2012年10月31日水曜日

いじめ論


 毎日新聞掲載の「引用句辞典」(鹿島茂)は何度も紹介するが面白い。今回は「いじめ」について、かの有名な『菊と力』ルース・ベネディクト著。鹿島氏は、その中の一部を引用しながら、「いじめ論」を論じている。以下、概略紹介する。
なにゆえに日本のいじめは深刻なのだろうか?それは「構造的」だからである。つまり、いじめは日本人の精神構造にビルト・インされているので、退治しようとしても消滅することはありえないのである。
それを教えてくれるのが日本人論の古典『菊と刀』。著者のベネディクトは一度も日本に滞在したことがないのに、対日占領政策を模索していた国務省の依頼に応えて、この不朽の名著を短期間で書き上げた。『菊と刀』で問題として設定されたのは、欧米人からは臆病に見える日本人がときとして大胆で無謀な行動に出るのはなぜかという謎で、ベネディクトはこれを解くカギを、日本人の子どもが体験する「しつけの劇的転換」に求めた。
すなわち、日本人は欧米と比べると子どものころ「最大の自由」を与えられ、甘やかされて育つが、小学校入学前後から、まず親から「世間」の笑い者にならない行動を取るようにしつけられる。次いでこの「世間」という目に見えない拘束は、学校という名の相互監視的社会へと移されて、子どもを日本的な倫理体系のうちに組み込んでいったが、その「世間」がないところ、たとえば外国や占領地、あるいは捕虜収容所では、相互監視が働かないから、思いもかけぬ大胆な振る舞いに出たのである。
現在、反いじめキャンペーンは暴力や恐喝という刑事事件的なことにのみ限定されているが、いじめの第1歩は、その対象者をクラスないしは友達グループという「世間」から「のけ者にする」ことにある。なぜなら、日本人はベネディクトの指摘するように「のけ者にされることを、暴力をふるわれること以上に恐れるからだ」これだけは、戦後七十年近く経過したいまも変わっていない。
だから、文科省がきれいごとに終始して「みんな仲良く」といった標語を掲げれば掲げるほど、「いじめ」は逆にはびこるという悪循環に陥る。なぜなら、「仲良し」のメンバーは「のけ者にされることを、暴力をふるわれること以上に恐れる」ので、自分が排除されるくらいなら他のメンバーを犠牲に差し出そうとするからだ。つまり「仲良しグループ」はなにかのきっかけで相互密告社会へと変質し、和を乱すメンバーがいれば、即座に排除の論理を始動させるのである。
いじめは「仲良し」から生まれる。日本の悲しいパラドックスというはかない。
この論でいくと、今のいじめ対策では、決していじめはなくならないと言うことになる。この、パラドックスをどうするか。あらためて考え直すことが必要になる。

2012年10月29日月曜日

本当のことを伝えない日本の新聞


「本当のこと」を伝えない日本の新聞というタイトルで、思わず購入した本、「権力者の代弁」ばかりを繰り返す新聞が多い日本。著者は「ニュヨーク・タイムス」の東京支局長であるマーティン・ファクラー氏である。“はじめ”にの部分を紹介する。

