2013年5月10日金曜日

優雅な無知

 
 前回、紹介した「日々の非常口」(アーサー・ビナード)から、もうひとつエッセイを紹介する。
優雅な無知
「平和とは、どこかで進行している戦争を知らずにいられる、つかの間の優雅な無知だ」
アメリカの詩人、エドナ・セントビンセント・ミレーは1940年にそう書いた。ぼくが生まれたのは1967年で、アメリカとベトナムの戦争が激化の一途をたどっていた年だ。でも、ミシガンのわが家にナパーム弾はもちろん降ってこなかったし、物資の配給制もなく、およそ優雅な無知に包まれたままの幼年期だった。
ただ、どこかで進行中のあの戦争がちらりと見えた場面は記憶に残る。車の後部座席からぼくは、運転席の父と助手席の母の頭の後ろをじっと見ていた。だれかが戦死したという話をしていて、父は首を何度も横に振り、母もうなだれて、呟き声になる。
2004年の秋、初めてベトナムを訪ねた。統一会堂から戦争証跡博物館へ、歴史博物館へとホーチミン市内を歩きながら、前々から知っていた戦争の数字が、少しリアリティーを帯びてきた。戦死した58000人あまりの米兵の犠牲の重さは、アメリカにいるときでも感じられる。しかし、分かっているつもりでいても、300万人のベトナム人が殺されたという事実の重さには、これまでちゃんと向き合ってこなかったことに気づいた。
散布した枯れ葉剤の、7200万リットルという数字も、サイゴン川を海まで下ってやっとその一角が見えてきた。豊かな川の三角州の広大なマングローブを、米軍は不毛の泥の砂漠にした。戦後、ベトナム政府はそこを保護区に指定して植林を行い、今はマングローブが再生しつつあるが、その姿は枯れ葉剤散布という犯罪を、静かに告発しているようだ。
ホーチミンへ帰る車の中で、ガイドのフィさんがこういった。
「平和は、戦争をしたがる人の準備のための時間」
ホテルの部屋で、テレビを点けてみると、米大統領選の候補者の討論会が始まったばかりだった。イラク戦争が繰り返し何度も話題上り、1000人を超えた米軍側の犠牲者が天秤にかけられた。が、米軍に万単位で殺されているイラクの市民は、取り上げられることはなかった。
「平和とは、どこかで進行している戦争を知らずにいられる、つかの間の優雅な無知だ」 「平和は、戦争をしたがる人の準備のための時間」とは、うまい言い方である。日本人の発想からは出てき難い言い方である。確かに、無知ほど恐ろしいものはない。

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