2012年10月29日月曜日

本当のことを伝えない日本の新聞


「本当のこと」を伝えない日本の新聞というタイトルで、思わず購入した本、「権力者の代弁」ばかりを繰り返す新聞が多い日本。著者は「ニュヨーク・タイムス」の東京支局長であるマーティン・ファクラー氏である。“はじめ”にの部分を紹介する。

はじめに20113月日日、東日本大震災と大津波が東北地方に壊滅的な被害をもたらした。そして、福島第一原発で続けざまに爆発事故が起きた。この国家存亡に関わる一大事に際して、新聞は国民のために何を報じたか。本書を手に取った読者が一番ご存じのことだが、311前と変わらず、当局の記者発表やプレスリリースを横流しする報道に終始した。
結果的に日本の大手メディアは、当局の隠蔽工作に荷担することになってしまった。それは同時に、私が日本における取材活動のなかで強い不満を覚えていた「記者クラブ」制度が抱える矛盾が、日本国民の目の前に一気に表出した瞬間でもあった。
私は196611月に、アメリカ合衆国のアイオワ州で生まれた。学生時代には台湾や日本へ留学し、中国語や日本語を学ぶ機会があった。私にとって東アジア、そして日本は学生時代から身近な国だ。
私が記者として仕事を始めたのは96年のことだ。ブルームバーグやAP通信、ウオール・ストリート・ジャーナル、そしてニューヨーク・タイムズへと原稿発表の場を移しながら、ニューヨークや北京、上海や日本で取材を続けている。とりわけ日本での取材経験は長く、2012年までで合計12年に及ぶ。
日本で取材を重ねるなかで、最も驚いたことが記者クラブという組織の存在だった。外国人記者である私を、日本銀行や各省庁、官邸での記者会見から排斥する。新聞、テレビなどの大手メディアの記者たちは、記者クラブを拠点として堅く団結していた。同じジャーナリストであるはずなのに、外国人記者である私を仲間” とは思いたくなかったようだ。
世界における日本のニュースバリューは、バブル絶頂期の80年代末に比べて確実に低くなっている。あのころの日本は、現在猛烈な経済成長を続けている中国やインドのような存在であり、世界が日本のニュースを求めていた。
日本が長きにわたり停滞しているなか、なぜ私は12年間も日本で仕事を続けてきたのか。好きな国だからということと同時に、日本でジャーナリストとして仕事をすることは、私にとって大きなチャンスだからだ。いま中国に行けば、世界中から集まったライバルのジャーナリストが山ほどいるが、現在の日本ではこの地に足をつけて取材活動をしている外国人記者は少数だ。競争相手が少ないという消極的な意味ではなく、日本という国のシステムや日本人のメンタリティを理解しようと心掛けている自分にしか書けない記事があると信じているのだ。
日本から世界に情報を発信するおもしろさはいくつもある。中国の経済成長が著しいとはいっても、まだまだ発展途上の段階だ。中国共産党の一党独裁という大きな問題も抱えている。誰が何と言おうと、日本はアジアでは唯一の先進国だ。長い歴史のなかで醸成された古き良き伝統が息づく一方、独自に発達させたマンガやアニメーションなどのユニークな文化もある。豊かな多様性という点でも、私にとって日本はとても興味深い。
そんな日本に対して、私は歯がゆい気持ちをもっている。バブル崩壊後、経済が停滞しているのに、日本社会はなぜ若者にもっとチャンスを与えないのか。団塊の世代ばかりを手厚く守り、彼らの子や孫はまるでどうでもいい存在であるかのように扱われている現状は明らかにおかしい。
本当のことを書こうとする新聞は、記者クラブから平気ではずす日本。健全なジャーナリズムを機能させるにはどうしたらいいのだろう。真実を書く、新聞、記事を現場から発信することから始めたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