2013年8月28日水曜日

真の公僕とは


ノンフィクション作家の柳田邦男が毎日新聞のオピニオン欄で
問われる官僚の意識改革 避難生活 実体験を
 と題して官僚批判をしている。一部紹介する。
  20年余り前のこと、評論家の山本七平氏がすい臓がんの治療のため、東京都内のある総合病院に入院中、七転八倒するほどの激痛に襲われた。主治医は「疼痛治療は麻酔科の領域なので」と言って積極的な対応をしてくれなかった。見るに見かねた友人たちのはからいで、国立がんセンターに転院したところ、がんの新しい疼痛治療法によって、痛みはうそのように消えた。
  その経験を山本さんは絶筆となったエッセーの中で、怒りをこめてこう書いた。<人間というものは、他人の「痛み」にいかに無頓着であるかを、改めて思い知らされた>
患者のいのちと直接向き合う医師の中にさえこういう無頓着な人物がいるのだから、世のさまざまな専門家の現実は推して知るべしと言おうか。東京電力福島第1原発事故の被災者に対する国による救済・支援活動が、2年半近くたつ今なお、まともに行われていない現実を見る時、私は山本氏の言葉を思い起こし、こう言いたくなる。<官僚というものは、被災者の苦しみにいかに無頓着でいられることか>と。
  原発事故に伴う放射能汚染地域のうち、年間累積放射線量が20ミリシーベルト以下の地域の住民は避難指示を解除された後、特別の支援を受けられなくなる。そこで昨年6月、議員立法により、原発事故子ども・被災者生活支援法が作られた。この法律は、基本理念として「被ばくを避ける権利」をうたい、住民が①対象地域から避難しないで住み続けている②対象地域外で避難生活を続ける③避難先から対象地域に戻るーー のいずれであっても、国が医療・生活の支援を行い、健康調査を継続して行うと定めている。
  ところが、法制定から1年以上たつのに、政府(所管は復興庁)はいまだに異体的な支援内容も対象地域を決めるための基準線量(20ミリシーベルト未満の何ミリシーベルトなのか)も決めていない。そのため、住民の一部(16世帯19人)が被災者支援法放置は違法だとして、国に基本方針策定を求める訴訟を地裁に提起した。行政の「不作為責任」を問うというのだ。
  政府の具体策策定の遅れの理由は、基準線量を決める客観的根拠を明示することの困難や、対象地域に対する風評被害の恐れなどにあるようだが、それらは致命的な阻害要因ではなかろう。
最近、問題になっている東日本大震災に伴う復興予算の、奪い合うがごとき流用問題も、根底にあるのは官僚の「行政倫理」意識の欠落だと言えよう。問われるのは、官僚の意識改革だ。
  日本航空は安全意識を役員・社員の血肉にしみ渡らせるため、御巣鷹山慰霊登山、墜落ジャンボ機の残骸展示をしている安全啓発センター見学、被害者遺族の社員への講演などに毎年、取り組んでいる。大震災、原発事故に対応する官僚が真の公僕になるには、自分の家族と共に被災者たちの避難生活を一週間くらい共にする体験が必要だろう。自分の家族がどう言うか聞いてみるがよい。
  あらためて公僕とはなにかを考えたい。

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