つらい出来事を、同じように体験することはできないけれど、わたしたちは想像することによって、共感することができます」という言葉は、あらゆることにあてはまる。沖縄問題、いじめ問題等々。想像力の欠如はいろんな悲劇を生む。

2012年8月4日土曜日

ドキュメンタリーの力

寺子屋新書「ドキュメンタリーの力」(鎌中ひとみ・金聖雄・海南友子)をひょんなことから購入。第1刷が2005年、第2刷が2006年となっている。第3刷がないところをみると、あまり売れなかった本である。読んでみると中々面白い本であった。一部紹介する。
もう一つのメディアの可能性
テレビにはイラク戦争の映像があふれていた。毎日、何十回もブッシュやブレアや小泉が出てきて、この戦争の正当性を得々と語っている。欺瞞に充ち満ちているメディアは腐ってきている、と私はみていた。武力による紛争解決を永久に放棄する憲法をもつ国が、真っ先に国連で手を上げてアメリカの武力攻撃を支持することの重大性を棚上げにして、結局は大量破壊兵器、あるかどうかもわからない、証拠もないそんなものを戦争の大義にしていたのだから。
自分たちは知るべきことを知らされていない、と多くの人々がこの時期、テレビを観て感じ始めたと思う。実際、「ヒバクシャー世界の終わりに」を観た多くの人々が「なぜ、こんな大事なことを知らされてこなかったのか」「テレビとはまったく違う情報に衝撃を受けた」「他の人々にも知らせたい」と、感想を寄せてくれた。
すべての映像には作為がある、当然、私がつくっているものにもそれはある。それらを批判的に読み解くために、「メディア・リテラシー」が必要なのだ。メディア・リテラシーは単なる技術ではない。私が参加していたニューヨークのメディア・アクティビスト集団、ペーパー・タイガーのキャッチフレーズは「Where your brains are?」― 「あなたのおつむはどこにあるの?」というものだった。視聴者を思考停止状態に追い込む映像メディアではなく、思考を促す映像、もう一つのメディアが必要とされているのだ。そしてそれは多様なあり方でいいはずである。ケーブルテレビ、ビデオ出版、インターネットテレビなど、可能性は開かれている。
もう一つのメディアが必要な時代に私たちは生きている。なぜなら、マスメディアは権力の、そして資本のもとにあるからだ。アメリカが今回のイラク戦争でいかに強力なメディア戦略を展開したか、そのやり方を見れば、単一なメディアの危険なありようが理解できるはずだ。
もちろん、マスメディアが正常に機能すれば問題ない、という意見もある。権力から独立したジャーナリズムはたしかにマスメディアであっても可能なはずだ。それは現場にいる一人ひとりの個人に本来はよっているものである。
しかし、大きな組織の中で仕事をすることは、その組織の中で生き延びていくことでもある。これこそが今の日本のジャーナリズムが抱える問題の根源ではないだろうか?組織に逆らうこと、異議を唱えながら組織の中で生き延びていくことはできるだろうか?たとえば、イギリスのBBCは国営放送でありながら、ブレア首相のイラク戦争に関する政策をまっこうから批判した。一方公共放送であるNHKはどこをどうみても小泉政権に追従している。大量破壊兵器はなかったことがはっきりしているのに、それに関する批判の声はNHKからはまったく聞こえてこない。
視聴者を思考停止状態に追い込むメディアではなく、思考を促すメディアを創りたいものである。

2012年8月2日木曜日

人間の覚悟

 五木寛之の「人間の覚悟」(新潮文庫714円)をブックオフで、105円で購入した。3年程前に発売されたのを、知っていたが、購入しなかった。105円という値段の魅力か。以下、気に入った文章を紹介する。

いかに生きるかを問わない
人は何のために生きるか、いかに生きるべきか、西洋でも東洋でも、多くの思想家や哲学者がそう問つづけてきました。
しかし私は、生き方に上下などない、と思うようになりました。親鸞の考えでは、その人のやることはその人が背負った業に左右され、人殺しもすれこうば善行もするが、それは本人が悪いから、偉いからではないといいます。
私の考えでは、悪人も善人もいるけれども、とりあえず生きているということで、人間は生まれた目的の大半は果たしている。存在する、生存していくこと自体に意味があるのだ、と。
仏教では「人身受亨け難し」といって、人間は六度輪廻をする中で、人として生まれる確率というのは六分の一しかないと考えます。あらゆる生命の中で考えれば、大海の一粟を拾うほどに稀なことだというのです。
人間として生まれたことに不満はあるかもしれないが、それでも他の動物や植物に生まれるよりは、人として生まれただけでも、じつに稀有なチャンスを得たということです。
その中には世間的に成功する人もいれば、失敗する人もいるでしょう。しかし、いずれにしても生まれてきて自分の人生を生きたということ、ましてや十年、二十年を生きたなら、それだけですごいことなのです。
ですから三十歳で早逝したといわれても、その人はたいへんなことを成し遂げた、人間としての価値をまっとうしたのだと考えます。
文化大革命を扱った中国映画「芙蓉鎮」の中で、投獄される主人公が、「豚のように生きぬけ、牛馬となっても生きぬけ」と声をかけられる場面がありました。
私は、人間はそういうものだと思いますし、生きていることの大変さに気がつくと、そこから感謝する気持ち、自分の命を尊敬する気持ちも生まれてくるのではないでしょうか。
自分には友だちもいない、彼女もいない、派遣社員で明日の仕事もはっきりしない、それらが事実であるとしても、だからもうどうでもいい、命なんてくだらない、だれを殺してもいい、とは言えないはずです。
どんなに惨めであっても、生きていることには大した値打ちがある。何の命でも、だの命でも存在するだけですごいことなのです。
今までは、いかに生きたか、ただ生きているだけでは意味がないではないか、そう言われつづけてきたと思います。しかし、ただ生きているだけで意味がある。
哲学者のようにものを考えなくても、みすぼらしくても生きて存在している、それだけですごいことだと私は思います。上から見るように「如何に」は問わない。下手くそでもくだらなくても少々いい加減でも、とにかく生きていることはすごい、と自分のことを認めてあげたらいいと思います。
普段は気がつかないだけで、生きるということの大変さに自分で気がつくと、それだけで押しつぶされそうになります。生きているだけでどれほどの努力があり、他力が必要なのか、それを自分自身が納得しなくてはならないのです。
生きているだけで人は値打ちがある、そう感じられなければ、「罪と罰」のように、生きている価値のない人間は殺してもいいのだという発想になっていきます。生まれて、生きて、老いて死んでいく、それをすべてやるということに価値があるのだと思うのです。


彼の考えの根底になるのは、戦争の経験である。敗戦後、植民地の朝鮮から逃げてきた経験。その時、国家はなにもしてくれなかった・・・・。国家とはそういうものであるという諦観であろうか。