はじめに20113月日日、東日本大震災と大津波が東北地方に壊滅的な被害をもたらした。そして、福島第一原発で続けざまに爆発事故が起きた。この国家存亡に関わる一大事に際して、新聞は国民のために何を報じたか。本書を手に取った読者が一番ご存じのことだが、311前と変わらず、当局の記者発表やプレスリリースを横流しする報道に終始した。
結果的に日本の大手メディアは、当局の隠蔽工作に荷担することになってしまった。それは同時に、私が日本における取材活動のなかで強い不満を覚えていた「記者クラブ」制度が抱える矛盾が、日本国民の目の前に一気に表出した瞬間でもあった。
私は196611月に、アメリカ合衆国のアイオワ州で生まれた。学生時代には台湾や日本へ留学し、中国語や日本語を学ぶ機会があった。私にとって東アジア、そして日本は学生時代から身近な国だ。
私が記者として仕事を始めたのは96年のことだ。ブルームバーグやAP通信、ウオール・ストリート・ジャーナル、そしてニューヨーク・タイムズへと原稿発表の場を移しながら、ニューヨークや北京、上海や日本で取材を続けている。とりわけ日本での取材経験は長く、2012年までで合計12年に及ぶ。
日本で取材を重ねるなかで、最も驚いたことが記者クラブという組織の存在だった。外国人記者である私を、日本銀行や各省庁、官邸での記者会見から排斥する。新聞、テレビなどの大手メディアの記者たちは、記者クラブを拠点として堅く団結していた。同じジャーナリストであるはずなのに、外国人記者である私を仲間” とは思いたくなかったようだ。
世界における日本のニュースバリューは、バブル絶頂期の80年代末に比べて確実に低くなっている。あのころの日本は、現在猛烈な経済成長を続けている中国やインドのような存在であり、世界が日本のニュースを求めていた。
日本が長きにわたり停滞しているなか、なぜ私は12年間も日本で仕事を続けてきたのか。好きな国だからということと同時に、日本でジャーナリストとして仕事をすることは、私にとって大きなチャンスだからだ。いま中国に行けば、世界中から集まったライバルのジャーナリストが山ほどいるが、現在の日本ではこの地に足をつけて取材活動をしている外国人記者は少数だ。競争相手が少ないという消極的な意味ではなく、日本という国のシステムや日本人のメンタリティを理解しようと心掛けている自分にしか書けない記事があると信じているのだ。
日本から世界に情報を発信するおもしろさはいくつもある。中国の経済成長が著しいとはいっても、まだまだ発展途上の段階だ。中国共産党の一党独裁という大きな問題も抱えている。誰が何と言おうと、日本はアジアでは唯一の先進国だ。長い歴史のなかで醸成された古き良き伝統が息づく一方、独自に発達させたマンガやアニメーションなどのユニークな文化もある。豊かな多様性という点でも、私にとって日本はとても興味深い。
そんな日本に対して、私は歯がゆい気持ちをもっている。バブル崩壊後、経済が停滞しているのに、日本社会はなぜ若者にもっとチャンスを与えないのか。団塊の世代ばかりを手厚く守り、彼らの子や孫はまるでどうでもいい存在であるかのように扱われている現状は明らかにおかしい。
本当のことを書こうとする新聞は、記者クラブから平気ではずす日本。健全なジャーナリズムを機能させるにはどうしたらいいのだろう。真実を書く、新聞、記事を現場から発信することから始めたい。

