2013年8月20日火曜日

火蛍るの墓

毎日新聞に週1回連載されている野坂昭如の「七転び八起き」は161回を数える。その大部分は氏の戦争体験から、今の日本の状況に対して、必死に訴えている内容が多い。今回は「敗戦の記憶 犠牲者の声を聞け」である。
今、生きている人間のほとんどは戦争に参加も協力もしていない。日本が戦争をしていた時、戦場に赴いた経験をもつ人はもはや、ごく僅か。戦争を知っているといっても、だいたいが子供だった人が多い。
肉親を戦場で失った、あるいは空襲によって、家族も家財もすべて焼かれた、そんな体験を持つ人、育ち盛りに腹を減らし、飢えと隣り合わせの怖さを知っている人が、今、どのくらいいるのだろうか。
戦争中に物心ついた人たちは、少なくともその実態は知っている。現場に居合わせることはなくても、それぞれに降りかかった惨状を骨に刻み、戦争を血肉と化している。そんな戦争を知る最後の世代が、ぼくを含め、ぼくよりだいたい10歳上と10歳下の皆さんでおしまい。
ぼくは、物書きという生き方を選んだ。代表作として「火垂るの墓」があげられる。戦後まもなくの、かわいそうな兄妹の話として、アニメ映画にもなり教科書にも載った。ぼくの体験がもとになっているに違いなく、作品の細部に自分の記憶にまつわるあれこれがある。だが、小説は小説。書いて以後、何十年を経ても、どこか後ろめたい思いがある。
「火垂るの墓」に出てくる兄妹、ぼくはあんなに優しい兄ではなかった。こっちの才能の問題だが、戦争を伝えることは、まことに難しい。それでも物書きとして、書くことが務めだと思っている。とはいえ、今やほとんどが戦争を知らない世代、学校で教わるといっても、通りいっぺんの内容。教える方とてあやふやなのだ。
戦後の教育は、歴史的事柄をとりあえず羅列。なぜ日本が戦争に突き進んだのか、ひとたび戦争が始まれば、人間という生き物はいかに変わってしまうのか、あの時代が特別なわけじゃない。たとえば人は飢えを前に、極悪非道、残酷無惨な府為を平気でやる。戦争がいかに愚かであるか、数えきれない犠牲を出しながら何も伝わっていない。そのしるしが現首相の言動に表れている。このままでは危ない。日本は踏みとどまることが出来るか。お仕着せじゃない資料はいくらもある。今こそあの戦争の犠牲者の声に耳を傾けよ。
戦後68年で、戦争の記憶のある人は75歳以上であろう。後10年もすれば、このような文章を書く作家もいなくなってしまう。これからの10年は非常に重要な10年となる。

0 件のコメント:

コメントを投稿