2012年10月17日水曜日

植民地支配と領土問題



もう一度読む山川「世界史」(教科書)をあらためて読んだ。その中で「植民地支配下の朝鮮」という記述があった。以下がその内容である。
植民地支配下の朝鮮
1910年以来、日本の植民地となった朝鮮では、「武断政治」による苛酷な支配がおこなわれた。三・一運動は、朝鮮人の独立への強い意志を示すものであり、これを機に日本は、武断政治をゆるめざるをえなかった。しかし、民族差別に抗議する29年の光州学生運動をはじめ、さまざまな抗日運動が続いた。また23年の関東大震災では、悪質なデマにまどわされた日本人による朝鮮人虐殺事件がおこっている。
1920年代には、朝鮮を日本の食糧の供給地にする政策が強化された。すでに10年代から、日本人が朝鮮において広大な土地を所有し、また日本人・朝鮮人大地主への土地の集中が進んでいたが、20年代にはいると、米の増産計画を実施し、日本への米の大量積出しが強行された。この間に地主への土地の集中はいっそう進み、土地や資金の少ない農民のなかには窮乏化するものも多くでた。そのため生活がなりたたずに、労働者として日本や中国東北へ移住する人びとが少なくなかった。とくに40年代には、日本に強制連行されて、重労働に従事する人びとが急激にふえた。第二次世界大戦中には、徴兵制もしかれた。日本の敗戦時在日朝鮮人は200万人以上をかぞえた。
一方、1920年代末に大規模な水力発電所が操業をはじめ、30年代には重化学工場・金属工場も建設され、鉱山も開発されたが、製品の多くは日本に送られ、日中戦争がはじまると、朝鮮は戦争遂行のための後方基地となった。このころになると、学校や公共での朝鮮語使用の禁止、朝鮮語新聞の廃刊、姓名を日本式にかえる「創氏改名」、宮城(皇居)遥拝、神社参拝などの「皇民化」政策を強化し、民族文化を否定した。19458月、敗戦とともに日本の朝鮮支配はおわった。
今、日韓関係が「竹島問題」でこじれている。こじれる理由の大部分は、上記のような、「植民地支配」に対して、日本が根本的な反省と清算をしていないことから発生してきている。植民地犯罪に対しての謝罪と賠償なしで、「領土問題は存在しない」と言っても、少しも進展しないであろう。

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