2012年10月24日水曜日

ハシズム


 民医連医療11月号「メディアへの眼」(畑田重夫)は何回も取り上げているが、今回、「第3極論をめぐって」というタイトルで「橋本氏」のことを論じている。興味深いところを紹介したい。
 ハシズムという言い方
よく、メディアのうえで、橋下氏のことに関連して“ハシズム”という表現が用いられるのを見聞しました。それは、悪名高いヒトラーの“ナチズム”と関連づけての表現でした。ヒトラーも、第一次世界大戦後のドイツでは、人々の眼からみて、なかなかその本質を見抜くのは容易ではありませんでした。とくに、ヒトラーが率いる政党自体の正式名称が、「民族社会主義ドイツ労働者党」(NSDAP)でしたので、ドイツの労働者たちは自分たちの政党だと思いこみ、この党にカネも票も与えたのでした。
ヒトラーは、暴力的に、クーデターによって政権をとったのだと思いこんでいる人があると思いますが、そうではなくて、彼は徹底して選挙を重視し、選挙によって第一党になり、1933年に政権についたのでした。
同じように、橋下氏も、選挙を重視しています。201011月の大阪のダブル選挙で、自分は大阪の市長になり、松井氏が大阪の知事になったのでしたし、いままた、「大阪維新の会」が、国政へかかわることを決め、「日本維新の会」という正式の新党名で橋下氏が党首、松井氏が幹事長ということも確定しました。そして、次の総選挙で過半数を獲得するのだと豪語しています。
このように選挙重視もヒトラーと同じですし、財界との結びつきも全く同じなのです。ヒトラーも、政権獲得のころには完全にクルップやティッセンというドイツ最大の金融資本と結びつき、そういうところから豊富な資金を得ていたのです。
橋下氏も、たとえば「原発ノー」と言っていたときもありましたが、関西電力をふくむ大阪財界の幹部と会ったとたんに一転して原発再稼働を唱えはじめたことは、読者の皆さんのご記憶に新しいところではないでしょうか。大企業、独占資本こそがいわゆる経済理論を含め、弱肉強食の新自由主義に固執していることは、いまさら申すまでもありません。
日本のマスメディアが、権力へのチェック役というジャーナリズムの本質から逸脱して、政・財界の支配層の利益を代弁する役割をにないつつある今日、基本的に財界と利益をともにする橋下氏を連日持ち上げる根拠は、いともはっきりしたというべきでしょう。
橋下氏の言動・行動が面白いから、正しいから、メディアに出ているのではないのだ。意識的に日本のメスメディアが、彼を露出させているのだ。その理由は言うまでもない。


2012年10月17日水曜日

植民地支配と領土問題



もう一度読む山川「世界史」(教科書)をあらためて読んだ。その中で「植民地支配下の朝鮮」という記述があった。以下がその内容である。
植民地支配下の朝鮮
1910年以来、日本の植民地となった朝鮮では、「武断政治」による苛酷な支配がおこなわれた。三・一運動は、朝鮮人の独立への強い意志を示すものであり、これを機に日本は、武断政治をゆるめざるをえなかった。しかし、民族差別に抗議する29年の光州学生運動をはじめ、さまざまな抗日運動が続いた。また23年の関東大震災では、悪質なデマにまどわされた日本人による朝鮮人虐殺事件がおこっている。
1920年代には、朝鮮を日本の食糧の供給地にする政策が強化された。すでに10年代から、日本人が朝鮮において広大な土地を所有し、また日本人・朝鮮人大地主への土地の集中が進んでいたが、20年代にはいると、米の増産計画を実施し、日本への米の大量積出しが強行された。この間に地主への土地の集中はいっそう進み、土地や資金の少ない農民のなかには窮乏化するものも多くでた。そのため生活がなりたたずに、労働者として日本や中国東北へ移住する人びとが少なくなかった。とくに40年代には、日本に強制連行されて、重労働に従事する人びとが急激にふえた。第二次世界大戦中には、徴兵制もしかれた。日本の敗戦時在日朝鮮人は200万人以上をかぞえた。
一方、1920年代末に大規模な水力発電所が操業をはじめ、30年代には重化学工場・金属工場も建設され、鉱山も開発されたが、製品の多くは日本に送られ、日中戦争がはじまると、朝鮮は戦争遂行のための後方基地となった。このころになると、学校や公共での朝鮮語使用の禁止、朝鮮語新聞の廃刊、姓名を日本式にかえる「創氏改名」、宮城(皇居)遥拝、神社参拝などの「皇民化」政策を強化し、民族文化を否定した。19458月、敗戦とともに日本の朝鮮支配はおわった。
今、日韓関係が「竹島問題」でこじれている。こじれる理由の大部分は、上記のような、「植民地支配」に対して、日本が根本的な反省と清算をしていないことから発生してきている。植民地犯罪に対しての謝罪と賠償なしで、「領土問題は存在しない」と言っても、少しも進展しないであろう。

