2013年3月11日月曜日

あらためて 3・11


葉で開業している、旭医師(精神科医)は震災で陸前高田市に支援に行ったことを「震災」のなかで書いている。そのなかで「ボランティア」の部分を紹介する。

精神科医でスタートしてもうすぐ四十年が経ちます。精神科だけでなく、リハビリなど、いろいろとやってきたなかで、非常に心に重く残っているのは、現実に自分が診ていた患者さんが自殺してしまったことです。開業したばかりのことですから、私が三十六歳頃のことです。自分が関わった患者さんの自殺というのは、医者としては非常にきつい経験です。外科のドクターが自ら手術した患者さんが亡くなってしまったらきわめて大きなショックを受けるのと同じように、心のケアに関わっていながら、それがうまくいかないで自殺につながっていったというのは、医者としては大変な敗北感があるわけです。そういう経験から、自殺を食い止めるために何かできることはないだろうかと、もう長年考えていました。
なんとか自殺者を減らそうと考えてきたことが、たまたま今回の震災をきっかけに、心のケアが非常にクローズアップされてきて、世間に少し受け入れてもらえそうになってきました。巡回型の心のデイケアについては、地元の松戸で十年ぐらいかけてやろうとしていたことですが、平常時なら、十年かかるかもしれないことが、数年でできるかもしれません。
過去の歴史を見ると、日本は大きい災害、前の関東大震災にしても、東京大空襲にしても、大変な状況をバネにして、いろんなことをうまく乗り越えているように感じます。今回も、この震災で奪われるだけでなく、得られるものがあるといいと思います。
私はこれからも何度も陸前高田に通うつもりです。それは、「仕事か、仕事以外か」といえば、ボランティア活動と考えています。ボランティアというのは他人のためにやるわけじゃないんです。自分のためなんです。みんなボランティアの意味をはき違えて、「困っているところに行ってあげれば、自分がこういうことをやれば皆さん喜んでくれるだろう」と思うのかもしれません。しかし、それでは長続きしないでしょう。
自分が行って、何かしたことが、他人の喜びであるとともに、自分の喜びにつながるようなものが本当のボランティアだと思っています。たぶん若い人もいろんな不満がいっぱいあるでしょうが、被災地にたくさんのボランティアが集まるとすれば、彼らがそこに何か活路を見いだしている部分もあるんじゃないかと思います。それが今日本人自体に失われつつあるものを見直す一つのきっかけになるかもしれません。
だから、私も、ボランティアとして参加して、自分自身の中に何かが見つけられることを目標に、活動を続けていきたいと考えています。
(インタビュー・構成新潮社取材班)
ボランティアとは、自分の喜びにつながるというのが本当のボランティアである。この言葉を常に頭の中に入れておきたい。3・11以後も3・11は続く。

0 件のコメント:

コメントを投稿