2012年8月10日金曜日

七人の侍

また、また野呂邦暢の本から気になる随筆を紹介しよう。私くらいの年配なら、「七人の侍」を観ていない人は少ないであろう。私も2回程観た記憶がある。野呂の感性が羨ましい。
TVで「七人の侍」を見た。これで何回見たことになるだろうか。少なくとも五回以上は見たような気がする。そのつど発見がある。
初めて見たのはこれを原案にアメリカで製作された「荒野の七人」が封切られた年である。それは昭和三十六年のことだから私は「七人の侍」がわが国で最初に公開されたときには見ていない。ただの時代劇と思って高校生であった私は見ない事にしたのだ。貧乏たらしくて惨めで汚くて、というのが当時、邦画に持っていた私の印象であった。

現実の生活が貧しいので映画の世界まで貧しいものを見るのは沢山と思っていた。それでも同胞が創造したいくつかの傑作は見ている。「雨月物語」には文句なしに感動した。「無法松の一生」も良かった。阪東妻三郎が演じた方である。しかし「七人の侍」は見なかった。長崎で私はまず「荒野の七人」を見てがっかりした。血なまぐさい西部劇にすぎない。禿頭のヒーローがむやみに気取っているだけの映画である。
そのもとになった作品というのだから、どうせ下らないに決っていると思いながら、駅前ビルの地下にある小さな映画館で切符を買った。輸出用にプリントされたフィルムで、画面の下に英文で俳優の台詞が出た。野武士のことをbanditと訳してあったのが印象に残っている。 
感心したというだけでは足りない。むしろ茫然自失したといわなければそのときの私を正確に表現したことにはならない。明るくなった劇場の椅子に私は腰を抜かしでもしたように座りこんでいた。映画を見てこれほど強く心をゆさぶられるということは滅多にないことである。


「なんとまあ・・・・」というのが感想だった。これでは批評になりはしないが、批評しょうとはついぞ思いもしなかった。「なんとまあ見事な・・・」そういって絶句するよりなかった。すぐれた芸術作品は沈黙を強いる。
三船敏郎の剽悍、志村喬の朴訥、宮口精二の沈着、稲葉義男の剛毅などという印象は二回三回とややゆとりをもって見るうちに言葉にすることが出来た。個々の侍が躍如としている所が「七人の侍」の傑作たるゆえんであろう。黒澤明は日本人の理想像をこれらの侍たちに見出していたのではないだろうか。木村功の初初しさに歳月の経過を感じる。加東大介と左卜全は既に故人となった。稲葉義男はその最良の演技を「七人の侍」で示したような気がする。
それにしても五百年前の日本人は侍も百姓もこの上なく貧しかった。あれが人間の住居、あれが人間の衣服といえるだろうか。現実が極端に貧しいのでそれだけに侍たちの個性が光る。掘立小屋の中で千秋実がポロ布を縫いながら呟く台詞がいい。旗印をこしらえているのである。「こんなときには我らの頭上に何か高くひるがえす物が欲しいのでな」。不覚にも私はこれを聞いた瞬間、泪ぐみそうになった。私は頭上に何を高くひるがえしているだろうか。

 現在を生きる我々にとって、頭上に高くひるがえす物とはなにか。「私は、こういう考えで行動し、こう生きているんだという意志表示」だと考える。これは自分の意思から生成してくるものである。

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