2012年10月15日月曜日

読む人と書く人


鷲巣力氏(著述家)が「現代思想」の加藤周一特集(2009年)で「読む人」「書く人」と題して書いている文章がある。概略は以下。
加藤氏は「書く人」だったが、その理由はどこにあるのだろうか。第一に、自らもいうように、主として売文を業としていたことホある。正規の大学教員に就いていれば、暮らしの主たる糧は大学人から得ただろうし、年齢とともに給与が上がるという年功序列の恩恵にあずかったことだろう。だが、加藤氏は大学に籍を置くことはあっても長くはなかったし、籍を置いても客員や非常勤が多かった。
暮らしの糧を売文だけに求めるには、よほどの流行作家でないと難しい。加藤氏の著書は評論家としてはよく読まれただろうが、流行作家には足もとにも及ばなかったろう。だからといって、加藤氏に売文なしに暮らせるだけの恒産があったわけではない。医業を廃してからは、機会が与えられれば、できる限り受けることを原則レしないと、暮らしが成り立ちにくいという条件があった。
第二に、加藤氏は人間に対する「愛」が強かった。もちろん、家族や友人など、特定個人に対してもあふれるような「愛」を抱いていた。そればかりではない。同時代人に対する「愛」も強くもっていた。だから、同時代人に対して無関心ではいられなかった。
関心が強い対象に対しては、何らか働きかけをするものである。加藤氏の働きかけは「書く」ことだった。自分が考え、感じ、経験したことを、ひとりでも多くの読者に伝えたい、と願った。自著に対する懇切丁寧な「あとがき」を見ればあきらかだろう。加藤氏ほど自著に対する念入りな解説を行う著者も珍しい。
第三に、歴史は変わり得るという「希望」を捨てない姿勢である。幕末から明治を生きた福沢諭吉は「一生にして二生」を生きたといった。加藤氏は「一生にして五生」も生きている。青春期を大正民主主義の残照のなかで、青年期を軍国主義の暗闇から戦後民主主義の東雲のうちに、壮年期を高度成長の散光のなかで、高年期をふたたび戦争への道の夕陽の傾くなかで過ごしてきた。
加藤氏自身に対する評価も、「西洋一辺倒」から「プチブルインテリ」を経て「過激派」にまで変わった。本人は基本的には変わっていないにかかわらず、世の中が変わったからである。
世の中は悪くなる可能性もあれば、よくなる可能性もある、という認識である。されば、よくなる可能性に賭ける、という意思を確固としてもつ。その可能性を求めるために加藤氏自身ができることは何か。それは「書く」ことで、自分の考えを表明し、人びとに訴えることである。いわば「希望の戦略」を展開した。
まだ「九条の会」が発足していないころのことだった。加藤氏との会話ではしばしば「憲法」が話題となった。「国民投票にかけられたら、憲法は維持できると思いますか」と問われたので「難しいと思います」と答えた。「そうでしょうね。憲法を維持する通勤が必要だが、『負けたらおしまい』というのではダメですね」といった。
60年安保も70年安保も「改定反対運動」は敗北した。敗北のあとはおさまりの「挫折」の嵐が吹き荒れた。そのたびごとに運動は後退していった。その轍を踏まないためには「たとえ負けたとしても、それでもなおかつ続けることが大事だ」と認識していた。あくまでも「希望」にかけるという意思である。このときに加藤氏が長い闘いの航海に漕ぎだす決意をもったことを感じた。
加藤氏がなくなって、早4年が経とうとしている。あらためて、加藤氏のすごさがわかる文章である。彼が生きていたら、今の日本の状況をどう語り、書くのかを知りたいのは私だけでではあるまい。

