2013年5月13日月曜日

青年の流儀

 
 集院静の「伊集院静の流儀」という本(エッセイ)を読む。いろんな雑誌に書いたエッセイをまとめた本である。似た名前で伊集院光というタレントがいるが、彼とは全く関係はない。両氏とも本名ではないが。その中の一つを紹介したい。新社会人に向けたエッセイである。
その仕事はともに生きるためにあるか。(青年の流儀)
新社会人おめでとう。
君は今春、どんな仕事に就いただろうか。どんな仕事、職場であれ、そこが君の出発だ。
今、世界は経験したことのない不況にある。金を儲けるだけが、自分だけが、富を得ようとする仕事が愚かなことだと知っていたはずなのに、暴走した。なぜ止められなかったのか。それは仕事の真の価値を見失っていたからだ。人を騙す。弱い立場の人を見捨てる。自分だけよければいい。それらは人間の生き方ではないと同時に仕事をなす上でもあってはならないことだ。仕事は人が生きる証しだ、と私は考える。働くことは生きることであり、働く中には喜び、哀しみ、生きている実感がたしかにある。
だから出発の今、真の仕事、生き方とは何かを問おう。
その仕事は卑しくないか。
その仕事は利己のみにならないか。
その仕事はより多くの人をゆたかにできるか。
その仕事はともに生きるためにあるか。
今何より大切なのはともに生きるスピリットではなかろうか。一人でできることには限界がある。誰かとともになら困難なものに立ちむかい克服できるはずだ。会社とは、職場とはともに働き、生きる家である。仕事は長く厳しい.が、いつか誇りと品格を得る時が必ずくる。笑ってうなずく時のために、新社会人の今夜はともに祝おう。
その日のため、皆で、 ハイボールで乾杯。
その仕事は・・の4つの文章は、なぜか民医連で働くものにぴったりした内容ではなかろうか。全て「イエス」と答えられる。

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