2013年5月8日水曜日

作り手による「物語」

  
毎日新聞の「時代の風」に京都大学教授の山極寿一氏が「作り手による物語」と出して興味ある文章を書いている。一部抜粋して紹介する。氏は「ゴリラ」の研究家として有名である。
今もこうした誤解に満ちた物語が繰り返し作られている。9.11の後、アメリカはイラクが大量破壊兵器を持ち世界の平和を脅かすと決めつけて戦争を始めた。アルカイダはアメリカ人をアラブの永遠の敵と見なして自爆テロを武器に戦うことを呼びかけている。イスラエルとパレスチナも互いに相手を悪として話を作り、和解の席に着こうとしない。どちらの側にいる人間もその話を真に受け、反対側に行って自分たちを眺めてみることをしない。
人間は話を作らずにはいられない性質を持っている。言葉を持っているからだ。私たちは世界を直接見ているわけではなく、言葉によって作られた物語の中で自然や人間を見ているのだ。言葉を持たないゴリラには善も悪もない。自分たちに危害を加える者には猛然と戦いを挑むが、平和に接する者は温かく迎え入れる心を持っている。過去に敵対した記憶は残るが、それを盾にいつまでも拒絶し続けることはない。人間が過去の怨恨を忘れずに敵を認知し続け、それを世代間で継承し、果てしない戦いの心を抱くのは、それが言葉による物語として語り継がれるからだ。
言葉の壁、文化の境界を越えて行き来してみると、どこでも人間は理解可能で温かい心を持っていることに気づかされる。個人は皆優しく、思いやりに満ちているのに、なぜ民族や国の闇で理解不能な敵対関係が生じるのか。グローバル化した現代、私たちはさまざまな地域や文化の情報を手に入れることができるようになった。物語を作り手の側から読むのではなく、ぜひ多様な側面や視点に立って解釈してほしい。新しい世界観を立ち上げる方法が見つかるはずである。
言葉は物語をつくる。善も悪も両側面から物語をつくる。善、悪を見分けるためには、多様な側面や視点からのものを見ることが必要である。そのためにも幅広い知識が必要になってくる。そのためには幅広い書物から知識を得ることである。

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