2012年10月12日金曜日

年金問題

「もうダマされないための経済講義」光文社新書(若田部昌澄著)の中で、年金制度のことを書いてある部分で、わかり易い表現があったので、紹介する。
負の遺産としての年金制度
まずは、年金制度です。年金制度は壮大な再分配の仕組みです。飯田泰之さんが『脱貧困の経済学』(雨宮処凛との共著、自由国民社)で書かれていますが、日本の再分配は、お金のある人にお金がない人が貢ぐ制度になってしまっています。
年金は、若い人から高齢者にお金が流れる仕組みです。高齢者には、豊かな人もいれば貧しい人もいますが、若者は全体として貧しい人が多く、蓄財もそれほどできていない。それなのに、高齢者に若い人のお金が渡るという、非常にねじれた形の所得再分配が起きています。
そうなってしまった理由は、端的に制度の問題としかいいようがありません。厚生労働省は「修正積立方式」と呼んでいますが、日本の年金は、基本的に現役世代の稼ぎが高齢者に割り当てられる「賦課方式」です。
「積立」とは、自分が積み立てたものから払われる方式ですから、個人的な貯蓄と似ています。例えば自分で100万円を預けておけば、 100万円もらえるということです。もちろん、貯蓄であれば利子もついてきます。ですから、「修正」積立方式というには、かなり本質的な修正が加わっていることになります。
そもそも年金制度に反対する人もいます。「個人が貯蓄すればいい。老後に備えるのなら、それでいいではないか」。それに対する反論は「若いうちに遊んでしまって、老後になって気がついたら、アリとキリギリスのキリギリスみたいになってしまう人がいる」というのが代表的なものでしょう。「それはその人の勝手だ、その人がそう行動したからしかたがないのだ」という人は、現代社会ではやはり少数派です。老齢者がそのように貧困に陥っていくと、社会全体にとって良くないと考えるほうが一般的でしょう。
政権与党は、年金問題を解決する方法として「消費税」を考えている。確かに賦課方式では、老齢者の年金を現役世代が支払っている。早晩、この制度はパンクすることは目に見えている。少子化問題は最優先課題である。解決する方法は、高齢者問題と、貧困問題を別個の問題として取り組む必要がある。これは簡単な問題ではないが、議論が重要である。

2012年10月9日火曜日

人を差別することば


 「岩波ブックレット」が復刊されている。1998年に発売された寿岳章子さんの「ことばつかいの昭和史」500円。以下、差別言葉の部分を紹介する。

を差別することば
昭和のことばづかいを概観するとき、もう一つ顕著な変化の傾向があります。それは、いわゆる差別語についての意識ができあがったことです。
差別語というのは、一種のきめつけことばですが、とりわけ現日本国憲法の第十四条で、以前はいろいろと辛い目にあったが、いまは平等の基本的人権を保障されている人びとに、昔はたえず投げつけられていたことばです。
たとえば、視力障害者を「メクラ」という表現を差別語といいます。
なぜこれが差別語なのでしょうか。
現在、このたぐいのことばがいくつかあって、それらを総称して差別語といいますが、なぜか、ということを考えないで、ただ、このことばは差別語だそうだ、うっかりロにすると文句をつけられてたいへんだぞ、とにかくなんでもいい、いわなきゃいいんだとだけ思うことは、かえって事態を悪くします。
私はかつてある会合で, つぎのような経験をいたしました。メンバーのある男性が、「メクラ」ということばを発し、「それはいけないいい方だ、差別語になる」と他の人から注意されたとき、その人は怒り出しました。「なんでメクラといったらいけないんだ,メクラにちがいないだろう」と。それで、その場にたまたまいあわせていた私は、 つぎのように申しました。
「みえない状態のことをメクラというということは、たしかです。でも、おなじことを表現する盲人という語と比較してみると、メクラということばが使われる文脈は、障害者に、いろいろ辛い生き方を強いてきた長い歴史をせおっていることが多いんです。
たとえば、ことわざでメクラというのは、目のみえない状態をあざわらうのにばかり、使われています。さらにいえば、だいたい障害者とか、女性とか、さらに同和問題でたたかっている当事者とかに関係することわざは、だいたいがその人たちをあざけり、ひやかしたものばかりなのです。
メクラといえば、そういう世間の見方に結びつくので、いわれた人びとは、けっしてうれしくないんですよ。そういわれて情けなくなることばを、目のみえる人が使うのは、思いやりがないことになるでしょう」。
寿岳氏は、人を傷つけることばは、その人たちがそういわれて、自分たちが長年おかれていた不当な扱いをむらむらと思い出すことば、そんなことばを使いたくないという思いと、表現の自由とは矛盾するものでしょうか。いや、しないと言っている。
使ってはいけないとは思わない。相手の立場にたって考えれば使えないのだと言っている。確かにそのとおりだと考える。


