2013年3月13日水曜日

普通でいいんだ


日経に連載中の「一言の余韻」(後藤正治:ノンフィクション作家)に、藤沢周平のことが書いてある。長女、遠藤展子さんとの話の中の一部を紹介する。

長女の遠藤展子さんと、編集者をまじえて鼎談する機会があって、作家・腰沢周平の芯にあるものがより鮮明に浮かんできたように思えたものだった。
東京住まいとなって以降も、藤沢は娘を連れてしばしば鶴岡へ帰郷している。鶴岡の何が好きだったのでしょうかと問うと、「少年期の農村の風景だったのではないでしょうか」という答えがあった。旧庄内藩の藩校に由来する致道博物館はお気に入りの場所で、江戸期の農機具や民具などを見るのが好きであったという。
作品に登場する武士たちの出自の多くは東北の小藩で、『用心棒日月抄』シリーズの主人公、青江又八郎もそうである。脱藩し江戸で用心棒稼業に身を染める又八郎と、藩の隠密組織を束ねる佐知が、やがて道ならぬ逢せ瀬を重ねていく。二人が郷里の名産、醤油で煮つけた玉こんにゃく、味噌汁に吹きこんだ雑炊、しなび大根の糠漬け・・・など語り合うシーンがあるが、著者の故郷への想いがよく伝わってくる。
展子にとって父藤沢周平は「ごく普通の父親」であった。いつも二階仕事場の和机で黙々と原稿用紙に向かっていたが、作品や仕事の話はまったくしない。日常会話はおおむね「あ、い、う、え、お」で済んだとか。「ああ」「いいよ」「うん」「ええ」「おう」である。無口であったが、それでも耳に残っている父の言葉に「普通でいい。普通の人が一番えらいんだ」がある。展子にとってそれは、進学や結婚など、人生の節目になってよく思い出される言葉ともなった。
普通でいいーー藤沢作品のキーワードであるとも思う。氏は、下級武士や市井に生きる人々の宿す、矜持や信義や哀歓の(微光)を描いた作家だった。文学的情念を形づくったものは、生来の形質であり、半生の歳月であろうが、その背後に故郷の風土があったことを改めて思うのである。

この「普通でいいんだ」とう言葉。東北の被災者の方々の今の心境を言っているような気がする。

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