2012年10月9日火曜日

人を差別することば


 「岩波ブックレット」が復刊されている。1998年に発売された寿岳章子さんの「ことばつかいの昭和史」500円。以下、差別言葉の部分を紹介する。

を差別することば
昭和のことばづかいを概観するとき、もう一つ顕著な変化の傾向があります。それは、いわゆる差別語についての意識ができあがったことです。
差別語というのは、一種のきめつけことばですが、とりわけ現日本国憲法の第十四条で、以前はいろいろと辛い目にあったが、いまは平等の基本的人権を保障されている人びとに、昔はたえず投げつけられていたことばです。
たとえば、視力障害者を「メクラ」という表現を差別語といいます。
なぜこれが差別語なのでしょうか。
現在、このたぐいのことばがいくつかあって、それらを総称して差別語といいますが、なぜか、ということを考えないで、ただ、このことばは差別語だそうだ、うっかりロにすると文句をつけられてたいへんだぞ、とにかくなんでもいい、いわなきゃいいんだとだけ思うことは、かえって事態を悪くします。
私はかつてある会合で, つぎのような経験をいたしました。メンバーのある男性が、「メクラ」ということばを発し、「それはいけないいい方だ、差別語になる」と他の人から注意されたとき、その人は怒り出しました。「なんでメクラといったらいけないんだ,メクラにちがいないだろう」と。それで、その場にたまたまいあわせていた私は、 つぎのように申しました。
「みえない状態のことをメクラというということは、たしかです。でも、おなじことを表現する盲人という語と比較してみると、メクラということばが使われる文脈は、障害者に、いろいろ辛い生き方を強いてきた長い歴史をせおっていることが多いんです。
たとえば、ことわざでメクラというのは、目のみえない状態をあざわらうのにばかり、使われています。さらにいえば、だいたい障害者とか、女性とか、さらに同和問題でたたかっている当事者とかに関係することわざは、だいたいがその人たちをあざけり、ひやかしたものばかりなのです。
メクラといえば、そういう世間の見方に結びつくので、いわれた人びとは、けっしてうれしくないんですよ。そういわれて情けなくなることばを、目のみえる人が使うのは、思いやりがないことになるでしょう」。
寿岳氏は、人を傷つけることばは、その人たちがそういわれて、自分たちが長年おかれていた不当な扱いをむらむらと思い出すことば、そんなことばを使いたくないという思いと、表現の自由とは矛盾するものでしょうか。いや、しないと言っている。
使ってはいけないとは思わない。相手の立場にたって考えれば使えないのだと言っている。確かにそのとおりだと考える。


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