2012年10月4日木曜日

脳を創る読書

雑誌「ターザン」の書籍紹介欄に載っていた「脳を創る読書」著者:酒井邦嘉(なぜ紙の本が人にとって必要なのか)紹介文章をそのまま転載します。

突然ですが皆さん、最近本を読んでいますか? 「そういや移動中もスマホばかり見ているし、全然読んでないかも」って自覚がある人はぜひご一読を。東京大学大学院で言語脳科学を教える酒井邦嘉さんによる「脳を創る読書」だ。
この本は昨今進む電子書籍化の傾向に対し、読書によるさまざまな効果や、読書でしか得られない知的成長プロセスといったメリットを脳の特性なども交えて解説しつつ、「なぜ紙の本が必要なのか」をあらゆる方向から説いている。
「電子化は書籍の分野に限らず教育現場においても進みつつあるのが現状です。もちろんそれらが便利なのは承知の上ですが、特に学生の間でその便利さに頼りすぎている傾向と、そこから生じている弊害を感じていましたので、ひとつの問題提起として書きました」
たとえばレポートを書こうとする。昔なら本や辞書を何冊も開いてメモをとり、そこから改めて自分の手でまとめていた。仮に一部を書き写すにせよ、それは手作業だったのだ。しかし今はどうか。参考資料や文章はネット検索すれば瞬時に、ただで手に入る。しかもコピー&ペーストを繰り返して切り貼りすれば手軽にそれらしいものができあがる。さらに問題なのは、手軽さゆえにその行動に罪悪感を感じにくい点だという。
「ネット情報やソフトに頼るばかりで、得た情報を咀嚼し、分析する作業を怠る傾向が特に若い世代に強く見られます。ネットは検索で膨大な情報にアクセスできますが、言ってみればそれは玉石混淆です。自らが能動的に評価できない限り、真偽不明な事柄まで取り込んでしまい、検証することなしにそれを正しいと思い込んでしまう。これが一番怖いんです」
ネットの普及以来「調べる=ネット検索する」になった感がある。検索で調べ事の答えに触れただけでわかったつもりになっても、実際には身についていないのだ。
「電子書籍や電子教科書も同様で、情報アクセス手段としては有効ですが、何かを考えるためのツールとしては未熟です。やはり手で文字を書くところに立ち返らないと、物事を理解したり深く考えるといった脳の働きが発達しません。だから幼少時の読み書きの練習が大事であり、電子教科書ではそこが軽視される恐れもあるんです」
電子書籍に違和感を拭えないという人は多いだろう。画面上でページをめくるような機能があっても、それはあくまでバーチャルなもの。ひと言でいえば本を読む感覚とは程遠いのだ。そのあたりの違和感を、酒井さんは本の「様式感」や「量的手がかり」の欠落といった表現でうまく解説する。
「紙の本ならページをめくり、行き詰まったら何ページも戻って読み直すという作業が瞬時にできます。また気になる箇所には線を引き、付箋を貼るのだってすぐです。実は脳の識別や特徴抽出の能力は、今の電子技術よりはるかに高性能なのです。また、読書での理解度も記憶に大きく関係することがわかっています。こうした能力を電子書籍化と共に簡単に捨て去ってしまっていいのでしょうか」
酒井さんは決して電子書籍が悪いのではなく、使い分けが大事と説く。本書は大きく変化しつつある人と本の関わり方について、いろいろと考えさせられる一冊だ。
私は紙の本に愛着がある。筆者と同じような考えを持っている。付け加えるならば、紙の本で読んだものの感想や、要点を自分の頭で考え、まとめる作業をするようにしたい。「脳を創る読書」とはネーミングがいい。早速購入して読みたい本である

