2013年3月6日水曜日

3・11 陸前高田


 いつでも元気3月号の巻頭エッセイに、県立高田病院院長の石木幹人のエッセイが載っている。彼は、病院で震災に会い、職員、患者さんを亡くした後も、病院復旧のために頑張っている。エッセイの中には書かれていないが、彼は妻を震災で亡くしている。以下は、以前にも紹介した「復旧」という本の中で紹介されている一部である。
岩手県陸前高田市 石木幹人
自分も医者になって良かったと思うのは、死ぬことに対してあまり恐怖感がなくなったこと。だからこそ、積極的に生きられるようになっているのかもしれませんね。
定年退職するまでにはあと二年。それまでにやっておきたいことは、やはり病棟の立ち上げです。病棟を立ち上げて、きちんと新しい病院の目鼻をつけるということが自分の果たすべき役割でしょう。それは陸前高田市の医療というだけでなく、気仙圏域全体を考えても、高田病院が病棟を再開することで、住民を支える医療を持続する基盤になればと思うからです。
もとの建物があったところは、地盤も1メートルほど沈下したと聞いています。今回のような津波が来ても、被災しない場所というのが絶対条件で、そこにまず仮設であっても病棟を立ち上げたい。その先にどういう病院にしていくかというビジョンも見えていくのではないでしょうか。その間に若い先生がうまく二人くらい入ってきて-れたら良いですね。そうすれば、私も安心して次の世代にバトンタッチできますから。
震災直後から救護所に入って、手伝ってくれている若い先生がいます。盛岡の中央病院からの2派遣ということで、この春から内科医が一人増えることになりました。実を言うと、それはうちの娘なんですよ。
(インタビュー・構成 歌代幸子)
医療のないところに人は残らないと言って、踏ん張っている。そんな父の姿をみて医師である娘さんも一緒に、医療再建に向けて働く。すごいことだと思う。

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