2012年8月31日金曜日

<そうだ>or<そうではない>

 毎日新聞の「引用句辞典」(鹿島茂)は面白い。今回、政治家「橋下徹」を論じている。本文はアナトール・フランスの「エピクロスの園」の中の一説を引用して述べているのだが、今回はそんなことは省く。

 
 長い間、日本の大衆にとって、政治は「どうでもいいこと」のひとつであった。選挙に行こうが行くまいが、自民党に投票しょうが社会党に投票しょうが、結果はいつも同じ自民単独政権。変化は目だったかたちでは現れず、だったら、選挙なんか行くだけ無駄ということになったのである。
変化が現れたのは、衆議院が小選挙区制に変わり、小泉政権が誕生してからである。
小泉純一郎元首相は、白か黒かのオセロ・ゲームとなる小選挙区制を最大限に利用する術を心得た日本では珍しいタイプの政治家であった。
というのも、問題設定を「<そうだ>、あるいは<そうではない>」という二者択一に落としこむことを得意とし、「いかにしてとか、どんな具合にとか」いう問いの設定は意図的に回避したからである。
この「<そうだ>、あるいは<そうではない>」というかたちの問題設定が、自民党か民主党かという小選挙区にぴったりとフィットしたのだ。マスコミを巧みに誘導して、テレビに年中顔を出し、わかりやすい敵(派閥とか抵抗勢力)をつくり、その敵に合わせて自分のイメージをその都度、自在につくりあげた。
しかし、なによりも大衆をひきつけたのは、なんだかわからないが、やたらに「確信を持って」いることと、歯切れのよい「断言」を連発したことだろう。
ここにおいて、大衆はようやく「わかりやすい政治家」「結果を出そうとする政治家」を見いだして喝采を送ったのである。その結果が自分たちの利益に反するものであることなどまったく意識に入れずに。
さて、民主党政権も三年となり、今秋か、さもなければ来年早々にも総選挙ということになりそうな気配であり、橋下新党、小沢新党を含めて、それぞれの政党や党派が選挙態勢に入りつつあるが、「大衆を味方」にひきつけるという点においては、橋下徹大阪市長はやはり一頭地を抜いている。「大衆は断言を求めるので、証拠は求めない」ものだからである。
  
橋下新党はかなり躍進するかもしれない。なにしろ橋下は「大衆は断言を求めるので、証拠を求めない」ということを一番よく知っているから。新党をつくるには、かなりの部分を、民主、自民の新人の中で、次回の選挙で落選必死の人物の中から引っ張ってくるであろう。どちらにせよ、歯切れのよい言葉を連呼する人間は要注意人物である。

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