2012年10月3日水曜日

99%の貧困


世界の99%を貧困にする経済の紹介を以前もしたが、もう一度、紹介する。少々難しい文章であるが、アメリカの今を理解するために、読んでみて欲しい。

今日の貧困者が明日の富裕者になる可能性があるなら、もしくは、真の機会均等が存在しているなら、不平等からもたらされる悪影響は、もっと小さくなっていたかもしれない。ウォール街を占拠せよ運動が不平等の拡大に注目をひきつけたとき、右派はまるで自慢するかのように、結果の平等を重んじる民主党とちがって自分たちは機会均等に全力を傾ける、と反論した。
ウィスコンシン州選出の共和党議員で、下院予算委員長を務めるポール・ライアンは、アメリカの将来を左右する予算上の意思決定に責任を負っているが、彼の話によれば、民主党と共和党の大きなちがいは、「今でも機会均等を信じているか、機会均等から離れて結果の平等を重視しているか」という点にある。ライアン委員長はさらに、「所得の再分配ではなく所得間の移動性に焦点をあてよう」と付け加えた。
この考え方には、二つの事実誤認がある。第一に、結果の平等″など存在しないと主張する一方で、機会均等は実現されていると言っていること。1章で述べたとおり、この認識は正しくない。ここではジョナサン・チャイトの警句を引用しょう。「事実は愉快な空想を邪魔してはいけないことになっている」
第二の事実誤認は、累進課税の推進派が″結果の平等″ を主張している、とみなしていることだ。チャイトが指摘するように、民主党は結果の平等″ を求めているのではなく、「所得格差の急拡大を放置したまま、政府の手でほんの少し改善を加える政策」を主張しているだけだ。
おそらく、わたしたちが最も重視すべきなのは誰もひとりでは成功できないという点だろう。途上国には利発で勤勉で活動的な人々が多くいる。彼らが貧困層から抜け出せないのは、能力や努力が足りないからではなく、うまく機能していない経済の中で働いているからだ。
何世代にもわたる国家の集団的努力の結果、アメリカには物理的インフラと制度的インフラが整えられ、すべてのアメリカ人がこれらの恩恵にあずかっている。懸念すべきなのは、上位一パーセントの人々が既得権益にしがみつき、法外な取り分を主張しつづける中で、システムそのものの破壊がもくろまれることだ。
本章で説明してきたのは、不平等がアメリカ経済―― 生産性と効率性と成長性と安定性――をむしばみつづけ、その高いコストをわたしたちが支払わされているという点と、少なくとも現行の不平等水準を緩和させれば、その利益はコストを大きく上回るという点だ。本章では、不平等の悪影響が広がる経路も数多く特定した。不平等の拡大が経済成長を阻害するという結論は、さまざまな国々を長期間観察した研究によって実証されている。
上位一パーセントが社会に押しつけている最大のコストは、フェアプレーと機会均等と連帯感を重視するアイデンティティがむしばまれることだろう。アメリカは長きにわたって、全員に前進のチャンスがひとしく与えられる公正な社会を誇りとしてきた。しかし、前述のとおり、今日の統計値からはまったくちがう実態が浮かびあがってくる。下層はもちろん中層の人々でさえ、上層までたどり着ける確率は低く、アメリカの数字は、多くのヨーロッパ諸国を下回っているのだ。アイデンティティの喪失と経済の弱体化以外にも、不平等のコストは存在する。民主主義が危機にさらされることだ。
これから、大統領選挙が戦われるが、民主党のオバマでさえ、今までにアメリカが作り上げてきた民主的なシステムの崩壊を止めることはできていない。アメリカは何処へいくのだろうか。ましてや、アメリカに言いなりの日本は、何処へ行こうとしているのであろうか。

