2013年5月15日水曜日

どっちもどっち世論

 
 アーサー・ビナードのエッセイから又紹介する。
どっちもどっち世論
衆議院選の「激戦区」として、マスコミに大いに騒がれている土地に住む友人と先週会い、やはり選挙の話になった。「ヨロシクオネガイシマスの連呼に加えて、珍しく世論調査の電話もかかってきた」と彼女は苦笑いをして、こう続けた。「でもその質問が、みんななにか微妙に偏ってる気がして、わたし途中から本当のことをいうのをやめてデタラメに答えちゃったわ。調査の誤差を、どのぐらい増やしたかしら」
ぼくが投票権を持っているのは米国だが、日本よりもっと多くの世論調査が実施され、その偏り具合も先をいっている感じだ。「賛成」か「反対」か、「支持」か「不支持」か、「A氏」か「B氏」か。企業も政治団体も絶えず問いかけるその作戦の大きな目的は、二大政党の現状維持だ。国民に二者訳一のシャワーを浴びせ、議論が深まらないようにしむけ、選挙が近づけば、「共和党」と「民主党」とどっちがいいかと盛んに聞く。他の候補者がいても、どうせ勝ち目がなく捨て票になるだけだという雰囲気を、国中に漂わせる。
その結果、毎回「ハンバーガー」と「チーズバーガー」のどっちかを選ぶような、食傷し切った後味最低の投票となる。料理は種類がいろいろあっていいはずなのに。日本における二大政党への流れを、「民主主義の成熟した形」などといって、耳に聞こえがいいが、米国人と.しての体験からいうと、「民主主義の行き詰まりの形」だ。
 上そんな袋小路から抜け出せない無力感を、ウィリアム・スタフォードは、詩に詠み込んだ。
米国民であること
ある大手マスコミが歴史を買ったらしい
戦争とかけひきの独占権をすべて。
ぼくら国民は、いつものように家にいて、
何も起こらない。当然か。ぼくらは
ため息を漏らす。きっとどこかで
時代は本当に息づき、輝いているはずだ。
もし金持ちだったなら、ぼくらも
あんなふうに生きられたろう。
ひょっとして今からだって、
今日という日の一株くらい
買えるかもしれない。気分だけでも。

 日本も、アメリカと似たり寄ったりである。

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