2013年5月28日火曜日

憲法改正草案

 
自民党の憲法改正草案Q&Aで日本国憲法の前文を「ユートピア的発想による自衛権の放棄」と批判する自民党。同党の日本国憲法改正草案前文では、戦争への真摯な反省や平和的生存権が消え去り、主権者である国民でなく天皇を中心とした国家が出現する。これが民主国家の憲法といえるのか。
週刊金曜日の412日号で弁護士の伊藤真氏は徹底批判している。一部紹介する。
憲法前文は、憲法の顔である。誰が何のためにこの憲法を制定または改正したのかを明示することによって、その国の基本的な有り様を示し、各本条での解釈に疑義が出たときに、解釈の基準となるものである。
自民党の改正草案では、どこにも改正の理由や改正憲法の由来が示されていない。何故に多くの重要な条文を変更したのか、何を目的とした改正であるのかが判然とせず'前文の役割を十分に果たしていない。
むしろ、第五段で「国民は()この憲法を制定する」として、新憲法制定と位置づけている。内容も、国民主権の後退、人権保障の形骸化、非暴力平和主義との決別など現行憲法とはまったく異質なものとなっている。よって、新患法制定と呼ぶのがふさわしいのであろう。しかし、憲法は国会議員に憲法制定権を与えていない。国会議員は主権者ではないからである。このような内容の改憲が実現するのであれば、これは一種のクーデターである。
草案の内容は、一言でいうと、「個人の人権を守るために国家を縛るための憲法」から「為政者が国民を支配するための道具としての憲法」に変質させるものとなっている。近代立憲主義という人類の英知からの決別といってよい。日本における立憲主義は、明治憲法時代への反省から、天皇の権力に歯止めをかけ(第一章)、軍事力を縛る(第二章)ところにその本質があるが、改正案はどちらも骨抜きになっている。そのことが前文でも明らかになっている。天皇中心の国家を強調し、戦争への真撃な反省のかけらもない。
従順な国民だけが歓迎され、主体的に考え行動する国民は排除される。こんな息苦しい国にしようとしているのである。私たちは主体的に、この草案に立ち向かっていかなくてはならない。

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