2012年10月1日月曜日

安保と尖閣

東洋経済の佐藤優氏の連載「知の技法・出世の作法」で、今回は「中間管理職に必要な論理と知識、経験とは」というタイトルで尖閣問題を論じている。連載の一部になるほどと思う箇所があったので、紹介する。

安保条約を読み込めば尖闇問題も理解できる
917日、来日した米国のバネツタ国防長官が玄葉光一郎外相'森本敏防衛相と会談した。
(玄葉氏とパネッタ氏は尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐる日中の対立について「日中関係が大きく損なわれないよう日米間で協力する」ことで一致。米国が日本防衛の義務を負う日米安全保障条約が、尖閣諸島にも適用されることも改めて確認した。/玄葉氏は会談で、尖閣諸島の国有化について説明。そのうえで「大局的な観点から冷静に対処していく」と対中関係に配慮する考えを伝えた。(中略)/パネッタ氏は、森本氏との会談後の共同記者会見で「尖閣諸島での日中の対立は懸念している。当事者が冷静に対応することだ」と述べ、外交手段を通じた平和的解決を求めた。尖閥への日米安保条約の適用については「我々は条約上の義務を守る」と述べたうえで、「主権に関する対立では特定の立場をとらない」と語った。)918日、朝日新聞デジタル)
日米安保条約第5条では、外国からの武力攻撃に対し、共同防衛することをうたっている。だから日本政府もマスメディアも、中国が尖閣諸島を攻撃してきても米軍が守ってくれるので安心だ、という雰囲気を醸し出そうとしている。しかしそれならなぜ、パネッタ長官は「尖閣諸島の主権は日本に属する」と言わず、「主権に関する対立では特定の立場をとらない」と表現するのか。論理が崩れているように思える。
こういうときは条約のテキストを注意深く読むことが重要だ。日米安保条約第5条の前投について、ここに引用しておく。
(各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。)
5条は外国からの武力攻撃に対して、自動的に共同防衛を義務づけているのではない。「自国の憲法上の規定及び手続に従って」という制約が付されている。
米国憲法では、確かに大統領は軍の最高司令官であるが、宣戦布告権や軍隊の編成権、歳出権などは'実は連邦議会に属している。したがって、1973年に成立した「議会と大統領の戦争権限に関する合同決議」(戦争権限法とする)に基づき、連邦議会が大統領に対して授権を行わなくてはならない。はたして、中国軍が尖閣諸島を武力攻撃した場合、米国の連邦議会が大統領に向かって、日本と共同防衛に当たることを授権するだろうか。
さらにこの5条によれば、「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における」と、適用範囲が限定されている。北方領土と竹島は日本領だが、それぞれロシアと韓国によって不法占拠されている、というのが日本政府の見解だ。日本の施政が及ばない、北方領土と竹島における紛争は、日米安保の対象とはならない。バネツタ国防長官が「主権に関する対立では特定の立場をとらない」と明確に述べているから、仮に尖閣諸島に対する中国の実効支配が行われ、日本の施政が及ばないようになれば、第5条の規定に従って、尖閣諸島は日米の共同防衛の対象にならなくなる。
こうして論理をたどっていくと、尖閣諸島をめぐって日中の武力衝突が発生しても、米軍が日本側に立って行動する可能性は低いという現実が見えてくる。中国とビジネスをしている企業に勤める中間管理職にとって、尖閣問題に関する予測は重要だと思う。論理と知識(この場合は日米安保条約と米国の政治制度)を活用した読み解きの訓練をしておくと、情勢を分析する際に判断を誤ることは少なくなる。
以前にも紹介したが、佐藤優氏の知識はものすごいものがある。氏の政治的立場は異なるが、彼の分析は鋭いものがある。