2012年8月22日水曜日

100分de名著

NHK教育テレビで4月から放送されている「100分de名著」が面白い。1回25分、計4回で100分になるというわけだ。名著の研究家がその本を解説している。8月はフランクルの「夜と霧」である。明治大学の諸富氏ははじめにのところで以下のように紹介している。
「生きる意味」を求めて
今、大きな悩みや苦しみを抱えている人がたくさんおられます。心理カウンセラーである私は日々そのような方に接していますが、その苦しみはますます切実さを増してきているように思われます。
うつ病の患者さんは今や百万人超といわれています。とりわけ深刻なのは、自殺者の増加です。国の調べによると、すでに十年以上前から三万人を超えています。
一般に、自殺者の背後には未遂の方が十倍から二十倍いるといわれますので、じつに三十万人から六十万人の方々が、毎年死の淵に立っていることになります。
そこまでいかなくても、何かの拍子にふと「死にたい」という気持ちに襲われたことがある方は、その十倍、すなわち三百万人くらいいるのではないでしょうか。
この背景には、現代社会におけるさまざまな問題が横たわっていますが、自分の人生に「生きる意味」を感じながら生きていくことが難しい時代になってきていることは、間違いありません。そんな状況ですから、今回、「生きる意味」を求めて悩み苦しむ人を援助し続けてきた精神科医ヴイクトール・E・フランクルの『夜と霧』を「100分de名著」で取り上げることになったのは、たいへん意味のあることだと思っています。
『夜と霧』は、第二次世界大戦の際、ナチスの強制収容所に収容されたフランクルが、みずから味わった過酷な経験をつづった本です。
みなさんもご存じのように、ナチスのユダヤ人迫害は非道をきわめました。ゆえに、この本も、目を覆いたくなるような陰惨なドキュメンタリーになってもおかしくありませんでした。しかし、そうはならず、むしろ、世界中の人々の感動を呼び、時代を超えて読み継がれる超ロングセラーになったのです。
なぜでしょうか?それは、この本が、そこで行われ続けた陰惨な事実にもかかわらず、それでもなお見出すことのできた人間精神の崇高さに着目して描かれたものであるからだと思います。
『夜と霧』の著者である精神科医というと、いつもうつむき加減にもの思いにふけっている深遠な思想家を思い浮かべる方が少なくないかもしれません。フランクルは、そうした深遠さを持ちながらも、情熱的で、行動的で、バイタリティにあふれた人でした。 
過酷な経験をくぐりぬけたフランクルは、戦後、堰を切ったように精力的に著作の執筆や講演活動などを展開します。その活動は、まさに生命力にあふれたものでした。
フランクルの思想のエッセンスは次のようなスーレートなメッセージにあります。
どんな時も、人生には意味がある。
あなたを待っている“誰か”がいて、あなたを待っている“何か”がある。
そしてその“何か”や“誰か”ためにあなたにもできることがある。
このストレートな強いメッセージが多くの人の魂をふるわせ、鼓舞し続けてきたのです。フランクルが『夜と霧』を書いた頃のヨーロッパと今の日本とでは、考え方が異なるところも少なくないでしょう。時代もずいぶん変わりました。私たちは今、強制収容所のような特殊な環境にいるわけでもありません。
しかし『夜と霧』は、そうした時代の違いを超えて私たちの心に響く真理に満ちています。否、私たちが生きているこの時代は、収容所とはもちろん違った形ではあるけれども、生きる意味と希望を見出すのが困難になっているという意味では、現代を生きる私たちも「見えない収容所」の中にとらえられて生きている、と言っていいような面がないわけでもありません。フランクルの言葉の中に、一つでも、生きる意味と希望を求めていく手がかりを見つけてくだされば幸いです。
今程、「生きる意味」を問われる時はないであろう。3.11の大震災、原発事故後はなおさらである。ぜひ、テキストを購入して読んでみて欲しい。そして原著「夜と霧」を読んで欲しい。

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